協調からの脱出
らぷろ(羅風路)
協調からの脱出
蛍光灯の光が白く反射する会議室に座りながら、僕はいつものように資料をめくっていた。月曜の定例会議。五年間通い慣れた場所だが、ここに入るたび胃の奥がじんわり重くなる。
営業部の先輩が案件を読み上げ、上司がうなずき、それに合わせて周囲も律儀に相槌を打つ。壁際の時計の秒針だけが正直に時間を刻んでいた。誰もが空気を乱さぬように、決められた流れの中で声を出し、笑う。まるで台本のある舞台のようだ。
僕はその光景を眺めながら、胸の奥で小さなざわめきを感じていた。ここでは、はみ出すことが許されない。個性を押し殺し、皆と同じように歩くことが評価される。そう信じ込んで五年間を過ごしてきたが、最近その重さに耐えきれなくなってきていた。
昼休みに食べるカレーは、今日も昨日と同じ味がした。窓から見える空の青さが、やけに遠い。同期の多くは昇進を果たしたり、結婚して家庭を築いたり、表向きの安定を手に入れている。僕はといえば、上司の顔色を伺いながら波風を立てぬ日々を繰り返しているだけだ。上司から「お前は真面目で協調性があるな」と言われるたび、心のどこかがざわついた。褒め言葉のはずなのに、僕の存在はただ「無害」であることだけで認められているように思えた。
ある夜、残業を終えて終電に揺られていたとき、偶然耳にした歌が胸に突き刺さった。誰かが一歩を踏み出す勇気について歌っていた。恐れることなく、新しい場所に飛び込む姿。その歌声に、心臓の奥が震えた。僕はずっと安全な群れの中に身を隠していた。転ばぬように、笑われぬように、ただ足並みを揃えて。だが本当にそれでいいのか。
次の週の会議で、僕はつい口を開いてしまった。
「……でも、それでは意味がないんじゃないでしょうか」
会議室が一瞬で静まり返った。全員の視線が僕に集まる。心臓の音が耳の奥で鳴り響いた。
「競合の後を追うだけでは、僕たちの存在理由がなくなります。失敗を恐れてばかりなら、いつまでも二番手のままです」
自分の声が震えているのが分かった。それでも止まらなかった。
会議が終わったあと、部長に呼び出された。
「お前な、組織で生きるには波風を立てないことが一番だ。協調性を欠いた発言はやめろ」
その言葉にうなずきながらも、胸の中では別の声が響いていた。歌のフレーズが何度も甦り、僕の背中を押していた。
翌週、僕は自分なりの企画書を提出した。競合の真似ではない、まったく新しい通信端末のアイデアだった。市場調査も不十分でリスクは大きかったが、それでも挑戦する価値があると信じていた。
会議は荒れた。「前例がない」「無謀だ」「失敗したらどうする」と批判が続いた。それでも僕は立ち上がり、はっきりと言った。
「僕が責任を取ります。失敗しても構いません。それでも挑戦しないよりはましです」
その瞬間、皆の目に驚きと戸惑いが入り混じった光が浮かんだ。否定的な言葉が並ぶ一方で、沈黙の奥にわずかな羨望の色があるのを感じた。
結局、その案はすぐには採用されなかった。だが、空気は確かに変わっていた。翌週の会議では別の同僚が新しい発想を口にした。誰かが先に声を上げたことで、皆が少しずつ殻を破り始めていた。
僕は思った。ここにいる誰もが、本当は自分を出したかったのだ。ただ、最初の一歩を踏み出す勇気がなかっただけなのだと。
夜のオフィスを出ると、ビルのガラス窓に自分の姿が映った。平凡なスーツ姿のサラリーマン。だが、その瞳の奥は以前とは違っていた。入社して以来ずっと押し殺してきたものが、今ようやく顔を覗かせている。
僕は静かに息を吐き、心の中でつぶやいた。
このまま群れの中で埋もれるのはやめよう。自分の足で立ち、自分の声で叫び、自分の色で生きていこう。それが、僕の生きる道だ。
夜風が頬を撫でていった。
空は深く暗いが、不思議とその先に光があるように思えた。
協調からの脱出 らぷろ(羅風路) @rapuro
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