俺はこの手で、お前の・・・

munagotonosora

第1話 『 憎悪 』の『 決意 』

雨だった。


アスファルトを叩く音が、まるで鎮魂歌のようにしつこく耳に残る。

俺は薄暗い自室の窓から、濡れた街をぼんやりと眺めていた。

カレンダーの日付は、赤く塗り潰されている。

今日で、ちょうど一年だ。


水原美結みずはらみゆが死んだ。


その報せは、一本の無機質な電話で告げられた。

俺たちがささやかな未来を誓い合った、まさにその翌週のことだった。


 「お腹に、新しい命があるの」


そう言ってはにかんだ彼女の笑顔が、瞼の裏で何度も明滅しては消える。

幸福の絶頂から、奈落の底へ。

神がいるのなら、そいつは相当に悪趣味な脚本家だろう。


美結みゆの死は、事故として処理された。

歩道に車が突っ込んできた、と。

そして、その現場には美結みゆだけでなく、一人の少年が一緒にいた。

当時まだ大学生のガキだった。


おかしな話だった。

美結みゆはその日、大事な用があると言っていた。

しかし、大学生の知り合いがいるなんて、俺は一度も聞いたことがなかった。


 「どうやら、ただの事故じゃないらしい」


葬儀の後、美結みゆの友人が、声を潜めてそう教えてくれた。


事故の直前、


 「美結みゆと少年が路上で、楽し気に話しているように見えた」


という目撃証言があるのだ、と。

さらに、別の目撃者はこうも言ったらしい。


 「車が来る直前、少年がふざけて女の人を突き飛ばしたように見えた」と。


その言葉が、俺の中で最悪のシナリオを組み上げた。

ガキがふざけて美結みゆを突き飛ばした。

そこへ、運悪く車が――。


   * * *


俺は警察に何度も食い下がった。

だが、担当刑事の答えはいつも同じだった。


 「少年は重要参考人だが、今は相当なショックで多くを語れない」


結局、捜査は事実上の打ち切り。

少年は一度聴取されただけで、何の罪にも問われることなく日常に戻っていった。


納得できるはずがなかった。

権力か。

金か。

あるいは、俺の知らない何かなのか。


真実はどうあれ、事実は一つだけだ。

俺の腕の中で笑うはずだった女と、その腕に抱かれるはずだった我が子は、もうこの世のどこにもいない。

そして、その引き金となったガキは、今ものうのうと、この空の下のどこかで息をしている。


許せるはずがなかった。

法が裁かないというのなら、俺が裁く。

だが、ただ殺すだけでは生ぬるい。

それでは、美結みゆの無念も、俺の絶望も、何も晴れはしない。


絶望には、絶望を。

喪失には、喪失を。


奴にも味あわせてやるのだ。

人生で最も輝かしい幸福の瞬間に、その全てが音を立てて崩れ落ちる、あの地獄を。


お前がいつか誰かを愛し、家庭を築き、子供を授かる。

その時を、俺はじっと待ってやる。

そして、お前が幸福の絶頂にいるその瞬間に、お前の妻を、この手で――。


俺は机の引き出しから、一枚の写真を取り出す。

無邪気に笑う美結みゆと、その隣で少しぎこちなく微笑む俺。

写真の中の俺は、まだ何も知らなかった。


 「見ててくれ、美結みゆ


俺は写真に語りかけると、それをそっと胸ポケットにしまった。

窓の外では、まだ雨が降り続いている。

この数か月、俺の心の中から、この冷たい雨が止んだことは一度もなかった。


 「俺はこの手で、お前の……」


俺は、一度深く呼吸をした。


 「お前の幸せを壊し、俺と同じ気持ちを味あわせてやる」


こうして、俺、黒瀬結弦くろせゆづるの復讐が始まった。

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