第2話:変化
何が起きたの? 記憶が少し曖昧だ。
確か……学校で告白して、振られて、そのあと家に帰る途中で……。
光?
そのあとのことはよく覚えていないけど……たしか、異世界に来たんだと思う。
だって剣も奴隷も、そして竜までいたんだから。
ん?
そうだ! 私は竜に喰われたんだ!! そしてそのまま胃の中に落ちて……死んだ、はず?
そのあと何かが起こった気がするけど、まるで霞のかかった夢みたい。
周りを見渡すと、私は外にいた。……もしかして竜に排泄された?
いや、そんな感じじゃない。でも体中が血まみれだ。まるで赤い絵の具を浴びたみたい。
身体の一部だけが見えていて、肌がところどころ露出している。
どこか怪我したのかな?
たしか、あの竜に喰われた時、足を切り落とされたはずなんだけど……不思議と痛みはない。
むしろ、妙な感覚がある。……でもちゃんと足の感覚はある。
これ、なに?
まだ白いものに包まれていた足を引き抜き、手で血を拭おうとした瞬間――
「ぎゃあああああっ!!」
手を見た私は叫びながら跳びのいた。
手が普通じゃない。指先から肘まで、黒い金属か石のようなもので覆われている。
「な、なにこれぇ!?」
腕を回して観察する。感触は変だけど、足のときと似ている。
血と白い殻を剥がして足を確かめると、そこにも同じような黒い構造物があった。
硬くて丈夫なのに、妙にしなやかで普通に動かせる。
手も足も、ちゃんと動く……でも気持ち悪い。まるで呪われた鎧でも身につけているみたい。
これ、取れるのかな? それとも……これが私の足になったの?
頭の中が疑問でいっぱいになるけど、正直もう考える気力もない。
これ以上、頭を使いたくない。
……
ここは、どこ?
汚くて臭い。いや、私自身もぐちゃぐちゃなんだけど。
それでもこの臭いはひどい。鼻を突く、腐った卵と焦げたマッチの混ざったような匂い。
化学の授業で聞いたことある。硫黄って、腐った卵のような臭いがするんだっけ。
ここ、火山?
風の音がものすごく強い。たぶん相当高い場所にいる。
すごい……嗅覚も聴覚も、前よりずっと鋭い。
遠くで飛んでる鳥の声まで聞こえるし、うっすらその匂いも感じ取れる。
あっちの方向かな? ……すごい、目まで良くなってる。
あんな遠くの鳥が、まるで目の前にいるみたいに見える。
これも、腕と足の変化のせいなの?
足元の血だまりを覗きこむ。
真紅に透き通っていて、鏡のように私の顔を映している。
私の顔、ちょっと違う……。
似てはいるけど、少し違う。
髪も長くなってる。肩までだったのに、いまは背中の半分くらいまである。
でも一番変わったのは、目だ。
虹彩が血のように赤く、瞳孔は猫みたいに細長い。
気持ち悪い。どうしてこんな体に?
消化されてる間に、いったい何が起こったの……。
ていうか、なんで生きてるの? 普通なら体ごと溶けてるはず。
なのに私は無傷どころか、いろんなところが変わってる。
周囲を調べようと立ち上がろうとした瞬間、バランスを崩して顔面から転んだ。
もう一度立ち上がろうとしても、また転ぶ。何度やっても同じ。
どうして歩けないの? 足はちゃんとあるのに……。
四回目でようやく立てた。ゆっくりと歩き、巨大な石のすり鉢のような場所の縁まで向かう。
足元には、焼け焦げた木片や人骨、獣の骨が散らばっている。
ここ……竜の巣?
冷静に考えたら気味が悪いけど、不思議と何も感じない。
昔の私なら悲鳴を上げていたのに、いまはただの風景にしか見えない。
縁までたどり着き、少し苦労してよじ登ると――やっぱり。
ここは火山……いや、超高い山の上だ。
下りるなんて無理。登山なんてしたことないし、体力もない。
どうしよう……。
しばらく考え込んだあと、元の場所に戻って何か手がかりを探す。
でも見つかったのは、私と同じくらいの大きさの白い球体が六つ。……卵?
