落陽に思惟

だいとう柊

落陽に思惟

 六限終わりのチャイムが鳴り、基本的にホームルームが無い教室の人口密度が急速に低くなっていくのを感じながら、いつも通りのんびり荷物を纏めて校舎を出る。

 正門に向かう道にある桜並木の根元には、相変わらずこぶし大の小さな松が一本生えている。初めて見つけた時は、松が何でもない所から勝手に生えてくるものなのかと驚いて写真に収めたものだ。私の中で松という木は、どうも温室育ちやお高い木という印象があったのだが、よく考えれば松の木は公共の場によく植えられていたりもするのだから、ある程度は強いはずだ。また一つ、勉強になった事だった。

 ふと、前を歩いている子達が目に入った。その内の一人は私が苦手な子だった。その子はとにかく態度が悪く、先生の話を聞く時に椅子の上で足を立てていたり、事あるごとに誰かを否定するような事を言ってばかりいる子だ。それに加えて自由時間に時々叫んでいたりする。しかも声の高い部類なので、近くで叫ばれた時はたまったもんじゃない。耳がじんじんと鈍痛がする感じがして痛いのだ。

 ちなみに態度が悪くて時々叫ぶ子、というのはこの子以外にも同級生に数人いる。最初のうちはよく、人の耳に恨みでもあるのかとイライラしていたが、慣れとは便利なもので、今は特に何も思わなくなった。否、相変わらず耳は痛いので直して欲しくはあるが。

 話を戻して、私はとにかくその子の事が苦手だ。悉く私の無理な子の要件を満たしている。だが奇妙な事に、その子はどちらかと言えば人気者の部類なのだ。

 何故、同級生達はその子と仲良く出来るのだろう、笑顔で接し続ける事が出来るのだろう。もしかすると全て演技なのだろうか、それともその子の悪い部分が見えていないのだろうか。もしくはその子の悪い部分、態度の悪さや誰かを否定する言葉、時々叫ぶ所等を些事だと思っているのだろうかと、駅に向かって、西日が差す道を歩きながら悶々と考えてみる。これといった納得のいく答えは浮かばない。

 否、ある程度の理由は分かるのだが納得がいかないというだけだ。こういうものは多分、群れる生き物としての習性由来の物か、単に私の考え過ぎや勘違い、価値観の相違があるだけなのだろう。でもそれはそれとして、納得出来ないし、したくないのだと思う。

 ……そもそも何故こんな哲学的なのか愚痴なのか分からない事を考えているのかというと、ふと世に言われるような理想の人格というものを思い浮かべてみて、それを体現した精神性の持ち主が過去に居たならば、いったいどうしてそんな精神性を持てたのだろうと思った事があったからだ。

 大体理想とされるものは、偏見も先入観も無くて善性のある純粋な心だとか、公平かつ平等に人を思いやってかつ誠実に人に接する心、もしくは教養深くて複雑な考えが出来て、自分を持っている事だとか、寛大かつ真面目だとかそのあたりだろう。

 これを現実に実践しようとした場合、偏見や先入観は成長と共に多少なりとも付くものだし、中には実体験に基づく学習の結果として作られるものもある。無くしきれば平等ではあるもののかなり非合理的になるんじゃないかと思った。

 他にも公平かつ平等に思いやりを持つだとか、寛大にというのも当たり前にすべき事ではあるが、相当難しいんじゃなかろうか、と駅舎の階段を上りながら考える。

 否、時々見かけるような、他人の少しの失敗で嫌味を言っているような人は流石によろしくないと思うが、寛大というものにも一定の上限があるだろうし、無かったら無かったでその人の精神に何らかの問題があるのではないかという疑いが出て来そうだなと思う。

 公平かつ平等に思いやりを持つというのも、一般的にそうあるべきとされていて、当たり前であるべき事ではあるが、完璧に実践しようとすると気を病んでしまいそうな事だなと思う。

 生きていればよっぽどの人でもない限り、苦手な人だとか嫌いな人だとか、逆にもっともな理由もなくこちらを嫌う人だとか迷惑等を掛けて来たりする人がいるわけだ。そういった人達にも「公平かつ平等に思いやる」というのはかなり難しいだろうし、精神がかなり疲弊しそうではある。しかもこういった人間はこの世に遍在するものなので、関わらないようにするというのは難しいだろう。

 儘ならないもんだなと思いながら、ホームで佇む。先程駅舎の階段を上る前に電車が出て行ったので二十分くらい西日に当たりながら立つ事になる。西日と言っても真夏でも魔昼間でもないのでそんなに暑くはなく、ふと空を見たら橙色が濃ゆくなっていた。

