15――翌朝のこと


 昨日話がおわった際に、私の事情について愛する奥さんへ黙っているのが辛そうな和明さんに『他言無用にしてもらえるなら話しても大丈夫ですよ』と言っておいた。本人から開示OKの許可をもらったことに安心したのか、どうやら昨夜に早速小百合さんに事情を説明したらしい。


 『おはようございます』と私が朝の挨拶をしたら小百合さんは笑顔で返事をしてくれたのだけど、どこか微妙にこちらを窺うような視線を感じてそれで察した。ああ、和明さんが早速話をしたんだなと。


 別に騙していたわけではないが、話せない事情があったとはいえ黙っていたのは事実だ。このまま知らんぷりして接するのはなんか誠意がないなと思い、私は深々と頭を下げて謝罪した。


「なんだか騙すようなカタチになってしまって、申し訳ありませんでした」


 私の言葉にきょとん、という言葉がピッタリな表情で小百合さんは私を見た。そして言葉の意味を理解したのか、クスクスと笑いながら右手を二度ほど振る。


「あなたが謝らなきゃいけないことなんて、なにもないでしょう? むしろ大変だったわね、突然幼い女の子になっちゃうなんて……あ、大人だったのなら敬語で話した方がいいかしら?」


「いえ、今のままで大丈夫です。大人が子供に敬語を使っている姿なんて、はたから見るとかなりおかしく見えますからね」


 苦笑しながら言うと、小百合さんは少し痛ましそうに私を見た。さっき彼女が私の様子を気にかけていたのは、本心から私を心配しての行動だったらしい。体が縮んで性別が女子になって以来、周囲にバレないようにと自分以外の行動を気にし過ぎた結果なのか、どうも穿って考えるクセがついているように思える。


 こちらを想っての言動を悪く受け取ることが続くと、優しくしてくれている相手でも気分を害してしまうだろう。ましてや高月さん一家は、私の現状を改善するためのカギみたいな人たちなのだ。昨日すすめられたように家族になるかどうかはまだ決断しきれていないけど、仲をこじれさせるような真似は今後避けたほうがいい。

 というか周りを疑い続けるのはとても疲れるので、ここは地元とは違うんだし完全に安心するのは難しいけど、警戒を少し緩めてしまってもいいのかもしれない。


 そんなことを考えていると、いつの間にか小百合さんが私のすぐ側まで近づいてきていて少し屈んで私の顔を覗き込んでいた。


「それにしても、本当に元中年男性だとは思えないわね。正直なところ昨日知り合ったばかりだし、トールちゃんが見た目相応の年齢でもアラフォーのおじさんでも別にどちらでも構わないというのが私の本音なの」


「そ、そんな風に割り切れるものですか?」


「だって私は以前のあなたを知らないもの。昨日出会ったばかりなのだし、関係性ってこれからお互いのことを知っていきながら作っていくものでしょう?」


 そう言えば似たようなことを、美桜さんも言っていたような気がする。しっかりと親の意図した教育が娘である彼女の考え方に染み込んでいるのを見ると、やはり和明さんと小百合さんは良き親であると同時に良識ある大人なのだろうということが垣間見えた瞬間だった。


 大人になるとどうしてもこれまで生きてきた中での一側面でしかない学歴や職歴みたいなものでその人間を判断しようとしがちだけど、こうして自分で付き合いを通して相手を見定めようとする彼女の考え方にはとても好感をおぼえる。私もそういう人になりたいと、素直に尊敬できた。


 今日はそんな優しくて頼れる小百合さんと、一緒に髪を切りに行く予定になっている。


 しばらくここで生活させてもらう予定なのだが、必要な衣服や雑貨ぐらいは自分で揃えるべきだろう。頼りっぱなしなのはよくないと思う。

 資金もあるし服や下着なんかは、ファストファッションのお店に寄って適当に買おう。昨日の美桜さんの言動を見てると一緒に買い物に行ったが最後、たくさん着せ替えされた上にそれらをそのままどっさりプレゼントされそうだし。


「ヤダぁ! 今日は学校をお休みして、トールさんと買い物に行くのぉ!!」


 朝からダダをこねていた美桜さんに小百合さんが『学校を休むのはダメ!』とピシャリと言い聞かせていたのが今朝のハイライトだった。たった1日だけど、昨日は学校を欠席したわけだからね。体調には全然問題ないんだし、行けるときは登校しておいた方がいいだろう。


 トボトボと家を出る美桜さんの背中を見送って、和明さんも職場に出社すべく颯爽と出発していった。ドアを出る前に小百合さんに抱擁と軽い行ってきますのキスをしていくあたり、とってもスマートだなと思う。娘である美桜さんが高校生なのだから、結婚してから少なくとも16年以上経っているはずなのに。年月が経ってもお互いを想い合えるパートナーでいられるというのは素直にうらやましい。


