第4話

ふゆの日差しがまばらな雲をとおして、ふる石橋いしばしの上にまだらな光と影を落としていた。

橋の下では渓水けいすいがさらさらと流れ、数人の農夫のうふが岸辺で洗濯をしている。時おり顔を上げ、この貴族きぞく領と市井しせいの町をつなぐ古道を見やり、二つの世界が交わる一瞬をのぞき見るかのようであった。


アルマン・ド・ヴェルヴォーが家を出てまだ一日しかっていないというのに、心はずいぶん軽くなっていた。田舎の空気には土と草の香りが混じり、屋敷の冷たい香油こうゆの匂いとはまるで違っている。彼は馬を進めながら、興奮と同時にわずかな戸惑とまどいを覚えていた。これからどこへ向かうべきか――。


手綱たづなを引き、馬に水を飲ませ、自分は思索に沈む。家族の重荷、未来の不確かさ……。馬が飲み終えると、自ら石橋へと歩み出た。アルマンが気づかぬうちに、対面からも一騎が近づいてくる。


「パタッ――ヒュッ!」

ひづめと靴の音がほぼ同時に響き、二頭の馬がすれ違った刹那、小腿しょうたいがかすかに触れ、馬は驚いていなないた。


「やあ!」澄んだ嘲笑ちょうしょうが静寂を破った。

ぼっちゃん、馬まであなたのように物思いに沈んでいるのかい? 人にぶつかっておいて、『失礼』の一言もないとは。腰のその立派な佩剣はいけんが、貴族の謝罪状ってわけ?」


アルマンは思考を引き戻し、視線を相手に向けた。

そこにいたのは一人の青年。外套は色あせ、袖口には細かなほつれが見えるが、彼の快活な気配を少しも損なってはいない。軽やかな足取り、口元には挑発的な笑み。手の中で細剣さいけんをくるくると回し、まるで武器ではなく遊戯への招待状を操るかのようだ。


けなかったのは君のほうだろう。謝罪してもらおう。」

アルマンは眉を寄せ、いかりを隠せぬ声で言った。


「おや、謝罪?」青年は眉を上げ、軽薄に笑う。

「坊ちゃん、僕が謝ったら君の足は治るのかい? それなら宴会で自慢できそうだ。」


橋のそばの農夫たちはこらえきれずにくすくす笑った。

アルマンの胸に緊張が走る。彼はこの無意味な挑発を何より嫌った。まして見知らぬ者たちの前で身分を露わにすることなど。しかし青年の軽口は、彼を騎士の誇りの境界へと追い詰めていく。


アルマンはゆっくりと馬から降り、靴を石橋に踏みしめた。その所作は儀礼のごとく静かで確かだった。右手で剣を抜くと、刃は陽光に冷たい輝きを返し、青年の細剣の軽やかさと鮮やかな対照をなした。


「そこまで言うなら。」

声は氷のように冷えきっていた。


二人は数歩の間隔を置き、剣先を交わらせる。空気が凍りつき、渓水のせせらぎさえ遠くなる。


「――受けてみろ!」

アルマンが先に動いた。もっとも基本で確実な面突きを放つ。だが青年は身をかわさず、口笛をひとつ吹くと、剣柄けんがらでアルマンの剣先を受け止め、すぐに握りを変え礼剣れいけんを引き抜いた。それは剣というより、太めの刺繍針を思わせる形状だ。


青年の剣がさやを離れるや、前へ百八十度転じてアルマンの頭頂を狙って落ちる。

アルマンはおお吃驚びっくりして息をんだ。

すぐにさとった――これは学院がくいんならった正統せいとう撃剣げきけんかまえではない。

それでいておどろくほどしなやかで、わざ狡猾こうかつにして意表いひょうき、どんな決闘けっとうでも誰一人ひとりとして予想よそうできぬ一手いって

アルマンはあわてて身をのけぞらせ、佩剣はいけんもどし、青年の剣を払いとそうとした。


「チン!」

剣と剣がぶつかり、火花が散る。青年は一歩退きながらも、唇に得意げな笑みを浮かべた。

「いい剣筋だ、坊ちゃん。やっぱりただ者じゃないね。」


アルマンは黙したまま、長剣を操り反撃する。動きはよどみなく鋭い。数合交え、青年は連続して後退し、背中が橋の欄干らんかんに迫った。


アルマンがさらに踏み込もうとしたその瞬間、青年は不意に剣を収め、後方へ軽く跳ぶ。猫のようにしなやかに欄干へと着地し、足を宙にぶら下げたまま深淵しんえんを恐れる様子もない。


「もう十分だ、十分!」

彼は白い歯を見せ、にかっと笑った。

「今日は最高だ。君は今までの相手よりずっと強い。」


剣を鞘に戻す所作はまいのように滑らかで、その笑顔は旅する侠客きょうかくのように自由だった。


「面白いな、坊ちゃん。君、ただの小貴族じゃないだろう。名前は?」

青年の瞳は明るく、賞賛と好奇の色を帯びていた。


アルマンは剣を握ったまま沈黙した。だが心中は激しく波立っている。

この青年――貴族には見えず、市井にも似ず。破れながらも高価な細剣は、忘れられた栄光を秘めている。アルマンの脳裏に「侠盗きょうとう」という像がよぎった。規則の外に生きる者、その輝き。


「僕の名はリュシアン、リュシアン・ヴァルモン。」

青年はアルマンが答えないのを見て、自ら名乗った。

「ヴァルモン子爵ヴィコント末裔まつえい――少なくとも父はそう言ってる。でもね、人はみな僕を商人みたいだって言う。貴族らしくないことばかりしてるって。構わないさ、どっちも正しい。僕はただ、誰よりも自由に生きてる。」


アルマンの胸にいなずまのような衝撃が走った。

目の前の人物は、彼の知るどの範疇はんちゅうにも属さず、自ら一つの世界を成している。規則を超えて輝く星――それが彼だった。


「君は?」

リュシアンは眉を上げ、純粋な好奇心だけを宿した目で問いかけた。


アルマンはゆっくりと剣を鞘に納め、「カチリ」と小さな音を響かせた。

彼は愛馬あいばの手綱を引く。野性味あるはずの馬も、主の手に従って静かに落ち着いていく。動作は落ち着き、視線から冷たさが消えていた。


「ヴァルモン子爵? 聞いたことがないな……。なぜ自分の領地にいないで、このコーンウォール伯爵コントの領内に?」

アルマンは疑念を込めて尋ねた。


青年は目を輝かせ、「シュッ」と欄干から飛び降りた。

着地の音もなく、まるで空気が道を開けたかのようだ。

「おや、君はコーンウォール伯爵家の息子か? それは光栄だ。僕の父がよく言っていてね――」


「違うよ!」

アルマンは思わず声を張り上げ、彼の言葉を遮った。

理由はわからない。ただ自分だけが情報で劣る不均衡ふきんこうの中にいるような感覚が胸を締めつけた。

兄がかつて語った――情報を欠く者は相手より勝機をも失う、という言葉が脳裏をよぎる。

その瞬間、アルマンは他の迷いをすべて脇に置き、この「ヴァルモン家」が何者かを突き止めたい一心に駆られていた。


青年は興味深そうにアルマンを見つめ、やがて呵々かかと笑うと馬にまたがった。

「知りたいのか、僕がなぜこんな所まで一人で来たのか。面白い。ついて来れば教えてあげる。」

そう言い残し、軽く脚で馬腹を蹴ると、馬は元来た道をゆったりと歩み出した。


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ラ テュリップ @Cipio

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