私が出てきたのも、これ……? 私、卵の中にいたの?
考えたこともなかった。どうして……?
ああ、もう考えるなって決めたのに。頭がまたパンクしそう。
卵って、たしか栄養あるよね。開けて食べたら、少しは考えがまとまるかも。
いや、待って。中に人間がいたらどうするの?
そんなの絶対イヤ。……でも竜の子だったら? まあ、それならいいかも。
あいつに喰われたんだし、その仕返しに子を一つ食うくらい、いいでしょ……。
でも、もし人だったら……出しちゃったせいで死んじゃったら……。
「うぅぅ……もういい! やるしかない!」
卵は見た目より軽かった。片手でも持ち上げられる。
じゃあ、壊すのも簡単そう。
頭上まで持ち上げ、前の岩にぶつける準備をする。
「いくよ……いち、にい、さ――」
カウントを終える前に、山の下から「ドゴォォン!」という大きな音。
木が折れ、岩が砕けるような音。
なに、これ?
卵を抱えたまま縁へ近づく。途中で、砕ける音が止まり、代わりに風を切る音が響いた。
大きな翼が空気を裂くような音。
「グルァァァァァ!!」
この咆哮……あの竜だ!!
考えるより先に、巨大な影が山の上へ舞い上がり、さらに上空へ。
そして急降下して巣の中に降り立った。
夜のように黒い鱗、血のように赤い瞳。
体長十メートルを優に超える巨体。翼はその四倍。
けれど一番目を引いたのは、腕と脚――私と同じ形をしていた。
ただ、膝だけが逆に曲がっている。
その恐ろしい目が、私と、私の手の中の卵を見た。
ご、ごめんなさい! 勝手に持っちゃって!!
慌てて両手を上げた瞬間、勢いで卵を放り投げてしまった。
「まっ――」
「グロォォォ!」
言葉を交わす間もなく、卵は地面に叩きつけられ、
鈍い音とともに地面にひびが入った。
軽くて脆いはずじゃなかったの!?
砂煙が晴れると、卵には大きな亀裂が走り、
やがて崩れて血の水たまりになった。
中から小さな生き物が転がり出るが、すぐに痙攣して動かなくなった。
竜は呆然とその小さな命を見つめている。
私はおそるおそる口を開いた。
「お、おめでとう……たぶん女の子、かな……はは。冗談です。」
震える声で苦笑する。緊張と恐怖で頭がどうかしてる。
竜はゆっくりとこちらを向き、次に残りの五つの卵へ視線を移す。
そして気づく――六つ目の、割れて血まみれの卵。
そう、私が出てきたやつ。
これじゃ、まるで私が卵を壊して喰った侵入者みたいじゃないか。
「グラァァァァァァァァァ!!」
竜が天を仰ぎ、怒り狂ったように咆哮した。
鼓膜が破れそう。完全にキレてる!
口を開け、喉の奥が黄色く光る。
やばい!!
逃げようと体をひねったが、足がもつれて転ぶ。
必死に立ち上がった瞬間、炎の奔流が唸り声とともに放たれた。
巣ごと飲み込む火炎。
死ぬ! そう思ったのに。
数秒後、顔を覆っていた腕を下ろすと……竜が驚いた顔で私を見ていた。
私も驚いた。
焼け焦げ一つない。血だけが蒸発して、
その結果、衝撃の事実が露わになった。
裸だった。
今さら気づく。
恥ずかしいよりも、体の変化の方に意識が向く。
小麦色だった肌は白く透き通り、身長も少し縮んで痩せている。
それに――胸が、でかくなってる!? な、なにこの魔法……すご……くんくん。
いや、今はそれどころじゃない!
竜はますます顔を歪め、憎悪に満ちた表情を向けてきた。
「ま、待って、ちが――ぐっ!」
言葉の途中で、尾が横薙ぎに飛んできた。
強烈な衝撃。体が吹っ飛び、巣の端を突き破って宙に放り出される。
そのまま山肌を転がり落ちながら、土煙を上げて墜落する。
「グロォォォォォォォォ!!」
黒竜が天に向かって吠えた。
その咆哮は、まるでこの山が――奴の縄張りだと宣言するかのようだった。
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