初恋の僕
八神真祇
【第壱話】思い出に浸れば
カセットテープの面を取り変える。本日20回目の作業。そして10回目の同じ曲がまた始まる。
ぶら下げている機械から耳に伝って来るのは30年から40年前くらいの曲だろうか。僕が知らない曲ばかりだが、それはどうでもいいことだった。今、僕にとって音楽は名前のように音を楽しむものではなく、電車の走行音、乗客の会話…そしてふとした時に行う自分の思考を遮断するために流れているものに過ぎなかったから。
現在、車内は殆どと言ってもいいほど客がいない。僕が都心部からできるだけ離れた所へ行こうとしているせいか、それとも時間のせいか。何にせよ僕にとって心地よい空間である事は間違いなかった。
その心地よい空間を破壊したのはまもなくのことだった。電車が駅に着き、乗車口が開く。酔っぱらいと思われる何グループかの客が声をあげながら乗車した。おそらく飲み屋街近くの駅だったのだろう。僕はウォークマンの音量を最大にしたが、それも虚しく僕の耳に声が届いた。
上司の愚痴やカップルの聞くに耐えない戯れ。僕は居た堪れなくなり、次の駅で考えなしに降りてしまった。
電車の端から端へ。端に着いたら乗り換え、また次の端へ。そう繰り返すことによって、地名を聞いた事すらない場所へと移動してきた。
また次の電車に乗ろうとした所、僕が乗っていた電車が終電だと言う事に気がついた。
アナウンスなんて音楽にかき消されていたし、現在の時刻は20時45分。都心部に住んでいる身として、終電がこんなに早いものだとは知らなかった。
駅で一晩過ごすという考えが頭をよぎったが、電車は公共交通機関。もし警察に捜索願を出されれば、真っ先に協力態勢に置かれ見つかるだろう。仕方なく駅の改札へ向かった。
それから僕は一番近くにある泊まれる場所…ネットカフェへと向かった。本当はコンビニや24時間営業のチェーン店などで時間を潰そうと思っていたのだが、人手不足の煽りを受けてか深夜営業をしていなかった。財布には痛手だが仕方ない。もしネットカフェに泊まれなかったら…二駅先の営業しているか不明のコンビニまで歩くことになる。そうすれば必然的に人目につく回数が増える。それは避けたい。
だがその考えは杞憂に終わった。齢14の僕を、年齢確認をすることなくすんなりと通してくれた。法律的に良くないのではないかと思ったが、僕としてはありがたかった。
個室に入り、早速PCを起ち上げる。本日13時間ぶりのインターネットだ。スマホはもともと持っていたが、GPSで居場所がバレる可能性があるため家に置いてきた。僕の名前、越浦竜樹と検索する。ヒット件数は0件。どうやらまだ捜索願は届けられていないらしい。恐らくまだ家出してから1日も経っていないからだろう。それから明日の電車の時間や休める場所を調べた。この調子なら明日には目的地に到着するだろう。
目的地と言っても親戚がいるわけではない。ただ幼い頃に2週間住んでいただけ。それでも僕が家出しようとした時に真っ先に思いついた場所だ。
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夏の蒸し暑い日が続いていた。それでも夜になると、昼間に比べて幾分か、マシな気温になっていた。田舎の夜空は綺麗だ。周りにビルの光がないためか、月の灯火、星のきらめきがいつもよりはっきり見える。音は静寂に包まれていた。ここには誰も人がいない。だから安心できる。
僕は家から少し離れた道でずっと夜空を眺めている。綺麗な円をした満月と、それに負けないほどの光を放つ星がそこにあった。コツ…コツ…と足音が聞こえてきた。誰だろう。こんな所に…。その答えがわかったのはまもなくの事だった。月の光に照らされて、その子の顔がはっきり見えた。
僕と同じ年くらいの女の子。髪は伸ばしていて、少し癖っ毛があり、赤のワンピースを着ていた。
「君、ここらへんに住んでるの?」
彼女は僕に問うた。
「少しの間だけだよ。母さんが帰って来るまでの…。」
「じゃあ、おばあちゃんたちの家にいるってこと?」
「ううん、おばあちゃんたちは僕が生まれる前に死んじゃった。お母さんは、しばらく僕がいない方が都合が良いんだってさ。今はお母さんが見つけた、誰も使ってない空き家で待ってるの。」
「いつ帰ってくるの?」
