第2話

 茜佑などと聞くと、音楽家の父と書道家の母の元で育てられた茜佑に、特別な美的感覚が備わっているかと思われそうだ。だが、茜佑に文学的な素養はあっても、美に関する才能までは備わっていなかった。

 ならばこの茜佑という名前がどこから来たかといえば、父が語呂の良さで選び、母が当て字をしただけである。芸術家の二人に備わっているはずの独創性とやらは、一人息子の茜佑には適用されなかったわけだ。


『茜佑はデカい子だから、名前に可愛げができて良かったよ』


 と、茜佑の人よりも男前で凜々しい容姿に華やかさを持たせた、と両親はご満悦だった。そんな両親を睨み上げることで、茜佑は己のアンガーマネジメントを鍛えてきた。


 中学まで、『アカネちゃん』と何度もからかわれてきた。そのせいで気が強くなり、自分を傷つけるものに対して過剰に反発した。

 気がくさくさして、最後に佑が付くのだから人の名前をいい加減に呼ぶなと同級生に蹴りを入れたくなる。それも、幼稚園から腐れ縁の真白だけは「茜佑くん」とそのままの名前で呼び続けてくれたから、周囲に向けて棘を張り巡らすことが馬鹿らしく思えてきた。

 友人達からすれば真白の態度が面白くないのか、「アカネちゃんの子犬」と真白を散々馬鹿にした。同級生にはやし立てられても真白は動じず、その真っすぐな精神に茜佑でさえ疎ましく思い始めても、真白の信念は他の子と一線を画した。


 真白の弱々しい外見はまさに子犬だった。

 真白は頭も顔も秀でていない、ただ周りの顔色をうかがうことに長けた臆病な子供だ。ごく平均的な家庭で育った真白は名前の如く純粋そのもので、茜佑はその丸くて黒い目で見上げられたら、背筋に甘い痺れが走った。

 それに本当は、真白の名前だって茶化そうと思えばいくらでもできたはずだ。けれど、茜佑だけは一度も口にしたことがない。そのことに気が付いたときも胸がざわついた。

 なんで真白如きに動揺しなければならないのだと苛々したものだ。


 大学を終えて都内の会社に就職すると、茜佑の生活は案外快適なものだ。背が百八十を越えた茜佑を前にし、『アカネちゃん』と呼ぶ強者は絶滅した。昔の友人と遊んでも、誰も茜佑の名前を笑わなくなった。多少なりとも自らの名前を笑い飛ばせるようにはなれた。それでも、色も付いているから、なおさらなれ合うつもりはない。


 コンプレックスも解消され、漠然とした未来を思い通りに描こうとした矢先、真白が引っ越しを考えていると聞きつける。二十四になっても真白との付き合いは続き、案外こいつとの繋がりは強そうだなと思い立つ。


 友人達曰く、昔から茜佑と真白の間にだけ異様な空気が流れていたそうだ。


『真白って首輪の付いていない飼い犬って感じ』

『飼い主の茜佑がリードを付け忘れてんだろう、お前らって無自覚なんだよ』


 友人達の指摘も相まって、茜佑は焦りを感じた。


 ――どう見ても、俺って真白のこと好きなんじゃ。


 そう、茜佑は我に返って真白を同じ部屋に住まわせた。半ば強引に真白を側に置くようにしても、やはり体のほうが反応してしまう。真白との生活は快適この上ないのに、体は苛々する。外で元恋人と会っても気が休まらない。


 同居してからは、両方の家族と友人達が真白との暮らしに口を挟むようになった。反対ではなく、寧ろ真白が心配をされていた。


『息子の茜佑が真白くんに迷惑を掛けていないか?』

『茜佑と二人で暮らしているとか、なにそれ、拉致監禁?』


 真白との友人関係は幼稚園からと長いのに、交際を始めてから一年も満たない。親友の座から唯一無二の存在に昇格できても満足とはほど遠い。茜佑なりに大事に育もうとしても、真白は相変わらず呑気なままで、それが癪に障って仕様がない。

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