輪の余白
らぷろ(羅風路)
輪の余白
椅子の脚が斜めにすべって、私の身体は軽い音を立てて床へ落ちた。皿が跳ね、フォークが転がる。レストランの照明が白く反射して、視界が一瞬割れる。彼は水のグラスを持ったまま、まぶたを伏せて言う——「結婚、なのかもしれないけどさ。たぶん、俺たち、それで幸せになれない気がする」
そこで音が消えた。私はなにか言い返したはずだが、唇の動きの感覚だけが残っている。テーブルクロスの端にソースがこびりつき、時計の秒針が律儀に進む。椅子の背もたれに伸ばした手が空をつかむ——そこで目が覚めた。
薄いカーテン越しに朝の白が滲む。ここは自分の部屋、駅から徒歩十分、会社までさらに五分の賃貸ワンルーム。令和七年の春。引っ越して二ヶ月、別れ話を受け入れてから三ヶ月が経っていた。ベッドの縁に腰をかけて汗を拭う。夢の中で転んだはずの身体に打撲はなく、現実は相変わらず乾いている。
シャワーを浴び、鏡の前に立つ。左肩の後ろに刻んだ小さな輪——タトゥーは今日も静かだ。二十六の夏、突発的に入れた。誰かとおそろいではない。むしろ彼は反対した。「就職で損するかも」と。あの頃の私は、損得よりも、自分で選んだ痛みをひとつ持っていたかった。針の刺さる感触、じりじりと広がる熱、終わったあとに置かれた薄いガーゼの温度。輪の線は、私の勝手を許すための細い防波堤だった。
ブラインドの隙間から差す光が、テーブルと椅子の影を伸ばす。部屋は狭いが、物の位置はもう手に馴染んでいる。コップは右、皿は左。洗濯機の上に折りたたみのカゴ。何もかも新しく、何もかもありふれている。引っ越した理由の半分は通勤、もう半分は過去から距離を取るためだった。古い駅前商店街の横を歩くと、揚げ油のにおいが鼻の奥に残る。歩くたび、私は肩の輪を小さく意識する。何かを思い出しすぎないための、回転の軸みたいなもの。
出社はいつも通り。オフィスフロアの自動ドアが開いて、エレベーターの鏡に映る自分の目が少し赤い。落ち込みの底にいた数週間を思えば、今は随分ましだ。あの底では、湯沸かしポットのスイッチを入れるだけでも躊躇した。沸騰を待つ間の沈黙が怖かった。数日前、初めて観葉植物をひと鉢買った。名前は失敗しても怒らないようなやつ。曲がった光でも生きる緑。葉に水をかけるたび、部屋の湿度がほんの少し変わる。変化がわかるものはいい。
仕事は積み上げるほど、形が見える類いのものだ。資料の列をそろえ、数字の誤差を埋め、メールの言い回しを短くする。昼、ビル裏のベンチでスープをすすっていると、風が紙ナプキンを少しだけ浮かす。二歳下の同僚——彼の名は書かない。私の視界にはっきり映るのに、定義しきらない方が落ち着く距離がある。彼はよく気がつき、余計な音を立てない。先週、私の作った見積書の端に鉛筆で小さく「端数、切り上げで統一しますか」と書いてくれた。メッセージではなく、紙に跡を残すやり方。やさしさを正面から差し出さない種類のやさしさ。
「この辺なら、夜でも静かな店ありますよ」と彼は言ったことがある。私は「静かな店」と復唱して、それ以上はなにも重ねなかった。彼は「無理にとは」と付け足し、笑った。笑いは小さく、後に残らない。言葉を増やしたくないとき、私は肩の輪に触れる。輪の内側と外側、どちらにいるべきかを確かめるみたいに。
夜、帰宅して部屋着に着替える。タトゥーが空気に触れて、少しだけ温度を失う。私は輪の線を指先でなぞり、あの会話を反芻する。「幸せになれない気がする」という彼の言い方は、不思議と責める場所がなかった。怒りどころを見つけられない別れは、痛みの逃がし場を奪う。私は怒れなかった。泣くのは簡単だったが、泣き方に意味を持たせることが難しかった。だから私は、輪の線の細さに寄りかかる。細い線は折れるかもしれないが、折れない限り、立てる。
