第43話
朝の光が白い石畳を淡く照らしていた。
伯爵邸の客間の窓を開けると、澄んだ空気が流れ込み、昨夜の緊張を静かに洗い流していく。
頬を打つ風は冷たいが、どこか活気を帯びていた。遠くから市場のざわめきが微かに届く。
扉を叩く音がする。
「外務卿がお待ちです」
執事の声に頷き、颯真は扉を開いた。
カイエルが廊下に立っていた。
紋章入りのマントを肩にかけ、青年らしい顔にわずかな眠気を残しているが、その瞳は朝の光よりも澄んでいる。
「準備は整いましたか」
「ええ」
「では市場より先に、商業ギルドをご案内しましょう。昨夜から興味をお持ちでしたね」
意識の奥に、穏やかな声が小さく響いた。
ポット:「先生、良い順序です」
颯真は眉をわずかに動かすだけで答えなかった。
石畳の路地に馬車が停まり、黒い外套を羽織ったカイエルが待っていた。
軽く顎を上げ、短く告げる。
「さあ、ギルドまでご一緒しましょう」
颯真は静かに頷き、馬車へ乗り込む。
車輪が石畳をきしませながらゆっくりと動き出した。
窓の外には、朝日を浴びた白石の街並みが流れていく。
昨夜の雨で濡れた石畳は淡い光を返し、通りには香草を積んだ荷車、朝市へ向かう商人の姿がちらほら見える。
露店の女たちは手早く布を広げ、パンの焼ける匂いが風に乗って馬車の中へ流れ込んだ。
颯真は窓枠に指をかけ、静かに街を眺めた。
石造りの尖塔や天秤の紋章が点在し、見慣れぬ景色の中にも、人の営みが地球の早朝を思わせる。
カイエルは隣で目を細め、街並みを一瞥しただけで言葉を足さなかった。
馬車は小さく揺れながら、王都中央の広場――商業ギルド本部へと向かっていった。
朝の王都アルディアは、すでに活気に満ちていた。
白石の城壁の向こうから、荷車を引く農民の声、商人の呼び込み、鍛冶場の金属を打つ音が重なって響く。石畳の大通りには色とりどりの布を掲げた商人、香辛料を炒る料理人、露店を冷やかす市民が絶え間なく行き交い、路地からは焼きたてのパンの香りが漂ってくる。広場では大道芸人が子供たちを集め、白い鳩が朝日にきらめいて旋回していた。
颯真はその賑わいを一歩ごとに観察した。
「……なるほど。混沌という言葉が近いですね」
隣を歩くカイエルが苦笑を浮かべる。
「美しいのは建物ばかり。中身は案外、泥臭いものです」
そのとき、意識の奥に澄んだ声が響いた。
ポット:「先生、通貨単位のデータ収集が完了しました」
颯真はわずかにうなずく。
ポット:「この国の貨幣価値を、日本円に置き換えて説明します」
ポット:「まず銅貨。1枚はおよそ100〜500円。パン1個、安い食堂のスープ、ろうそく数本が買えます」
ポット:「次に銀貨。1枚で1万〜2万円。庶民が1週間暮らせる額、一般的な旅籠1泊、熟練職人の日当がこの範囲です」
ポット:「金貨は10万〜20万円。馬1頭、質の良い武具一式、小商人の1か月分の売上に相当します」
ポット:「最高額の白金貨は100万〜200万円。屋敷や土地の取引、大規模商会の資本金レベルです」
颯真は歩を止めず、視線を前に向けたまま聞き入った。
ポット:「庶民が1か月最低限の生活を送るなら銀貨2〜3枚。きちんと暮らすなら銀貨5枚。熟練職人の月収は銀貨20枚前後、成功した商人なら金貨単位が動きます」
「ひとつ確認したいことがあります」
颯真はカイエルに視線を向ける。
「私が持ち込んだ異国の品をここで売り、この国の貨幣に替えることは可能でしょうか」
カイエルは短く考え、うなずいた。
「正規の税を納めれば問題ありません。何をお持ちなのですか」
「鋼鉄のインゴットです」
青年伯爵の瞳がわずかに光る。
「鋼鉄、それは貴重です。ぜひ売っていただければ、多くの職人が助かるでしょう」
ポット:「先生、需要は高いです」
ポット:「先生がこれから売却予定の鋼鉄は、庶民数十年分の生活費に匹敵します。注目を集めるのは必然です」
颯真は軽く息を吐き、石畳の上に射す陽光を胸に収めた。
視界の先には、白石造りの柱が林立する巨大な建物が近づいてくる。正面に掲げられた天秤の紋章が朝日を受けて金色に輝いていた。
広場に面したその建物――王都随一の規模を誇る商業ギルド本部である。門前には荷を担ぐ商人が列をなし、衛兵が書類と荷物を照合している。粗末な麻服の男もいれば、金糸を縫い込んだ衣を纏う商会長らしき人物もいる。庶民と富豪が同じ門をくぐる姿に、この国の不均衡さが露わになっていた。
カイエルが肩越しにささやく。
「ここが王国の心臓部。商業の記録はすべてここに集まります」
颯真は視線を門に向けたまま静かにうなずいた。
(この国を動かしているのは、やはり金か)
内部は外観以上に雑然としていた。帳簿を抱えた書記官が走り回り、検査官が大声で品名を読み上げ、商人たちが口角泡を飛ばして値を争っている。石の床は泥で黒ずみ、壁の大理石だけが無駄に光を放っていた。
颯真は周囲を見渡し、心中でつぶやく。
(秩序立っているわけではない……だが、ここで動く金がこの国を支えている)
カイエルが窓口へ導くと、帳台の向こうで職員が顔を上げた。
「ご用件は」
颯真は軽く頷き、静かに告げる。
「鋼鉄のインゴットを。1kgを5本、売却したい」
職員は怪訝そうに眉を寄せる。
「ここに出してもよろしいですか」
「お願いします」
颯真が指先をかざすと、空間がわずかに揺れた。次の瞬間、黒光りする金属塊が机の上に静かに並ぶ。1kgのインゴットが5本。机がきしみ、周囲の視線が一斉に集まった。
「収納魔法……?」
「今、何もない空間から……」
ざわめきが走る。
検査官が秤に載せ、表面を削って試薬を垂らした。
「純度はほぼ完璧。不純物が見当たらない」
隣の職員が重さを確認し、顔を見合わせる。
「1本金貨10枚。5本で金貨50枚を提示します」
商人たちが息を呑んだ。
「金貨50……!」
「馬が何十頭も買える額じゃないか」
颯真は落ち着いた声で答える。
「了承します」
金貨の袋が机に置かれ、じゃらりと鳴った。さらに人だかりができ、視線が集まる。
そのとき、責任者らしい中年の書記官が現れ、深々と頭を下げた。
「これは通常の取引を超えています。ぜひ正式に、商業ギルドへご登録ください」
「登録すると、どのような利がありますか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます