第二話 運命の“K”発表

「おい斎部、お前にしてはめずらしかったじゃないか」


 入校式を終え、寮へ戻る廊下で、海野が声をかけた。


「何が」


 斎部は短く返す。この男が必要最低限の言葉すら惜しみ、愛想など母親の胎に置き忘れてきたと評されるのは、今に始まったことではない。

 幼年学校からの同期なら、誰もがよく知っていることだった。


「いや、みんなで賭けてたんだよ。誰が一番早く女子に言葉をかけるかってな。

 ……結局、全員負け。成立しなかった。」


「くだらん」


「それに、……お前にしては、ずいぶんしゃべってたな。

 気づいてないかもしれんが、みんな聞き耳立ててたんだぞ。

 ……ん? こっちは寮じゃないぞ。教官室に用か?」


 海野がいぶかしげに言うと、斎部は表情ひとつ動かさず答えた。


「――あれは、俺の女だ」


「……は?」


「今からでも手を尽くして、俺の相棒はあの女にしてもらう」


「お前の女だって? えっ? はぁっ!?」


「何を差し置いても認めさせる。斎部の因縁を持ち出してでも、だ」


「斎部の因縁って――」


 言葉を返す間に、二人は校長室の前に着いていた。

 午前中は市ヶ谷の本校、午後は中野学舎での入校式。だから今なら校長は確実にここにいる。


宇津うつ校長は、俺の烏帽子親えぼしおやだ。何としてでも押し通す。これだけは譲らん」


 斎部は無表情のままだったが、その背から放たれる気迫に、海野は思わず息をのんだ。


 ――女子のどっちだ? 妙子ちゃんか、時子ちゃんか……。

 どっちにせよ、とんでもないことになりそうだ。


 校長室の扉をノックして中に入っていく斎部の背中を見送りながら、海野は廊下で成り行きを見守ることにした。



 +++++



 入校式から一週間が経った。


 この一週間は、説明会や身体測定や体力測定、夕方からは歓迎会などもあり、あっという間に時間が過ぎた。


「さあさあ! 本日はいよいよ運命のカメラート――相棒の発表でございます!

 士官学校の三年間を共にし、生死をも分かち合う相方!