「さあ…明日かもしれないし、もしかしたらもう、ずっと…」
そう答えると、彼女の顔はパアッと明るくなり、
「じゃあ私と一緒だ。子供だけでいっぱい遊べるね。一緒に遊ぼ!」
それからは僕らは毎日一緒に遊ぶようになった。夏休みで学校が無かったから、朝から晩まで、ずっと。
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彼女の名は「
僕と凪はよく秘密基地で遊んでいた。もちろん立派なものでない。曲がっている木と木の間に木の枝を束ねて置き、その上にブルーシートをかけた簡易的なもので、雨風さえしのげるかすら怪しい。だけど僕たちは秘密基地という響きだけで、それを魅力的に思えたものだ。
凪とは色んな事をして遊んだ。僕は秘密基地におもちゃを持っていき、凪はこの地の事について教えてくれた。夜空が綺麗に見える場所、一足先に実った柿の場所…。柿は熟れていなくて美味しくなかったが、凪と一緒なら楽しかった。
凪はいつも同じ姿をしていた。いつも同じ赤いワンピースを着ていた。だけどワンピースはいつも新品同様に見えた。恐らくお気に入りのワンピースを何枚ももっているのだろう。
僕はこの地に縁がなかったから知り合いも友達もいなかった。元より僕はあまり明るい性格じゃなかったから、元いた場所にも友達という友達はいなかったが。しかし、僕とは対照的に明るい凪も、僕以外に友達はいなさそうだった。僕にはそれを詮索する気はなかった。その理由がなんであれ、凪は僕にとって、大切な友達なのだから。
そんな日を2週間ほど過ごし、持ってきた食べ物が底を尽きてきた頃。秘密基地から帰ると、お母さんの靴があるのに気づいた。僕が帰ったことに気づいたお母さんが、僕の手を取りこういった。
「竜樹がおとなしくしてくれたお陰で上手くいったわ。さあ、家へ帰りましょう。」
ああ、ついにこの日が来たか。凪とお別れすること。心の底で、もう会えないんじゃないかと思っていたお母さんが迎えに来てくれたこと。その事実を天秤にかけてどちらの感情が勝っているのか…。僕にはわからなかった。
お母さんは明日の早朝に出発だと言った。それじゃあ凪とお別れのあいさつが出来ない。僕は夜中に家をこっそりと抜け出し、秘密基地に向かった。当たり前だが、凪はもうそこにはいなかった。
僕は持ってきた紙と鉛筆で凪に手紙を書いた。お母さんが迎えに来たから帰ること、一緒に遊べなくてごめんということ、そして、いつか必ず秘密基地に帰ってくること。
手紙を書き終え、家に帰ろうとすると突然周りから声が聞こえだした。
「ずっと一緒にいるっていったのに。」
「嘘つき。」
「裏切り者。」
凪の声が複数重なって聞こえる。でもそこには凪の姿はどこにも見えない。
「私以外、誰にも好かれてないくせに。」
「そうやって切り捨てていくから1人なの。」
「私がいなかったら貴方はずっと一人ぼっちだよ。」
どんどん声が大きくなっていく。頭も視界もぐるぐるしてきて、視点が定まらない。苦しい、苦しい。誰か助け…
見知らぬ天井が僕を迎えた。ネットカフェの天井だ。起き上がるとかなりの汗をかいていた。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。あの頃を考えながら寝たせいか、凪の夢を見てしまった。時刻は現在3:24分。なんともいやな時間に起きてしまった。始発まで、まだ4時間ほどある。しかし、二度寝する気がおきなかった僕は、追加料金を払いシャワーを浴びて、またインターネットで情報収集をしたり、置いていた漫画を読んだりして時間を潰すのだった。
僕が漫画の続きを取りに行こうと、共用の本棚へ向かうと昔の凪と後ろ姿がそっくりな少女を見かけた。もちろん凪も僕と同じ年月の8年を過ごしたのだから、あの姿のままな訳がない。しかし、まるでさっきの夢からそのまま飛び出してきたような姿に僕は目を奪われ、しばらくそこから動く事が出来なかった。凪はどう成長したのだろう…。僕のように成長していてほしくない半面、凪が遠い存在になっていたら…。
それから僕は昨日と同じように電車で移動し秘密基地へと向かった。
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