一ヶ月目の終わり頃、夜が最も重かった。帰宅して鍵を置く音が、骨の中に響く。テレビをつけると、人の声が侵入してくる感じがしてすぐ消した。壁際に置いたダイニングテーブルに、買い忘れたものの一覧を書いたメモが溜まっていく。コショウ、電池、ハンドソープ、キッチン用のタオル。買っても買わなくてもよいものと、切らしたら困るものを分ける作業は、奇妙な救いになった。優先順位を決めることだけが、私を外側と繋ぎ留めていた。
二ヶ月目に入って、朝の空気がやわらかくなった。窓を開けると、隣の建物の非常階段で誰かが足踏みをしている音がする。生活の音には悪意がない。他人の生活の音を聞くと、眠れない夜が薄まる。私はヨガの体験に行った。蛍光灯の下、マットに仰向けに寝て、吸って吐いてと声に従う。最後に目を閉じたとき、肩の輪が呼吸で微かに上下するのがわかった。内側が広がる。外側が締まる。その繰り返しに、妙に安心する。身体が順番を覚えると、心の手順も少しだけ早くなる。
仕事の帰りに、駅前のパン屋で売り切れ間際のバゲットを一本買う。手に持つとまだ温かい。温度のあるものを持って帰るのはいい。エレベーターの中で袋がくしゃっと鳴る。部屋に入って灯りをつけ、バゲットを切り、オリーブオイルを垂らし、塩を少し。口に運ぶと、噛む音が部屋に満ちる。私はその音を聞いている。誰かと共有されない音は確かで、私を責めない。
ときどき、元カレとの長さを測る。高校生からではない。大学のサークルで知り合い、社会人の初期を一緒に過ごした。長いと感じるのは、年数よりも、互いの生活の「作法」を似せてしまったことだ。似せた作法は便利だが、別れの後には厄介だ。洗濯物の畳み方、冷蔵庫の並べ方、休日の過ごし方。空白がそのまま手癖になって残る。私は癖をひとつずつ上書きする。靴をそろえる位置を変え、休日に電車で二駅分だけ乗って降り、知らない喫茶店でコーヒーを飲む。店のマスターが豆の産地の話をしても、私は知らないふりをする。知らないふりは、ゼロに戻るための準備体操だ。
同僚と私の距離は、仕事が媒介で少しずつ縮まった。縮まると言っても、両手のひらで測れるくらいの差だ。朝、彼がエレベーター前で立っていて、私を見ると軽く顎を引く。私も同じようにする。挨拶は短いが、否定ではない。「例の見積、単価の表現を合わせたいです」と彼が言う。私が「午後、十五分」と答える。やり取りはそれだけだが、紙の端に柔らかさが残る。彼は終業後のチャットで絵文字を使わない。私も使わない。使わないことで保たれる距離がある。
ある金曜、定時で上がれた。街が明るい。交差点で、信号待ちの人々の肩が一斉に動く様子を眺める。私はふと、左肩をかばうように手を当てる。輪を意識する。輪はそこにある。輪は、誰のものでもない。そこにあることを確認するだけで、胸の奥の空気が均される。帰宅して、窓の外の空が、ほんの少し青を残したまま暗くなるのを見届ける。スマホで写真を撮る。写真はいつ見返すかわからないが、撮ること自体が今日の印になる。
週末、クリーニング店に行く。店員の女性がタグを留める手元が熟練していて、見ているだけで落ち着く。帰り道、ベンチに腰掛けて飲み物の自販機を眺め、どれも似た甘さだということに気づく。似た甘さは、安心を与えるが、少し飽きる。飽きる感覚が戻ってきたのは、悪くない兆候だ。飽きれば探す。探せば、選べる。選べるなら、失望しても自分の責任にできる。
三ヶ月目、私は鏡台の引き出しから古い名刺を捨てた。知らない会社名、もうない携帯番号。捨てる行為はわかりやすい。わかりやすさに頼りすぎるのは危険だが、基礎体力としては必要だ。ゴミ袋の口を縛るとき、指に当たるビニールの感触が、やけに現実的だった。現実は、だいたいビニールの感触がする。
夕方、同僚からチャットが来る。「お疲れさまです。月曜朝礼前、五分だけ相談、いいですか」。文は礼儀正しく短い。私は「了解です」と返す。送信ボタンを押したあと、心臓が二拍ぶんだけ早く動く。焦りではあるが、悪い種類ではない。熱い飲み物を口に含んだときの、舌の奥のじりじりに似ている。
