第6話

 目が覚めると、頬や腕、頭が妙に痛かった。口の周りが引きつり、手で拭うと濃緑色の粉がパラパラと落ちた。眠っているうちにあの薬を飲まされたらしい。あちこち痛むのはその時に押さえつけられたせいだろうか。しかし薬を飲んだ記憶は全くない。


 ノックの音がして、入ってきた侍女のリジーは目を合わせることもなく、黙々と朝の洗顔の準備をした。

「おはよう」

「…ようございます」

 洗面器に湯を入れ、タオルと着替えを置いたその目が少し腫れぼったく見えた。

「リジー、何かあったのか?」

「人のことより、顔についてますよ。ちゃんと洗い流してください」

 自分の右頬をつつきながらエイベルに注意するリジー。エイベルは言われたまま丁寧に顔を洗ったが、拭き取ったタオルにまだ薬の緑色が着き、念入りに拭った。


「昨日、俺は薬を飲まされたのか?」

「ええ、夜中に。ずいぶんうなされて暴れてましたので、衛兵が押さえ込んで飲ませました。もうしばらく薬は継続ですね」

 ずいぶん具体的な答えから、リジーもその場にいたと察せられた。

「おまえも起きてたのか」

「おかげで寝不足です」

 自分が知らないうちに、何やら騒ぎを起こしてしまったらしい。

「…すまない。迷惑をかけた」

 謝罪の言葉を無視してリジーは洗顔の片付けをし、食事を運び入れた。



 その日の聴取で、明日には父である国王と面談できそうだと言われた。

 父に会ってロザリーのことを話さなければと思っていたのに、気がつけば何のために父に会うのだったか思い出さなければいけないほどにその情熱は冷めていた。

 自分はこんな冷たい男だっただろうか。愛する者が捕らえられ、虐げられているかもしれないのに、それを忘れて…

 愛する?

 その言葉に違和感を覚えた。思いつく言葉と感情が一致しない。

「ロザリー、は…?」

 その名を口にしてみたが、

「事情を聞いているところです」

 返ってきた答えは変わらなかったが、それ以上のことを聞きたいと思わなかった。

「そう、か…」

 そのやり取りはそれで終わり、後は文官から尋ねられる質問を一つ一つ思い出しながら考えをまとめ、言葉にしていった。



 その日のお茶は少し遅れていた。リジーは平静を装っていたが、乱れた息を整えながら準備する姿に急いで戻って来たように見えた。何か別の用事があったのだろうか。そんな時くらい代わってくれる者はいないのだろうか。疑問に思ったが、言い訳も謝罪もなかったので、エイベルもあえて聞き返さなかった。


「これ、読み終わった。ありがとう」

 本を机の上に置くと、小さくうなずきワゴンの下段に置いた。自分のハンカチを広げ、本の上に隠すように被せたところを見ると、やはり本の差し入れは許されていないのだろう。本を差し入れたのはリジーの独断だったのかもしれない。だがここでそれを聞かない方がいいだろう。規律違反だとしたら、叱られるのはリジーだ。


 時間通りの夕食の後、あの濃緑色の薬が復活した。

「この薬、ちゃんと一人で飲めますよね?」

 そう言われて、なんだか子供扱いされているような気がして悔しくなった。黙って受け取って飲んだが、昨日ようやく逃れられたと思ったその味はやはりまずかった。

 両方の薬を飲み終えると、リジーはタイミング良く水を差しだした。その顔は無表情なのに、自分を見守っているように見えた。


 誰かに本のことがばれたのだろうか。その日は新しい本の差し入れはなかった。


 薬の効き目か、そうしないうちに瞼が重くなり、エイベルはベッドに横になるとすぐに眠りの世界に落ちていった。

 途中、様子を見に来たリジーは、消えそうなろうそくをふうっと吹き消した。

「…おやすみなさい」


 映像のない夢の中で、鼻歌だけが聞こえてきた。

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