 それにしても確かに、自分が苦手とする人間や、性格がお世辞にも良いとは言えないような人間に公平かつ平等に思いやりを持って接するというのはある種苦行とも言えなくはないわけで、いわゆる理想的な人格だとか、善人中の善人だとかいうのは難易度が高いものだと改めて思う。

 もしそういうものを体現した人がいたとすれば天性のものなんだろう。ただ、もし仮に後からそういった心を持つようになった場合、それは本当に理想的な人格かは分からないなとも思う。

 自分はまだ二十年も生きていないわけだが、世の中は良い人間と同じかそれ以上に悪い人間が蔓延っている事くらいは知っている。この世に完全な善も悪も無いとかそういう論は一旦脇に置くとして、人間を全体的に見た場合、高確率で悪い部分の方が目についてしまうと思うのだが、そういうものを見ながらもしくは、目をつむりながら思いやりを持ち続けるのは本人の心を若干曲げている気がするし、天性のもので、本心から思いやりを持てたとしても、それはそれで好き嫌いだとかの人間らしい感情が少し欠けているのではとか、自我が希薄気味なのではないかという事になりそうではある。難儀だ。

 そんなこんなで考えていたら電車も来たので一番後ろの扉から乗る。最後尾の車両だけあって十人も乗っていない。少し嬉しくなりながら、海側の列にある窓側の席に座る。

 理想の人格というものに、そこまで負担をかけずになる方法を考えてみる。

 仮に理想の人格を端的にすると博愛だとして、自分に当てはめて考えてみる。

 博愛はひろく愛するという事だが、人間に対してそうするのは心情的に難しい事だ。

 傲慢だろうけど人間以外ならある程度許せるのにな、と思う。一部例外もあるが。

 人間と動物を一緒にするなと言われたらそれまでだが、違いは何だろうかと考えてみる。寛容な度合いの違いだろうか、兎に手を嚙まれて少しくらい皮膚を貫通しても、その個体を嫌いになる事は無いわけだが、人間なら近くで奇声を上げただけでも大分好感度が下がる。大きい鳴き声の動物が居ても嫌だとは思うかもしれないが、嫌いにはならない。

 じゃあなんで違いが出るのだろう、と考えてみて、きっと自分と同じ形の生き物だから、自分と同程度の精神を期待してしまっているんだろう、と思いついた。自分の事は棚に上げてだ。ガワが少し似ているだけで、人間も人間以外の生き物も自分とは別の自我によって動いている、他の個体で他の生き物という事に変わりはないのにだ。

 そういえば少し似たような事を倫理か何かで聞いたな、と車窓から外を眺めながら思い出す。確か、苦しみの根本的な原因は執着で、執着を無くせば苦しみも無くなると言う仏教の話だった。個人的に斜め上の答えな気がするし、希望も何も無い事を言うなあとは思うが、二千年以上続いているだけあって紛れもなく正論だ。ちょうど、車窓から逆光に照らされて絵になっている三重塔と蓮畑や田んぼが見える。タイムリーに視界に入るもんなんだなと思った。

 人間も生き物、と思いながら考えてみる。確かに奇行をしている生き物は面白いし、奇声を上げても興味深く思う。揉めているのを眺めるのも、流石に怪我しそうなら離すがそうで無ければ楽しいし、理不尽に怒っていても可愛く見える。勿論生き物同士が仲良くしているのを見ると癒されるし、自分と仲良くしてくれたらとても嬉しい。

 確かに、自分を棚上げして自分と同じ形をしているからという期待さえしなければ、何でも誰でも可愛らしく見えてくる気がする。

 まあこれだと、自分が変わっただけで性格に難がある子の性格は何一つ変わっていないので根本的な解決にはなっていない。それに、人と動物を一緒にするなだとか人を見下しているだろうとか言われそうなので、理想的な人格とは言えない可能性が高い。

 それに、生き物が好きだから人間も好きだと言う論だとそもそもの話、いわゆる生命愛だとかそういうものだろうし、私の生き物が好きという心情や、観察が好きという心情から来ている以上、ヒトと言う名の生き物が好きなのであって、個体、個人そのものをそれぞれ好きでいるという事にはならないと思う。どっちにしろ理想的な人格からは斜め上な答えになるだろうなと思う。

 理想的な人格とはかなり無茶なものだなと思ったが、それと同時に、わざと無理な目標設定をして上を向かせて、出来るだけいい結果を出させようというものなのかもしれないと一人で勝手に納得した。

 でもそれはそれとして、世の中の人間も自分も、ずっと見ていたくなるような綺麗なものの集合体だったらいいのになと、落陽に照らされて、綺麗な紫と橙のグラデーションに染まった、きらきらと輝く海と空を見つめて考えた。   

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