オーケストリオンの匣庭

代高千草

第1話

キャロルの柔らかな鐘の音が響いております。

「静かで、清らかで、美しい。素敵な歌曲ですわね。来桃さん」

「はい、お姉さま」

優しく微笑みかけるのはわたしのお姉さま。お姉さまはわたしのエスなのです。聡明で美しく、立ち居振舞いがお上品な、学園の生徒皆の憧れのお方。長くて艶やかな黒髪がとても素敵。

「此方にいらっしゃい」

 細くしなやかなゆびがわたしを誘います。それに誘われる儘に。わたしはお姉さまの傍らに座り、躯をびたりとくっつけてしまいます。すると、その陶磁器のような膚から、わたしのよりもすこしつめたいお姉さまの体温がつたわってくるのです。

「来桃さんは温かいですわね」

 お姉さまはわたしの躯をきゅっと抱き締められます。触れた膚の感触があまりに甘くて、脳がふわふわする。お姉さまの香りに包まれ、多幸感でいっぱいに充たされてしまいます。

「本日はなにをするのですか?」

「本日は…そうですね、何をいたしましょうか…」

 お姉さまはわたしの髪を撫でながら、静かに考え込まれます。

「そうですわ。来桃さん、髪がのびてきましたわよね。私に切らせて頂いてもよろしい?」

「はい、是非…」

「では、道具を持って参りますわ。しばらくお待ち下さいな」

「はい」

 お姉さまに、髪を…どんな髪型にして頂けるでしょう。やはり、お姉さまの好みがいいですわ。

「お待たせしました。おかけなさって?」

「はい」

 お姉さまのドレッサーを観察いたします。可愛らしい化粧品が沢山。宝石箱のようで、憧れてしまいますわ。

「首許、失礼いたします」

「はい」

 襟に髪が入らないよう、お姉さまはタオルを巻いてくださいます。柔軟剤の、百合の…お姉さまの匂いがいたしますわ。

「苦しくはありませんか?」

「ええ」

「良かったです。どんな髪型にいたしましょうか」

「お好みでお願いいたしますわ」

 わたしの返答にお姉さまはすこし驚いたかのような表情を見せました。

「本当によろしくて?」

「ええ、お姉さまが選ばれたものなら、何でも」

「わかりましたわ」

そう仰ったお姉さまは、はさみを手に取り、わたしの髪を切りはじめます。やいばをわたしの首許に当てると、髪がはらはらと舞い散っていきます。櫛で髪を梳かされるたびに、優しく撫でてくださっているようで、安心して。目をつむると、すぐに眠ってしまいそう…


「おはようございます。来桃さん」

 目を開けると、鏡越しにお姉さまが微笑んでいらして。わたしの髪は短く…あら。

「すみません。眠ってしまいましたわ」

「大丈夫ですわ。どうでしょう」

「可愛らしい…ありがとうございます、お姉さま」

 わたしの肩ほどまであった栗色の髪は、顎の辺りで切りそろえられ、軽く巻かれて…まさに、お姉さま好み、といったようですわね。此れでやっと、わたしも…

繰り返し同じ旋律を奏でる自動演奏機構。この匣庭はすべて、お姉さまを満たす為のものなのです。

「可愛らしいですわ。来桃さん。私の…」

 その後。わたしたちは、ソファに腰掛け、映画を見ておりました。フランスの、白黒のロマンス映画。お姉さまのゆびさきがわたしに触れ、そのままゆっくりと髪をすいてくださります。首元がやはり涼しいですわ。

 お姉さまは、わたしの体重を支えた儘、うつらうつらと眠ってしまいました。疲れていたのでしょうね。お姉さまは頑張り屋さんですから。

「お姉さま、愛おしいですわ…」

お姉さまのすべらかな白い膚に触れ、頬にかかった髪を払います。眠っていらっしゃるお姉さまのお貌ははあどけなく、まるで無垢な少女のよう。

わたしをお人形に見立て、可愛いがることでしか優越感を得ることができない、愛らしいお姉さま。その美しいお貌に爪を立て、瑕をつけてしまいたくて堪らなくなります。そのようなことをしては、いけませんのに。

 不意に、お姉さまの太股に置かれた左手が目に入りました。お姉さまの丁寧に手入れされた手は、いつもいい香りがして、華奢なゆび一本一本が精巧な美術品のよう。

 おもむろに、お姉さまの手を取り、手の甲にやさしくくちづけをいたします。そして、薬指を口に含み、強く噛みついて。

くちびるを離し、お姉さまの手をそっと撫でます。わたしの歯型がお姉さまの薬指を彩っています。桃色の婚約指輪。けれど…嗚呼、唾液の跡がてらてらと光って、歯形がついてしまって。美しいお姉さまのゆびが、瑕ついて、汚されてしまいましたわ。完璧でしたのに。残念。けれども、わたしなら、どんなお姉さまも愛して差し上げますのに。ひととしてのわたしを見て頂きたいですわ。わたしはお人形ではありませんのよ。

 お姉さまは、わたしのそんな思いなどつゆ知らず、あどけない表情で眠っております。何と罪深い。けれど、気付かなくてもよろしいのですわ。気が付いた頃には、もう逃れることなど出来ませんもの。必ずや、わたしの手中に収めて差し上げますわ。

「おやすみなさい。わたしのお姉さま」

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