第7話 意外な出会い

 終礼のあと、教室はまだ体育の熱を引きずっていた。


 汗の匂いと、椅子を引く音。


 アキラが水をあおって「最高だったな」と笑う。



 その前で、岡部快がタオルを肩にかけたまま、まっすぐ桐谷瑞稀さんの席へ向かう。



「瑞稀、さっきの俺のスリー、マジで良かったよな? あの角度からノータッチって、普通ないから。ほら、感想くれよ、率直に」



 近い。声も距離も。瑞稀は困ったように笑って、少しだけ椅子を引いた。



「うん、入ってたね。みんな、がんばってたよ」

「みんなは要らんて。俺への、だろ」



 岡部が自分のバッグを肩で跳ね上げた瞬間、後ろの通路でガツンと音がした。


 庵野さんの机の脚にバッグがぶつかったのだ。


 机がずれて、カバンに戻そうとしていたペンケースとノートが床に散らばる。


 水筒が転がって、カランと乾いた音を立てた。



 僕は気づいたら立ち上がっていた。


 

 岡部は一瞬だけ振り返るが、眉をひそめただけで、そのまま桐谷さんの方へ身体を戻す。



「で、瑞稀。今度、放課後シュートフォーム見ててくんない? 横からの動画、女子目線って大事だし」

「……ごめんね、庵野さん。大丈夫?」


 

