異世界トリップ維新志士~異世界から還ってきたら倒幕しちゃった~ 吉田松陰編

@Malarkey

第1話

私の名は吉田寅次郎。後の世では吉田松陰と呼ばれるが、今はまだ若輩の身。

養子に入った吉田家で兵学を学び、いかにこの国を守るか日夜思案している。

今日は天気も良い。散歩でもしながら兵学の応用について考えてみよう。

――そう思った矢先である。

ポチャン。

……川に落ちた。


気がつくと、私は見知らぬ川岸に寝転んでいた。

頭上には五月晴れのごとく青く澄んだ空。川面は瑠璃色に輝き、周囲の木々はまるで萌黄色のように鮮やかである。

近くの丘には、不思議な形をした建物が並び、屋根は赤紫色に光り、石でできた塔のようなものからは、白い煙がゆるゆると立ち上っている。

「……ここは……異国、であろうか?」

慣れ親しんだ萩の街でないことは確か。それどころか長州、いや、日本とも思えない。突飛な発想であることは重々承知ではあるが、異国と考えるほかなさそうだ。そうと考えるのならば、幼き頃より、海の向こうの世界に憧れていた私にとって、これはまたとない好機であった。異人と話すことなど、そうそうできることではない。


ほどなく、見慣れぬ服をまとった人々が現れた。ひげを蓄えた屈強な男が分厚い鎧を纏い、大剣を肩に担いでいる。

その隣には、しなやかな体躯に弓を携えた女。尖った耳に、銀糸のような長い髪が輝いていた。

さらに若い男――妙に耳が長く、毛並みのある尾を揺らしているではないか。

普通なら驚いて逃げ出すところかもしれぬ。だが私は違う。

「これは、まさしく異国の民に違いない!」

そう確信した私は、衣を正し、勇んで彼らに歩み寄った。

「我が名は吉田寅次郎。日本より参った。兵学を修めし身にて、そなたらの国風・政事、ぜひ聞かせ願いたい!」

ひげの大男がぎょっとした顔で足を止めた。

「……お、おい、なんだこの変な小僧は。こんな街から離れたところで鎧も着てねぇし武器も持たず……」

弓を持つ女は眉をひそめ、

「訛りが強いわね。でも言葉は通じてるみたいね。こんな服装見たことないけど」

その時、獣耳を持つ若い男がひょいと前に出て、耳をぴくぴく動かしながら言った。

「あー……こいつ、多分“召喚迷子”だろ。いきなりどっかから飛ばされてきた奴」

私は目を輝かせた。

「なるほど! “召喚迷子”とは、この国における侍か、あるいは異国に渡る者の官職であるか!」

三人は顔を見合わせ、一斉にため息をついた。

「……どうする?」

「ほっとけないでしょ。こんな格好じゃモンスターにやられるわ」

「ま、とりあえず街まで連れてくしかなくない?なんか面白そうだし」

かくして私は、かの“異人”たちと肩を並べ歩み出した。

新たなる学問の地に足を踏み入れたことを、私は心の底から喜んでいた。


 城門をくぐった我々は、石畳の大通りを歩いた。両側には背の高い建物が並び、屋台のような店が軒を連ねている。肉を炙る匂いが鼻をつき、見知らぬ香辛料の刺激が目に突き刺さる。

 通りを行き交う人々は、赤や青や緑と髪の色もまちまちで、さらには獣耳や尾を揺らす者、皮膚がトカゲのような鱗で覆われている者までいるではないか。

「こ、これほどの夷狄が闊歩しているとは……! ここは魑魅魍魎の都か!」

 私は両手を広げて叫んだ。通行人たちが足を止めてこちらを見ている。

「なんだあの若造」

「変な格好だな、どこの田舎者だ?」

 囁き声が聞こえたが、気にしてはいられぬ。

「よいか諸君! これぞまさしく攘夷の標的! しかして兵学とは敵を知ることに始まる! 私は攘夷のため、この街のすべてを学ばん!」

 高らかに宣言したところで、ひげの大男に後頭部をぺしっと叩かれた。

「うるせぇ! 目立つだろ!」

「だが攘夷の大義は——」

「いいから来い! ここだ、ギルドだ!」

 彼に腕を引っ張られ、大きな石造りの建物へと連れていかれた。


 中に入ると、ざわめきと酒の匂いが充満していた。長い机にはずらりと人が並び、壁には紙が貼られている。人々はそこから紙をはがしては意気揚々と出ていく。

「こ、これは……! まるで藩の軍役所……いや、兵学所の掲示板に似ておる!」

 私が感嘆していると、長机の奥からまるで絵巻物より飛び出してきたような女性が顔を出した。

「はい次の方どうぞー。……って、あら、新人さん?」

 ひげの大男が顎をしゃくる。

「この小僧を登録してやってくれ。放っとくとモンスターに食われちまう」

 女性職員はにっこり笑い、私に用紙を差し出した。

「ではこちらにお名前と出身地をお願いします」

「名は吉田寅次郎! 出身は日本は長門国萩!」

 私が胸を張って答えると、周囲が一瞬静まり返った。

「ヒ、ヒノモト……? どこの辺境?」

「聞いたことねぇぞ……」

 ざわつきが広がる。だが私は動じない。

「我が国は海の彼方にあり! かの夷狄の侵略を防ぐべく、日夜兵学を修めておる!」

「へ、へぇ……元気な子ねぇ」

 女性職員は困惑しつつも用紙を受け取り、淡々と手続きを続けた。


「それでは職業の欄ですが……」

「兵学者!」

「え? 兵学者……? あの、冒険者の職業で、戦士とか魔法使いとか……」

「兵学者にして戦士! また兵学者にして攘夷論者! いやむしろ兵学者にして兵学者!」

 女性職員は絶句し、横で聞いていた獣耳の青年が机に突っ伏して笑い転げた。

「兵学者にして兵学者ってなんだよ! こいつ最高だな!」

 尖った耳の女(エルフというらしい)は眉をひそめた。

「冗談抜きでどうするの。職業が空欄じゃ登録できないわよ」

 私が腕を組んで唸っていると、ひげの大男がぽつりと言った。

「……無職にしとけ。そっちの方がしっくりくる」

「む、無職だと!? これでも吉田家の人間!藩主毛利家に仕える武家であるぞ!」

(武家ってのはきっと私たちで言う騎士のことよね?てことは、この子実は貴族なの?)

「それに兵学者の誇りにかけて、それは受け入れ難い!」


 しかし職員はもう勝手に書き込んでいた。

「はい、登録完了! 本日からあなたは冒険者です。……無職の」

「な、なんと……この異国では、兵学者は“無職”と同義なのか!?」

 私は目を見開いた。

「恐るべし夷狄の国風! だがよい、ならばこの“無職”の道を極め、我が攘夷の知見とせん!」

 その瞬間、ギルドの奥からどっと笑いが起きた。

「おい聞いたか! “無職を極める”だって!」

「なんだあの変な小僧!」

 街の冒険者たちは口々に笑い、私はますます胸を張った。

「嗤うがよい! されど兵学の真髄は、笑う者をも驚かすに足る! 我が名は吉田寅次郎! 攘夷のため、無職の道を極めん!」

 こうして私は、異国の街で冒険者としての第一歩を踏み出したのであった。

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