 時子さん、予想をどうぞ!」


 寮から学舎へ歩く道すがら、妙子がメモ帳と鉛筆を突き出し、新聞記者の真似をして身を乗り出した。

 ひょうきんな仕草に、時子の頬が自然と緩む。


 カメラート――二人組制度。

 異能科の候補生たちは三年間、相棒と行動を共にする。訓練でも任務でも、野営なら寝床も隣同士。

 いわば運命共同体であり、唯我独尊に陥りやすい異能者を制御するための仕組みだった。


「私は妙子がいいと思うの。きっとそうなるわ」

 時子は真面目に答える。

「女子は三人しかいないのだから、必ず誰かが男子と組むことになるでしょう? でも、それはたぶん後西院さんよ。

 私たちは学力も体力も異能も大体同じ。だから、組むなら妙子だと思う」


 時子がそう言うと、妙子はわざとらしく目を潤ませた。


「ありがと~。私も時子がいいな。

 ……まあ、素敵な殿方と組んで名前で呼び合って、いつしか皆に『あれはもうKじゃなくてGだ』なんて噂されるのも憧れなくはないけど」


「何よ、その『K』だの『G』だの……?」


 眉をひそめると、妙子はそっと近づいて声を落とした。


「先週の親睦会で上級生から聞いたの。カメラートって長いから、普通は『K』って呼ぶんですって」


「じゃあ『G』は?」


 妙子はあたりを見回して、さらに声を潜めた。


「“ゲフェルテ”の略よ。相棒が恋人みたいな関係になっちゃったKのことを、そう呼ぶんですって」


「えっ、じゃあ男女で組んだら、大変じゃない」


「安心するのは早いわ。同じ性別でも、噂されることがあるんだから」


「まぁ!」


 時子の大げさな仕草に、二人は堪えきれず肩を揺らして笑い合った。




 カメラートの組み合わせ発表は、その日の授業が終わった後に行われた。


 第十五期生、十八名が大講堂に集められる。

 これから告げられる相手次第で、この三年間――いや、場合によっては一生が左右されるのだ。

 入校からの一週間、行事に追われながらも、互いに誰と組むのか気になって仕方なかった。


「諸君。

 このカメラートは諸君を多角的に評価し、校長だけでなく異能特務局局長の意向も踏まえて決定したものである。

 よって発表後は、相互の理解と協力を惜しむな。

 また帝国軍人として――いや、一臣民として、恥ずべき事態に及ばぬよう、己を律してもらいたい」


 訓示を終えた副校長が、控えていた今期生をまとめる瀬川少尉へ鋭い視線を送る。

 瀬川少尉は小さく咳払いをひとつ。

 手にした紙束をめくりながら、もう一度咳払いをして場を整えた。


「それでは発表する。呼ばれた者は、前に出て組になりたまえ」


 一同が息を呑み、瀬川少尉に視線を注ぐ。年若い彼の声はわずかに上ずりながら、名を読み上げていった。


「――仁科新太郎、伊藤銀造」


 一列に並んだ十八名の中から二人が進み出る。互いに目配せし、ためらいなく並んで立った。


「西 輝吉、真崎宗徳」


 今度の二人は固く握手を交わし、誇らしげに前列に並ぶ。


「斎藤道成、辻 武之助――」


 呼ばれるたびに列が少しずつ減っていく。

 そのたびに時子の胸は、鼓動が速まって喉を詰まらせるように苦しくなっていった。


「後西院絢子――」


 初めて女子の名が呼ばれた。

 思わず時子はその姿を見やる。


「渡辺妙子」


 隣にいた妙子がびくりと身を震わせた。

 時子も妙子を見た。妙子も時子を見た。


「渡辺さん」


 数歩前に出ていた絢子が、こちらを振り返り、優雅な笑みを浮かべる。

 妙子はその笑みに導かれるように、おぼつかない足取りで前へ進んでいった。


 時子の頭は真っ白になった。

 妙子の背を見送ると、列に一人取り残され、急に寄る辺なく心もとない気持ちに襲われる。


 ――え……私のカメラートが妙子じゃない? 私、男子と組むの?


 ちらりと残る列を盗み見る。

 初々しい軍服姿。皆が立派な体格で、知らぬ世界の人のように思えた。


 時子は、高等小学校までは女子ばかりの私学で過ごし、そのまま陸軍幼年学校の異能女子特別科へ入った。

 幼い頃から触れ合った男性といえば、せいぜい親族くらいだ。

 それが急に――今日から、この中の誰かと行動を共にし、背中を預け、時にともに眠ることになる。


 妙子と別々になるなんて、みじんも考えたことがなかった。

 自分の甘さを突きつけられ、スッと血の気が引いていく。


「海野幸昌、」


 一人呼ばれるたびに、時子の心臓が跳ねる。呼ばれた者を目で追うたび――

 ――もしかしたら、この人が私の運命かもしれない。


「森本千尋」


 別の名が告げられると、胸をなでおろす。だが残りの中に必ず自分の相手がいるのだと思うと、緊張は募るばかりだった。


「斎部清至、」


 残り僅かで呼ばれた今年の注目株の名に、大講堂が一瞬ざわめいた。


 歴戦の英雄、斎部清孝特務中将とその婦人、斎部りよ特務中佐の間に生まれた嫡男。

 多くの分家を束ね、異能以外の産業にも手を広げる斎部宗家の後継ぎ。

 そして何より――異能特務局でも指折りの神威を行使する父親に、風貌も性質も瓜二つの存在。


 この一週間、彼の名は話題の中心だった。

 主に、誰が彼のカメラートになるのか。

 彼の相手になれば、特務局長どころか陸軍大将も夢ではない――そんな妄想めいた噂まで飛び交っていた。

 物好きたちは教官の目を盗み、銅貨や菓子を賭けて盛り上がるほどで、時子ですらその話を耳にしていた。


 一同の視線が一斉に斎部へ集まる。

 時子も思わず息を止め、彼を見つめながら次の名を待った。


「川村時子」


 時が止まった。

 ざわめきが大講堂を駆け抜ける。


 斎部が顔を向け、時子と視線がぶつかり合う。

 全身が硬直し、足が一歩も動かない。


「マジかよ……」


 誰とも知れぬ小声が漏れる。


「モタモタするな、前へ出ろ」


 斎部は涼しい顔のまま、さっさと前へ出ていった。

 もう視線もくれず、叱咤だけを残して。


 そこから先の記憶はあいまいだった。

 頭一つ高い斎部の隣に並び、呼ばれていく残りの組の名は、水の底から聞く鐘のように遠く響く。


 心臓は早鐘を打ち続け、身体がふわりと浮いたような感覚は――寮へ帰り着くまで止まらなかった。

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