第2話

 その二年後。

 レイフは再び、木星を見上げる天窓のあるクリスの部屋を訪れた。


「それは……」


 パーティの用意のされた部屋の中央に、透過セラミック・ケースに入れられた光沢のある金属片が置かれていた。

 形状は少し歪だが、五角錐二つをずらして組み合わせた捻じれ双角錐。丁度、十面体のサイコロのような形をしている。


「ケイ素古細菌のインゴットじゃないか。随分小さいが……」

「ご名答。こいつはカハルルィーク博士の帰還船が、木星バイパスから持ち帰った最初の地球外生命体・ケイ素古細菌界DISE古細菌門(ディスタント・インベーダー・シリコン・エクストリームファイル)のプライム・インゴッド。ちなみに本物だよ。博物館から借りてきた」

「お前……正気か? 酒の席に持ってくるようなシロモノじゃないぞ」


 そう言うと、クリスは嬉しそうに笑う。


「ちょっとしたサプライズだよレイフ。お前の驚く顔が見ておきたかった」

「そりゃ、誰だって驚くだろう。職権乱用もいいところだ」


 そういうと、レイフは持ってきたピザと酒をテーブルに置く。


「計画が計画だけに……なのか、博物館の学芸員も神妙な顔で貸してくれたよ」

「まさか、酒の肴に使われるなんて思ってもみないだろうな」

「このパーティは、検証試験ということになっている」

「だからお前と差し向かいなのか」


 レイフは呆れたようにため息を吐いた。


「お前以外だと、怒られそうだからな」

「僕になら怒られないとでも?」

「少なくとも黙っておいてくれるだろう?」

「こいつ……」


 咎めた目をしながら、持ってきた酒を渡す。


「それに、これ以上ない肴かなと思ってな」

「そのことに異論はないが、後でちゃんと返しておけよ」


 笑って二人は乾杯した。

 ひとしきり酒をあおり、ピザを齧りながら、この二年の苦労話に花を咲かせる。

 静かなパーティが小一時間ほど経ち、酔いも回った頃に、レイフは呟くように「いよいよか」と、木星を見上げ、どうにか感嘆の形で吐き出した。


「複雑そうな顔をしている」

「そういう気分にもなるさ。親友が、生きて帰れるかもわからない旅に出る」

「まだワタシのことを親友と言ってくれるのか?」


 酔いのまわったクリスはクスクスと笑った。


「例えばだ……このまま喧嘩別れをして、お前のことを一生引きずる棘になどしたくないからだよ」

「それは……いいアイディアかも知れない」

「冗談でもやめろ」


 そう言いあって、二人は静かにまた笑う。


「いや、今生の別れをしておこうとか、そういうわけじゃない。亜光速宇宙船のDLESSを手掛けてくれたのは助かったよ。お前は随分と、この計画には反対していたからな」


 DLESS(ディープラーニング・エキスパンション・サンプリング・システム)は高分子コンピュータと、そのオペレーティング・システムの総称だ。

 ケイ素古細菌を用いて、人の脳のニューラルネットワークを再現し、それを高分子構造の集積回路とする。

 カハルルィーク博士の帰還船が齎したケイ素古細菌界DISE古細菌門。

 その活用のうちでも、技術革新となった内の一つだ。

 レイフの専門は、この高分子コンピュータの設計とシステムの構築。

 脳神経細胞を模倣した基幹システムで動くDLESSは、世間一般的に使われているものは単なる汎用基盤だが、本来は用途にあわせ専用基盤を用意することで、その真価を発揮する。

 頼まれていたのは、クリス一人で運用可能にするため、亜光速宇宙船を完全自動化するためのDLESS。


「カハルルィーク博士の帰還船に残っていたデータ通り、大赤班に突入した後は、光学系の視覚はもちろん電波系や量子系の計器類も機能しない状況であっても、設定どおりの性能を維持する必要があるからな……DLESSのアーキテクトには、復元されたアインシュタインの脳のニューロン・マップを使って、それ専用のサブライト・オービターの調整をアイザックに頼んだ」