その夜、久しぶりに夢を見なかった。眠りは深く、朝は滑らかだった。ベッドを整え、窓を開け、空気を入れ替える。カーテンがふくらむ。肩の輪を鏡越しに見る。輪は、内側に空白を抱えたまま、皮膚にぴったりと張り付いている。空白は怖いが、空白がなければ、新しいものは入らない。私は輪の空白に、薄く希望を置く。厚塗りは似合わない。薄くでいい。
会社での午前は、資料の整形と簡単な打ち合わせで過ぎた。午後は不意のトラブル。数字の表記揺れが原因で、発注の確認が止まっている。私は一息ついてから、担当先に電話した。声が震えない。震えないことに少し驚く。以前の私なら、こういう場面で言葉が引っかかっていた。受話器を置いたあと、肩の輪にふれる。輪は沈黙している。沈黙は、ときに最良の返答だ。
残業を小さく終え、私はパン屋に寄らずに帰った。冷蔵庫に食品が揃っている。揃っていることが嬉しい。玉ねぎを切って、バターで炒め、塩をひとつまみ。水を注ぎ、火にかける。鍋の中で泡が立ち上がる。泡は崩れては生まれ、一定のリズムを保つ。私はそのリズムに呼吸を合わせる。味見をして、塩が足りないことに気づく。塩を足す。正解に近づく過程は、正解よりも気分をよくする。
食事を終え、食器を洗い、タオルで拭く。テーブルに置いたメモ帳に、今日のことを二行だけ書く。「朝、花屋の店先に黄色」「午後、電話の声が落ち着いていた」。日記というより、採集に近い。集めたものはすぐに形を成さないが、いつか役に立つ。役に立たなくても、集めること自体で何かが続く。
そのとき、ドアチャイムが鳴った。
一度、間を置いて、もう一度。宅配便の押し方ではない。私は立ち上がり、肩をすばやく服で覆う。輪を見せるかどうか、迷いが走る。迷いは悪くない。躊躇の手前で立ち止まる時間は、私のものだ。のぞき穴から見る。白い廊下の光に縁取られて、見慣れたトート、見慣れた姿勢。二歳下の同僚が、わずかに息を整えながら立っている。私の視線に気づくと、小さく会釈した。私は鍵をひねる。金属の擦れる音が、やけにきれいに響く。
ドアを開けると、彼は予想より少しだけ近い距離で止まった。目に強い光はない。けれど、逃げ道も用意していない目だった。
「こんばんは。突然、すみません」
声は低く、無理がない。「大丈夫です」と私は答える。喉の奥で熱が少し上がる。焦りの温度だが、今の私には悪くない化粧になる。
「明日の件、少しだけ確認があって」と彼は言う。私はうなずき、ドアの内側に余白をつくる。招き入れるべきか、玄関で立ち話をするべきか。どちらでも、いい。選べることが救いで、選ばない自由もまた救いだ。肩の輪が服に擦れて、存在だけを主張する。輪は、私が私のまま立つための起点だ。そこに、これからの会話を結びつけることができるなら、やってみてもいい。
廊下の照明が少しだけ瞬く。遠くで、誰かが階段を上る音がする。世界は相変わらず続いていて、私の部屋の空気は、彼の呼吸が混じる分だけ変わる。私は玄関の隅に寄せていた靴を少しずらす。彼が立てる場所を空ける。輪の内側で、夜が少し明るくなる。私はまだはっきりと「始める」とは言えない。けれど、「拒まない」とは言える。言えることから始めれば、足りないものは後から追いつく。
「どうぞ」と私は言い、彼が一歩、中へ踏み入れる。その音が床に吸い込まれる。部屋の匂いが新しい配列を覚える。私は扉を静かに閉じる。輪は肩にある。過去はそこから見えるし、未来もそこから見える。私は輪に触れずに、立っている。明るくなり過ぎない明るさの中で、今の自分を肯定する。チャイムの余韻は消え、代わりに二人分の短い呼吸が、確かな音としてここに残る。
輪の余白 らぷろ(羅風路) @rapuro
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