軍服の君と三年間 ―異能士官学校恋愛譚―
じょーもん
第一話 女子候補生、入校します!
女がこの国で軍人になる道は、ただ一つ。
――異能者として生まれ、陸軍の“異能特務局”に身を投じること。
そのための道筋は二つあった。
下士官養成所へ進むか、陸軍士官学校の異能科に入るか。
いずれにしても十五歳までに異能を開花させ、幼年学校・異能女子特別科に入校しなければならない。
そこを越えられなければ、女子に軍人の未来はなかった。
明治二十六年。
濃紺色の軍服に袖を通した川村時子は、鏡の前で身体をひねり、裾の具合を確かめた。
スラックスとスカート、二つの選択肢のうち、時子が選んだのは迷わずスカート。
その一点を除けば、男子と変わらぬ装いである。
そして今日からは、男子と肩を並べて学ぶのだ。
彼女は陸軍士官学校・異能科の候補生となった。
「時子、もう行くよ。遅れるよー!」
扉の向こうから、せっかちな声が響く。幼年学校からの同期、渡辺妙子だ。
「今行くー!」
時子は大声で返事をし、髪を整えてから部屋を飛び出した。
「行こう。遅刻なんて洒落にならないわ。今日は入校式なんだから」
妙子も軍服のスカート姿で、革靴を鳴らして歩き出す。
陸軍士官学校は市ヶ谷台にある。
――ただし、それは異能科以外の話だ。
異能科だけは、中野の郊外に学舎を置いていた。
時子が生まれた頃、西南戦争ではじめて異能特務局が実戦に投入された。
砲弾を払い、土塁を崩す人知を超えた力は戦場で猛威を振るったが、教育を受けず、特例で将校となった異能者たちは軍律を乱し、兵法にも疎かった。
その反省から設けられたのが、この「異能科」である。
さらに、異能者は貴重ゆえ、特務局開局当初から女子も徴集・登用されてきた。
設立当初から、複数の女性将校が存在した。
だから異能科だけは、女子の入校を受け入れている。
女子が混ざることは、他科の候補生に悪影響を及ぼす――。
というのが彼らを中野に隔離する表向きの名目であったが、実際には、異能を持つ彼ら自身が危険すぎる存在であり、彼らを教育するためには特別な課程が必要だった。また、将来有望な一般の候補生を危険に巻き込みたくない、という陸軍の総意がそこにあった。
設立から十五年が経ち、隔離されているがゆえに独自の気風が育まれ、それは他の科から羨望の的にも嘲りの的にもなっていた。
「結局、幼年学校から上がったのは私たちだけか。女子はあと一人いるそうだけど……」
列に並びながら時子が耳打ちすると、妙子は前方を顎で示し、囁き返す。
「ほら、あの方。
時子は列のだいぶ前に並んだ、小柄な背中に目を凝らす。
神威とは、異能者の中でもごく一部が授かる、日の本におわす八百万の神からの力。
時子がその力を持つ人物を目にするのは初めてだったが――確かに、彼女を包む空気は他の候補生とは一線を画していた。
「へぇ……なんだか、私たちとは格が違うって思ってしまうわ。今年の神威持ちは、あの方だけじゃないのよね」
「ええ。あとは男性が二名――海野家の次男さまと、もう一人は、
妙子がニヤリと口の端を上げ、興に乗ってきたその時だった。
「貴様ら、うるさいぞ。」
背後から年若い男の冷たい声が響いた。
時子と妙子はビクリと肩を震わせて振り返る。
真新しい軍服に身を包んだ、頭一つ背の高い少年が立っていた。
切れ長の瞳に白磁のような肌――息を呑むほど整った顔立ちは、ひとたび笑みを見せればどんな女子でも虜にするだろう。さして異性に興味ない時子ですら、心の奥がくすぐられるのを感じる。
だが今は、眉間に険しい皺を刻み、冷ややかな眼差しで二人を射抜いていた。
「女子特別科から難関試験を突破してきた女が、どんなものかと思えば……町の女学生と大差ない。
候補生といえど、栄えある帝国軍人としての自覚が足りぬのではないか」
「「――っっ!」」
もっともな意見だった。
それでも、同年代の少年に面と向かって叱責され、時子と妙子は赤面を抑えられない。
「斎部、そんな言い方しなくてもいいだろ? 異能者ゆえの自由な気風! それが中野学舎の良さであり、欠点でもあるって――兄貴から聞いてるぜ」
少年の背後から、別の顔がひょいと現れる。
「士官学校の同期は、一生の付き合いなんだ。仲良くしようぜ!」
と、にかっと笑うと、胸を張って名乗った。
「はじめまして。俺は――さっき君たちが噂してた海野家の次男、幸昌だよ。そしてこっちが、軍人サラブレッドの斎部
「……渡辺妙子です。」
「――川村時子です。」
さっきまで噂していた相手その人と知り、二人はますますいたたまれない。
「妙子ちゃんに時子ちゃんか! 帝国でも指折りの才媛にご挨拶できて光栄だな。
……ほら、斎部も自己紹介しろよ」
「ふん……前へ進め」
斎部は忌々しげに鼻を鳴らし、顎で先を促した。
今年の新入生、第十五期生は十八名。
異能科は三年課程で予科が無く本科のみ、各学年二十人前後にすぎない。
その数字が、戦える異能を持つ者の希少さを物語っていた。
衣擦れ一つしない、大講堂の静寂。
凛と張りつめた空気の中、異能特務局局長の祝辞が響き渡る。
「諸君、入校おめでとう。我ら“異能特務局”の一員となる第一歩を心から歓迎する。
学べ。鍛えよ。励め。
その才は天与の宝――だが、磨かねば石ころにすぎん。
その才は、諸君のものにあらず。帝国のものである。
帝国に報いるために、諸君自身のために、己を磨き続けよ。」
局長の訓示を聞きながら、時子は胸の内に誓いを刻む。
自分は、軍人として生きる。
この身に宿る異能を、この国のために――必ず役立ててみせる、と。
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