 アイザックは木星生まれの一人で、二人の共通の友人だが、専門がサブライト・オービター・エンジンのため、現在は宇宙船工廠のある月の先進研究計画局に勤めている。


「アイザックは怒っていたんじゃないか?」

「ああ、どうして俺を同行させない、って言っていたよ」

「あいつらしいな」

「他にも方々手を回して、現代最高峰の亜光速宇宙船を用意したつもりだ」

「珍しく大きなことを言うじゃないか。ワタシを安心させるためか?」

「どうだろうな……僕が安心するためかもしれない」

「自信がないのか?」

「カハルルィーク博士の帰還船に遺されていた断片データがあるとはいえども、向こう側がこちらとよく似た宇宙、ということぐらいしか分からんしな……四十年ぶりの、有人による木星バイパス突入だ。アインシュタインの脳を使ったDLESS制御であっても、絶対とは約束できない。そもそも、自動帰還プログラムを組み込んだDLESSを搭載している無人探査船は一隻も帰還していないんだ。楽観は出来ない」

「そういうところは変わらないな」

「お前が、根拠のない自信を持ちすぎなだけだよ」


 そうレイフが言うと、クリスは笑う。


「いや、ワタシだって怖いと思う感情はあるさ」

「そうは見えないんだがね……」


 クリスはシャンパンをチビチビと舐めるレイフを見ながら、微笑んでいる。


「人類最高のメンバーで作り上げた宇宙船に不安はないさ。必ず木星バイパスを突破すると信じている」

「じゃあ、お前の『怖い』という感情はどこから来ているんだ?」


 そう聞くと、クリスはシャンパンを呷る。

 レイフは自分のグラスを見つめながら、飲み干すのを待った。


「木星バイパスを通り抜けた先、木星の向こう側だろうな」

「帰還船に残っていたデータを使って、確か今も……天文学者が宇宙を探し続けているが、見つかってはいない……仮に、別の物理法則の働いている別次元の宇宙だと思うか?」

「多元宇宙論か……ああ、それは怖いな。好奇心とどちらが勝つかと言われれば、恐怖の方が強いかもしれない」

「それは本当に、か?」


 レイフが心底驚いた顔をした。


「お前は私を何だと思っているんだ」


 憮然とするクリス。


「氷の心臓、鋼のメンタル、図太い神経――あと、無限の好奇心」

「それっぽいことを言っているが、酷い言われようだな」

「木星に六年続けて滞在するような人間だしな。自覚ないのか」

「ないなぁ……」


 また二人、酒気を帯びた顔でひとしきり笑う。


「木星バイパスの向こう側に何があるか……か」

「それが怖くもあり、恐ろしくもあり、しかし、それゆえに興味は尽きない。恋焦がれるほどに」


 窓の外の木星を見つめながら、クリスそう、愛おしそうに語る。


「カーライン博士を神聖視しすぎじゃないかと思っていたが……」

「それも違いないさ。私が最も敬愛するのは、偉大なるアルバート・アインシュタイン博士を超えて、カーライン・カハルルィーク博士だよ。それほどに『カハルルィーク博士の帰還船』は私に感銘を与えた」

「だから往くのか」

「ああ、カーライン博士が何を見たのかを知りたい。何があったのか、それをこの目で目撃したい。誰かが命を懸けねばならないというのなら、私の命を賭けようと決めた」


 決意表明のようにレイフに伝える。

 二人きりの祝いの席は、クリスがこの言葉を自分に伝えるために催したのだと、レイフはようやく理解した。

 心変わりさせられるのではないか、或いは、クリスは引き留めてほしいのではないだろうか、と思っていたレイフは自分の浅はかさを笑い、グラスを掲げた。


「無事に帰ってこい」

「ああ、帰ってくるさ」

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