人外教祖~錆びた鍵の向こう側

奈良まさや

第1話

第一話 錆びた鍵


横浜のはずれ、廃れた商店街の一角に「よろず鍵の長瀬」があった。間口四畳ほどの店内は、合鍵を削る機械音と湯気立つカップ麺だけが支配する静寂に満ちている。


長瀬一馬、三十九歳。二年前に脱サラして飛び込んだこの世界は、期待とは裏腹に月々の収支を赤字へと遠ざけるばかりだった。


「人の心の扉を開ける仕事がしたかったんだがな……」


電卓のキーを叩きながら、営業時代を思い出す。いつも頭を下げ、相手の顔色を窺い、自分を殺して生きてきた十五年間。せめて独立後は、困った人の役に立つ仕事を――そんな甘い理想は、現実の前に脆くも崩れ去った。


そんなある夜、薄暗い店内を閉めようとした瞬間、背後からふわりと冷たい風が通り抜けた。次に意識を失ったのは、鼻と口に押し当てられた布の感触だけだった。


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第二話 影武者の依頼


目が覚めると、コンクリートに囲まれた地下室の白い光。鉄と消毒液の匂いが肺を突く。黒いスーツの男たちが沈黙のまま、不気味に輪を作っていた。


「長瀬一馬さん……いや、あなたには別の役を演じてもらう」


一枚の写真を差し出された。そこに写るのは、自分と瓜二つの男。五万人を率いる新興宗教光明の道の教祖・天城蓮生だった。彼は体調を崩し、公の場に立てない。替え玉として生きろ。拒めば、店も人生も終わる――。


絶望的な二択を突きつけられ、長瀬は静かに呟いた。


「……面白い。営業時代、俺はいつも誰かの操り人形だった。今度は教祖の人形か」


皮肉な笑みが口角を持ち上げる。どうせ這い上がるなら、徹底的にやってやろう。


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第三話 壇上の覚醒


教祖の衣を身にまとい、徹底的な模倣訓練が始まった。抑揚、仕草、指先の角度まで完コピせよという過酷な日々。だが長瀬には、営業時代に培った「相手が求める人間を演じる技術」があった。


次第に教祖の声が自分のものに染まっていく。


初めて迎えた大舞台。五千人の信者が一斉に見つめる視線に、長瀬の胸は高鳴った。


「皆さん、苦しみの中にこそ、真の光が宿るのです」


震える口元から漏れた言葉に、驚くほど大きな拍手が返ってきた瞬間――


「――俺は、人を支配できる」


営業時代、いつも頭を下げてばかりだった自分が、今度は数千の人間を見下ろしている。その危険な高揚感が、背筋をぞくりと這い上がった。


人の心の扉を開けたかった。だが今、俺が開いているのは――支配への扉だ。

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