 岡部がしたことなのに、桐谷さんが先に謝った。


 そのまま立ち上がって、落ちたペンを拾おうと屈む。



「い、いえ……」



 庵野さんは上手く言葉が出ていない。

 岡部の行動に驚いているんだろう。



 喉で迷子になった声が、細くなる。



 僕も屈んで、桐谷さんより先に床のノートを拾い上げた。


 表紙の角が少しへこんでいる。ペンケース、消しゴム、水筒。机を元の位置に戻してから、庵野さんの机に一つずつ置いた。



「落ちたの、全部ある。大丈夫?」

「……あ、ありが、とう。無形くん」



 蚊の鳴くみたいな声。指が震えているのが見えたので、水筒のキャップが締まっているかを軽く確かめる。


 視線を岡部に向ける。彼はまだ桐谷さんに話しかけようとしていた。



「岡部」



 呼ぶと、岡部が顔だけこちらに向けた。



「なんだよ」

「今の、当てたの君だよな。先に『ごめん』がいるんじゃないか?」

「は? ちょっと触れただけだし。通路狭いし仕方ねぇだろ」

「ちょっとでも、机は通路じゃない。ドリブルはコートだけにしろよ」



 言いながら、声は落ち着いたままに保つ。怒りで押すと、余計こじれる。事実だけを整える。


 アキラが横から口を挟んだ。



「岡部、謝っとけ。ソラは空手やってるぞ。怒らせると怖いぞ」

「なんで俺が……」



 岡部は口をへの字にして、渋々と庵野さんの方へ目をやる。



「……悪かった」



 言葉は軽い。でも、出た。それでいい。桐谷さんが小さく息をついて、庵野さんに向き直る。



「庵野さん、本当にごめんね。快くん、もうちょっと気をつけよ?」

「はいはい、わかったよ。でだ、瑞稀、さっきの動画の件なんだけど」

「その話は、またあとで」



 桐谷さんがきっぱりと区切った。教室の空気が、ほんの少しだけ戻る。


 僕は庵野さんに視線を落とす。メガネの奥の目が、慌てて逃げて、またゆっくり戻ってきた。



「ノート、角ちょっとだけ曲がってる。家で重し置けば戻ると思う」

「……うん。だいじょうぶ」

「消しゴム、これ。落ちやすいから、ペンケース閉めるね」

「……ありが、とう」



 言葉の端が千切れそうで、でもちゃんと届いた。僕は頷く。


 岡部が不満そうに「帰るわ」と肩で扉を押し、出ていく。アキラが小声で僕の肘をつついた。



「ソラ、ナイスアシスト。今日、お前のアシストの方が目立ってるかもな」

「はいはい、アキラも桐谷さんにいいところが見せられてよかったな」

「こういうのは、二人で一本だろ」



 アキラが笑う。桐谷さんも「助かった」と目だけで言って、席に戻った。



 庵野さんは、ペンケースのファスナーを両手でそっと閉めてから、たどたどしく頭を下げた。



「……む、無形くん」

「なに」

「その……ありがとう」

「気にしないで。机は誰のでもないけど、ぶつけられるためのものでもないから」



 それだけ言って席に戻る。椅子の脚が床を擦る音。窓の外、放課後の光が少し傾いた。


 背中で、小さく「……うん」という声がした。


 聞こえたふりはしない。けれど、確かに、聞こえた。





 家に帰って、着替えも終えて一冊のラノベを読み終えると喉が乾いて、冷たい炭酸が欲しくなった。



 財布とスマホをポケットに入れて、コンビニに向かう。


 外はすっかり夜で、風が熱を少しだけ和らげている。



 歩いていると、バスン、バスン、と乾いた音がした。


 バスケットボールが地面を叩く音。リズムが一定じゃなく、速くなったり遅くなったり。



 音のする公園を覗くと、コートにひとり。


 制服じゃない。ジャージ姿。



 日野明日香さんだった。



 バスケ部で、クラスの三大美少女のひとり。教室ではいつも元気で、笑うときは大きくて、昼休みには輪の真ん中にいる。



 そんな彼女が、一人で真剣な顔をしてシュートを繰り返していた。



 腰を落としてドリブル。踏み込んで、ジャンプ。

 ネットが揺れて、ボールが跳ね返る。

 額にかかった髪を手で払って、また構える。



 声を出さずに、ただ自分の音だけで練習している姿が、意外で、少し格好よかった。


 見ていることに気づかれたら悪いなと思って、足を止めたとき。



「あれ? 無形くんじゃん。どうしてこの公園にいるの?」



 ドリブルの音に混じって、明日香さんの声が飛んできた。


 顔を上げて、真っ直ぐこちらを見る。



「え……」

「なにしてんの? ストーカー?」

「違う! 家が近くなんだ!」

「なるほど、いいね。ここってバスケットゴールがある公園だから、利用させてもらってるんだ」



 冗談っぽく言いながら、汗を腕でぬぐって笑う。



「……それで? 立ち止まって何しているの?」

「音が聞こえたから。日野さんがコソ練してるのが、ちょっと意外で」

「なにそれ、バスケ部なんだから練習するの当たり前でしょ。ここって夜になると誰も使わないから穴場なんだよね」



 軽く言い返して、またボールをついた。ドリブルの音が少しだけ強くなる。



「でも、一人でだから」

「……一人の方が、集中できるんだよ」



 言って、ボールをリングに放る。シュートは綺麗に決まった。

 落ちてきたボールを両手で受け止めると、彼女は僕をちらっと見た。



「見学料、払ってくれる?」

「……ないけど」

「じゃあ、相手になってよ」



 ボールを僕の胸に軽く押しつけてくる。汗で温まった表面が手に伝わる。



「え」

「今日の部活、快をとめてたでしょ? みんなは高藤くんを褒めてたけど、経験者からすれば、全部無形君の手柄だよ。だから、相手してよ」



 日野さんからの意外な申し出に、少しだけ嬉しくは感じる。



「ドリブルだけでいいから。動いてくれないと、つまんないんだよね」



 いつもの元気な笑顔。でも、さっきまで一人で練習していた真剣な目が、まだ残っていた。



 断れない……よな。



 僕で買ってきた炭酸飲料を彼女に投げる。



「その前に水分補給にどうぞ」

「ありがと。うん! 美味しい」



 少し口をつけた炭酸飲料のペットボトルを投げ返される。


 明日香さんの視線は、リングじゃなくて僕に向いていた。



「いくよ」

「了解」



 ドリブルの音が、夜の公園にもう一度響いた。

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