第9話 告白
良樹と市原慎司は部活でサッカー部に入ってる。だから部活の有る日は帰りの時間が志保と合わないのだが、志保はいつも部活が終わるのを待っている。図書室で時間を潰してるらしい。
「別に待ってなくても、先に帰っていいんだぜ?」
何回もそう言っているのだが、志保はそれでも待っている。たしかに逆の時は良樹が待ってるけれど、でもそれは女の子1人の夜道が危ないからで、なんかあったら父の樹に怒られるという恐怖があるからだ。
その日、志保は休み時間に良樹のところへ来て、申し訳なさそうにこう言った。
「ゴメンね、よしくん。今日は美咲ちゃんちで中間テストの勉強をすることになったの……だから、先に帰ってもいい?」
「いや、別にいいって。前から何度も言ってんじゃん。俺が部活の日は先に帰っていいんだぜって」
「そうだけど、1人で帰るのつまんないんだもん」
志保は口を尖らせながらそう言った。まあその気持ちは良樹もわからないでもない。
「まあそれはいいけど、帰りあんまり遅くなるなよな。1人なんだからさ」
「うん、わかってる。あんまり遅くならないようにするから。でも美咲ちゃんの家からウチまでは商店街をずっと歩くんだから、大丈夫だと思うよ?」
そういう問題じゃねーんだよと言ったら志保は首を傾げて「じゃあ、どういう問題なの?」と言った。
「スゴイね。一緒に帰れないって、わざわざ言いに来るの?」
志保が自分の席に戻ると、会話を聞いていたのだろう、いつの間にか席に戻ってきた渡辺が少し驚いたような顔をしてそう言った。
「何? 一緒に帰らないといけない決まりとかあるの? 破るとお仕置きとか」
「んなもんねーよ。前から俺が部活の日は先に帰れって言ってんだけど、1人で帰るのはつまんないんだってさ。まあ俺もそうだから気持ちはわかるけど。あ、でも父さんに志保を守ってやれって厳命されてっからさ。アイツになんかあると俺が父さんに殺されるかも」
「ふーん……」
渡辺は、何故かまた意味深な表情だった。最近こんな表情の渡辺をちょくちょく見る気がするのは良樹の気のせいなのだろうか。
「ねえ、川島くんってさ」
「ん? 何?」
「……ううん。何でもない。ねえ、川島くんと槙原さんていつ頃からの付き合いなんだっけ?」
「付き合いっていうのが何かヤダけど、アイツが小3の時ウチに引っ越してきて以来だよ」
良樹は渡辺に、川島家と槙原家の関係をかいつまんで話した。
(考えてみれば、渡辺にこんな話をした事ないな)
ということは、もしかしたら渡辺も何か自分たちを誤解してるのかも知れない。それはちょっと困るかも、と良樹は思った。
「ふーん、川島くんのお父さんってそんなに怖いの?」
「そりゃ怖いよ。ただでさえ中学の体育教師なんだぜ? 身体ムキムキでさぁ。手加減とか知らないから、俺が痛いって言ってるのに止めないしさ。そんなの小さい頃からやられてみ? 絶対トラウマものだから」
「あー、体育の先生ってやっぱりどこの学校でも同じ感じなんだ」
「同じなんじゃない? 他の学校の先生知らないけど」
「なあんだ。知らないんじゃ、わからないじゃない」
「そうだけど、そんな感じしない? 体育の教師なんてみんな似たようなもんだと思うんだけどなぁ」
先生が教室に来たので話はそこで終わってしまった。
部活を終えた良樹は、みんなと別れて帰り道を歩いていた。1人での帰りが初めてなわけではないけれど、いつも一緒にいる人がいないというのは、やっぱり何かヘンな感じがした。
「そういえば、1人で帰るの久しぶりだよな」
前回1人で帰ったのはいつだったろう。たぶん志保が風邪引いて熱出したとき以来だと思う。あの時は志保にお粥作ったりしたっけ。
