第31話

エピローグ


病室の窓際に置かれた椅子に、颯真は静かに腰を下ろした。

モニターの電子音が一定のリズムで鳴り、点滴の滴が静かに落ちる。


「先生」

ベッドに横たわる初老の男性が、不意に口を開いた。声は落ち着いていて、どこか遠くを見るようだった。

「私はね、これまでに何度も病院を渡り歩いてきたんだ」


颯真は頷き、黙って耳を傾けた。


「若い頃に心筋梗塞で倒れたときもあった。あのときは“運が良かった”って言われたよ。

 妻は必死に医師に食ってかかっていた。“もっとちゃんと助けてください”ってな。

 ……結局助かった。だが、その妻は数年後にがんで亡くなった」


男性は目を閉じ、吐息のように続けた。


「医師は“最善を尽くしました”と言った。

 でも私には、それがどういう意味なのか、ずっと分からなかった。

 救えないものを救えないと言ったのか、それとも全力を尽くしても届かなかったのか。

 結局、どちらなのかは最後まで教えてもらえなかった」


颯真は言葉を挟まず、ただ静かに見守った。


「だからね、私は思うんだ。人間の医師ってのは、結局“感情”に揺れる。

 “助けたい”っていう思いに縛られて、時に患者を苦しませることもある。

 だから、私は……」


男性の言葉が途切れ、しばし沈黙が流れた。やがて彼は瞼を開き、真っ直ぐに颯真を見た。


「私は大多数の医師よりも……AIに判断を委ねたいんだ」


静かな声に、颯真は息を呑んだ。


「人は感情に流されるだろう? “まだ大丈夫だ”とか、“希望を持ちましょう”とか……そういう慰めはいらない。

 救えるなら救う。救えないなら、“無責任に放置するしかない”と、淡々と告げてほしい。

 AIはそうしてくれると信じてる」


薄く笑うその表情は、諦めでも絶望でもなく、奇妙な安堵を含んでいた。


颯真は深く息を吸い込む。

AIに似た知力を持ちながら、自分は人間である。

だからこそ、この問いにどう応えるかを選ばなければならない。


「……もし救える方法があるなら、私はそれを提示します。

 そして救えないときには、“放置するしかない”と言うのではなく……最後まで、あなたの傍にいます」


男性は瞼を閉じ、微かに口元を緩めた。

それは言葉以上に深い、信頼のしるしだった。


やがて男性の視線が、颯真の胸元に落ちる。

白衣に揺れる名札には、確かにこう記されていた。


——「千葉大学医学部附属病院 研修医 神谷颯真」。


モニターの音は変わらず、静かに響いていた。

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