第10話
エイベル様、あなたはこの国を守るんでしょう?
夢の中で聞いたあの言葉は、婚約者になるずっと前にエリザベスが言った言葉だ。
エリザベスはシーウェル公爵の弟の娘で、父親が亡くなり公爵家に引き取られてからは従姉である公爵令嬢パトリシアの護衛を務めていた。男の護衛と同じ制服を着てドレス姿の従姉の背後に控え、それを卑屈に思うことなく、むしろ生き生きと楽しそうにしていた。
令嬢は皆着飾って自分を魅力的に見せたがるものだと思っていたエイベルには不思議だった。ドレスを諦め、護衛として華やかな令嬢の陰に控える。エリザベスはどういう気持ちでその道を選んだのだろうか。
そのことを尋ねたエイベルに、エリザベスはこう問い直してきた。
王が国を守ることと、護衛が人を守ることは、そんなに違うものですか?
私がお姉様を守るように、エイベル様、あなたはこの国を守るんでしょう?
王子として常に表に立ち、我儘を控え、人々の見本となるよう規律正しくあることを求められる。それを窮屈に感じていた時期だった。毛色の違う令嬢に投げかけた質問は、思いがけず自分自身に返ってきた。
表に立つか、陰になるか、その立場は違っていても守りたい思いは同じ。
面白い奴だ。
珍しくエイベルは人に興味を持った。
エリザベスは隣国の王家に嫁ぐパトリシアの護衛として共にこの国を離れる予定だった。それがこの国に留まることになったのは、エイベルがエリザベスに興味を持ったことを王に知られてしまったからだ。王が直々に王子の護衛となることを打診すれば、公爵は喜んで引き受け、エリザベスは断りようがない。
それからずっとエリザベスは自分のそばにいた。護衛として、やがて婚約者として、周囲におぜん立てされるままそばに置くことを拒否しなかった。乞い願いはしなかったが、自分の希望に沿っていたからだ。
エリザベスを囲い込んでおきながら、この手でエリザベスを追いやり、修道院に閉じ込めることになるなど…。
何とかしなければ。
「…簡単に騙され、操られてしまった私が、このまま王太子候補でいることはありませんよね」
エイベルの質問に、王は少し間を置いた。
今回の事件は王家にとっても厄介だった。若く直系の王位継承者が二人も巻き込まれてしまい、これからの国を思うと頭が痛いことだらけだ。
「二人がそろってこういうことになってしまったからな。我が弟ローランドを第一継承者とし、リチャードが育つのを待つ方向で検討はしているが、リチャードはまだ幼い。リチャードの成長を待ちながら、おまえ達二人がどこまで挽回できるか比べてみるのも悪くないとは思っている。当面王位を譲る気はないからな」
エイベルは自分には王になる資格はなくなったと覚悟した。むしろこのまま王位継承を望む方がよほど恥知らずに思えた。それならいっそ、
「父上、今すぐ私を王位継承者から外してください。私はこれから修道院に攻め入ろうと思います」
突然の突拍子もないエイベルの発言に王はあっけにとられたが、沸き起こる笑いをこらえきれなかった。順風満帆だった人生で、こんな大きなしくじりは初めてだろう。正気に戻った後も立ち直れないのではないかと思っていたのだが、存外たくましい反応だ。
「攻め入らずとも、今ならまだ道の途中だろう。今朝旅立ったところだと聞いている」
「今朝?」
あれから一週間近く日が経っている。そんなに処罰が遅れるようなことがあるだろうか。あのシーウェル公爵が罰を下すなら容赦するわけが…
「悪評高いやらかし王子の世話は、他の者には荷が重すぎるだろうと言ってな」
「?」
やらかし王子の世話…?
「あの心を操る薬が切れそうになると、おまえはひどく暴れだした。それを見たエリザベス嬢が『薬は押さえつけてでも飲ませろ。言うことを聞かなければ容赦なく殴れ。不敬だと言うならその罪は全て自分が被る』と言ってその場で指揮を執ってくれた。エリザベス嬢の命令で、すくんでいた衛兵もおまえを捕らえることを恐れず、キビキビと動いてくれた。おまえがまともになるまでという条件で侍女に雇い入れたんだが…」
「!!」
どうして気がつかなかったのだろう。リジーはエリザベスじゃないか。
今でこそ公爵令嬢として着飾り、髪型も化粧も完璧だが、ちょっと前まで髪は後ろで一つに束ね、化粧は目立たない程度、男の護衛と同じ制服で走り回っていた。侍女が世話しなければおしゃれなど二の次だ。
あんな変装とも言えない姿でエリザベスのことがわからなくなっていた自分が恥ずかしい。
婚約破棄した後まで守られてばかりなのか。エイベルは悔しくてたまらなかった。しかし、悔しいどころではない。
「おまえに愛想を尽かし、もう世話はやめるそうだ。寝ぼけて抱きつきながら、他の女の名を呼ぶような男など婚約破棄されて良かったと、そう言い残し、自ら進んで修道院に…」
エイベルは即座に立ち上がると、部屋を出てエリザベスを追った。王に退室の挨拶をすることさえも忘れていた。
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