「あれ、志保は美味しかったって言ってたけど、ホントに美味かったのかなぁ?」
毎日一緒に登下校しているのは、志保が転校してきてから今もずっと続いている。最初は父親から面倒みてやれと言われたから一緒に通い始めたのだが、今ではもうそれが当たり前になっている。
良樹自身はもう別にイヤでもないし、むしろ今日みたいに1人で帰るが違和感を感じるようになってる。
(人間って変われば変わるもんなんだな)
片道30分の道のり。いつもなら志保と話しながらの帰り道。黙って1人で歩いているからなのか、その道のりは2人で歩いている時よりもずっと遠く感じるのが、我ながら不思議だった。
「遠いな……」
彼は無意識のうちにそうつぶやいていた。なるほどね。確かにこれはちょっと退屈かも。
「川島くーん」
ふいに誰かが後ろから彼を呼び止めた。女の子の声だ。誰だろうと振り返ると渡辺が小走りに自分の方へ駆け寄って来ていた。
「あれ? 渡辺? なんでここにいんの? もうとっくに帰ったんじゃなかったの?」
良樹の目の前まで来ると渡辺は立ち止まり、少し息を切らしながら「川島くんを待ってたんだ」と言った。
「待ってた? 俺を?」
「そうだよ。今日は槙原さんが居ないから1人なんでしょ? だから代わりに、私が一緒に帰ってあげようかなと思って」
「俺と一緒に?」
「部活が終わるの待ってたのに、気がついたらいつの間にか終わって川島くん帰ってるんだもん。大慌てで走って来ちゃった」
なんだろう。教室で話している時とは違う。なんだかいつもの渡辺と違って見えるのはどうしてだろう。
「それとも、私と一緒に帰るのはイヤ?」
渡辺は少し前かがみになり、俺の顔を覗き込むようにしてそう言った。妙に子供っぽく見えたけれど、それがまた可愛らしくも思えた。
「それは別にいいけど、でも渡辺ん家ってこっちなの?」
「そうだよ。知らなかった?」
「……ごめん。知らなかった」
「だよねー。いつも槙原さんと一緒だから、他の女の子なんて目に入ってないよねー」
渡辺はちょっとからかうような口調でそう言った。でもなぜか少し楽しそうにも聞こえたのは気のせいだろうか。
「だから志保はそんなんじゃないって」
「あはは、そうだったね。ゴメンごめん。それより帰ろ? 遅くなっちゃうよ?」
それから2人は、今日あったことなどを話しながら並んで歩いた。
渡辺との帰り道は、志保と一緒の時とはまた違った楽しさがあった。それは志保と渡辺との性格的な違いからなのか、それとも他に理由があるのか、そんなこと良樹にはわからないけれど、ただハッキリ言えるのはどちらも楽しいということだ。
通学路の途中に古い神社がある。下祖師谷神明社というのが正しい名前なのだが、地域の住民はみんな、ただ単に神明社と呼んでいる。
そこは本来の帰り道からは外れているのだが、良樹と渡辺は自然とそこへ足を向けていた。
(もうちょっと話してたいな)
良樹はそう思って神明社に足を向けた。渡辺もついてきたということは、多分同じ気持ちなんじゃないかと思った。
2人は、少々罰当たりな話だが、神社の本殿の階段に腰掛けて話をした。会話はいつの間にか誰が誰と付き合っているとか、誰が誰を好きらしいとか、そんないかにも中学生的な恋愛話になっていった。
「そういえば川島くんって、隣りのクラスの市原くんとも仲良いよね。市原くんと一緒に帰ったりはしないの?」
「ああ、アイツとは通学路が途中で別れちゃうんだ。帰ってから待ち合わせて遊びに行ったりはするけど」
「ふーん、そうなんだ……市原くんって結構女の子に人気あるんだよね。好きだっていうコ、多いみたいだよ」