 小百合さんが昨日のうちに予約してくれていた美容室は9時から営業開始らしいので、朝から贅沢気分で風呂に入らせてもらった。昨日は結局話し合いで疲れてしまったのかすぐに寝てしまって、入浴することができなかったので正直なところすごく助かった。小百合さんにドライヤーで髪を乾かしてもらい、ざんばら髪が目立たないように結ってくれた。


「やっぱり髪がかなり傷んでいるから、ダメージケアもしてもらいましょうね。髪の長さはできるだけ長い方がいいかしら?」


「いえ、できればなるべく短めの方がありがたいです。私も一応コンディショナーとかを使ってケアしていたのですが、結果はコレなので……」


 私も結構気をつけて丁寧に洗ったりケアしていたつもりなのだが、小百合さん曰く髪を傷めないコツというかケアのやり方があるらしい。美容師さんはその道のプロということでさすがにそういうことにも詳しいらしいので、髪を切っている間に教えてもらうのもいいかもしれない。


 高月さん宅を出発して、昨日も来る途中に見ていたけど『ウチの周りとは比べものにならないぐらい都会だなぁ』なんて思いながら街の様子を眺めていると、小百合さんにそっと手を握られた。びっくりして思わず彼女の方を見ると、小百合さんは『トールちゃん、なんだか迷子になりそうだったから』とクスクスと笑いながら言った。


 確かにキョロキョロと周りを見ながら歩いている子供を見かけたら、『親からはぐれて迷子になりそう』と大抵の人間は思うかもしれない。若返って女子になる前の私が同じ光景を目撃したとしても、まったく同じ感想を抱いたような気がする。


 この歳になって人妻と手をつないで歩くのは、かなり照れくさいというか後ろめたいというか、なんとも言えない気分になる。なんだか恥ずかしくて顔が赤くなるのを隠すように少しだけ下向きになりながら歩いていると、何故かすれ違う人たちから微笑ましい視線が向けられているような気がした。でも多分、私が自意識過剰なだけなんだろうな。


 連れて行かれた美容室は、ものすごくお値段が高そうでオシャレな内装だった。費用はもちろん自分で払うつもりだけど、果たして手持ちのお金で足りるのだろうか。


「高月様、本日はご来店ありがとうございます」


「急に来てごめんなさいね。昨日の夜にメールで知らせた通り、今日はこの子の髪をお願いしたいの」


 店長らしき男性と小百合さんがそんな会話をすると、店長は『ほう、これはもったいない……』とつぶやきながら私を色々な角度から観察した。


 おそらくもったいないというのは、今朝も小百合さんに指摘された髪の痛みや不揃いさについて言っているのだろう。それについては私も同意だから、なんとか他の人に見られても不審に思われない程度には整えてほしい。


 私が『よろしくお願いします』と頭をペコリと下げると、店長さんは微笑みながら頷いてから手を挙げて、ひとりのスタッフを呼んだ。声を掛けられて近づいてきたのは、20代後半から30代前半ぐらいのすごくオシャレで芸能人みたいに容姿の整った女性だった。


 店長が顔を寄せて何事か話したあと、彼女は私の目線に自分の視線が合うように少し屈んでにこりと安心感のある笑みを浮かべた。東京に来て改めて思ったけど、大人はやっぱりみんな私より身長が高いからちょっと圧迫感がある。こうして同じ目線の高さで話してもらえて、ホッとしている自分に今気付いた。


 チラリと小百合さんを見上げて、『彼女、日本語はわかりますか?』と質問している姿に、そう言えば今の私ってどう見ても外国人な外見だったなぁと思い出す。高月さん一家は全然そんな雰囲気を出さずに接してくれるから、自分のことながらド忘れしていた。


 日本語OKという答えにホッとしたのか、自然な笑顔で美容師さんは自己紹介してくれた。彼女の名前はアヤネさんというらしく、散髪からダメージケアまで全部の工程を優しい手つきで行ってくれた。本来美容室では新人さんや比較的若手の人がシャンプーやらヘアカラーやらの雑務をこなして、アヤネさんみたいな一人前の美容師さんは髪を切ることに専念するのが普通らしい。


 色々と話しかけられて必死になりながら返答していたら、長時間の作業もあっという間だった。髪は肩より少し下で揃えられていて私が想像していたより長めだったけど、女子としての髪の扱いやケア方法を覚えるのならベリーショートにするよりはいいとアヤネさんがアドバイスしてくれた。結局短くしてもこまめにカットやケアをしてもらいに美容室に通わないといけないらしいし。


 結局のところ意識の根っこ部分は男性のままだし、これから女子のいろはをしっかりと勉強していかないと。

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