「らしいね。この前も告白されたって自慢された」
「川島くんは市原くんと昔から友達なの?」
「んにゃ、アイツと知り合ったのは中学に入ってから。1年で同じクラスだったんだけど、なんかアイツとは最初からウマが合ってさ。すぐに仲良くなったんだ」
「川島くんも市原くんみたいにモテてみたい?」
「うーん……そりゃあ、まあ女の子にモテたいってのは、男ならみんな思ってるんじゃねーのかな。でも俺は1人の女の子にモテればそれでいいかなぁ」
「えーっ、意外ーっ、川島くんってそんな一途なタイプの人だったんだ」
渡辺は目を丸くして驚いていた。そんなに意外なのだろうか。自分はそんなに惚れっぽく見えるんだろうか。渡辺の反応を見て良樹は、自分自身が周りからどう見られているのか少し不安になった。
「でも、私はそういう人の方が好きだよ」
好きだよ。そのたった一言にドキリとした。自分のことを好きだと言ったわけでもないのに、その一言だけで妙に彼女のことを今まで以上に意識してしまった。
「うん、私はそういう人の方が好きだな。それに川島くんってさ、いつも槙原さんのことをすっごく大事そうに見てるじゃない? 口では色々言うけど。そういう優しいところ、いいなってずっと思ってたんだよね」
(えっ? ずっと思ってた?)
気のせいだろうか、なんだか顔が熱い。
(なんだこれ……なんなんだ、これ)
その後さらに渡辺は「その優しさが私だけに向いてくれたらなって思ったんだ」と続けた。
「やっぱりね、女の子は好きな人には自分だけを見ていて欲しいものなの。自分にだけ優しくして欲しいって。多分女の子はみんなそうなんじゃないかなって思うけど」
「そりゃ男だって同じだよ」
好きな人には自分だけを見ていて欲しい。それはきっと男女関係のない感情だと良樹は言った。問題はそれを口に出せるか出せないかなんだろうと。
「川島くんはどんなタイプの女の子が好みなの?」
「俺? うーん、そうだなぁ……好きになったコがタイプ、かな」
「え、何それ。それって何かずるくない?」
「いや、だってそうとしか言えないじゃん。そういう渡辺はどうなのさ。どんな男が好みなの?」
そう尋ねてから良樹は、急に内心ドキドキし始めた。心臓の鼓動が妙に速くなる。
(渡辺はどう答えるだろう。どんな男が好みなんだろう)
ところがなぜかそれから渡辺は黙ってしまった。考えているのか、それとも何か別の理由からなのか……良樹も何か急に話しづらくなってしまい、2人はしばらくの間何も言わず黙ってしまった。
「ねえ。川島くんって、槙原さんのことが好きなの?」
「はあっ?」
ようやく口を開いたかと思ったら、渡辺は突然とんでもないことを言い出した。自分の質問に対する答えはどこに行ったんだろう?
「な、何言ってんの? 俺と志保はそんなんじゃないって何度も言ってんじゃん。ホントにそんなんじゃないから」
良樹は慌てて否定した。そこを彼にとって本当に誤解されては困るところだ。
「そうなんだ。じゃあ、他に好きなコがいるとか?」
「いないって。好きなコなんていないから」
「そっか」
渡辺はそう言うと、なぜか嬉しそうな顔をした。だが良樹には、彼女がなぜ嬉しそうなのか全くわからない。そして次に彼女の口からこぼれた言葉は、彼にとって思いもかけないものだった。
「じゃあ、さ……私が川島くんのカノジョに立候補してもいいかな?」
「えっ?」
良樹は絶句してしまい身体が硬直してしまった。耳を疑った。いや、正確に言えば何を言われたのかちゃんと理解出来なかった。カノジョに立候補って、いまそう言ったのか? そう言ったよな?
「好きなコがいないなら……いいよね? どうかな?」
畳み掛けるようにそう言われてようやく話が飲み込めてきたけれど、それでもまだ現実味の無い話だと感じていた。今まで女の子から告白なんてされたことが無いから、一体どんな顔をすればいいのか、どんな態度を取ればいいのか全くわからない。良樹は何も答えられずにいた。
「……ダメ?」
しびれを切らしたのか、渡辺は少し上目遣いでさらにそう尋ねた。なんとか冷静さを取戻し始めたけれど、その時良樹の頭に浮かんだのは「女の子には絶対恥をかかすな」という、むかし父の樹から言われた言葉だった。
「いや……ダメじゃないよ。ゴメン、なんか突然だったからビックリしちゃって。全然ダメじゃない」
ダメなわけがない。少なくとも自分だって彼女に好意は持っていたんだから。一緒にいて楽しいし、もっと話していたいって思っているんだから。
「ダメどころか……俺も渡辺のこと前から良いなって思ってたから、だから嬉しいよ」
「なーんだ、川島くんも同じだったんだ。じゃあ川島くんから言ってもらった方が良かったかなぁ。失敗しちゃった」
「だよな。ゴメン、女の子にこんなこと言わせるなんて男らしくないよな」
「それにさっきは好きな女の子なんていないって言ったくせに……ホントは私のことが好きだったんだ?」
「うっ、それは……ゴメン、なんか照れくさくて言えなかった」
「あーでも良かった。川島くんが私と同じ気持ちでいてくれて。勇気を出して告白してフラレたりしたら、私ショックで立ち直れなかったよ」
本当にホッとしたよぉと渡辺は笑った。その笑顔を見ながら良樹は、どうして渡辺は俺のカノジョになりたいと思ったんだろうと思った。
(俺のどこを気に入ってくれたんだろう)
それは聞いてもいいことなのだろうか。それとも今は秘密にしておいた方がいいんだろうか。知りたいような知るのが怖いような気もした。
「今、自分のどこを気に入ってくれたんだろうって思ったでしょ?」
良樹は、えっ! と思わず口に出してしまった。なんでわかったんだろう。
「思ったけど……なんでわかった?」
その質問に渡辺は答えず「ふふふっ」と小さくイタズラっぽく笑うだけ。その笑った顔も声も彼の知らない渡辺だった。
「川島くんってさ、自己評価が低いんじゃないかなって私は思うよ」
「そう、かな」
「そうだよ。他のコはともかく、少なくとも私は川島くんのことカッコイイと思うし素敵だなって思うもん。なんて言うのかな、気が合うって感じ? 川島くんとはフィーリングがピッタリ合う感じなんだ」
それは良樹にもわかった。同じことを思っていたからだ。だから話していてあんなに楽しかったんだろうし。
(でも、あらためて人からそう言われると、なんかこう、不思議と嬉しいもんだな)
こんなこと初めてだった。いや、似たようなことを志保に言われたことがあったかもしれないが、どうだったろう。
それからしばらくして、さすがにもう時間が遅いということで2人はそれぞれの家へ帰ることになった。
「じゃあ川島君、また明日学校でね」
「ああ、また明日な」
手を振りながら帰っていく渡辺の姿を、良樹はそのまま見えなくなるまで目で追い続けた。
「やべぇ、カノジョができちゃったよ。俺にカノジョとかウソみたいだ。夢じゃねーよな」
なんだか頭がボーッとするような、身体がフワフワするような、今までこんな感じになったことない。この感じ、何なんだろう?
「志保のヤツ、なんて言うかな。俺と渡辺が付き合うって知ったら、アイツ、驚くかな」
一瞬志保のことが頭をよぎったが、それもほんとに一瞬のことで、彼はすぐにさっきまでの会話を思い返していた。
その後のことは正直よく覚えていない。気がついた時は商店街を歩いていて、目の前には志保と市川が立っていた。
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