2 喫煙所と蛍。

 会社の喫煙所が、なくなる。

 そんな日が来るなんて、入社したときは考えもしなかった。 

 でも、これは現実。会社で煙草が吸えるのもあと数日、だ。


 暗くなり始めた空を見る。

 少しずつ、夜になって行く空を見ながらここで吸うの、好きだったんだよなあ。

 吐き出した煙は、暗っぽい空に吸われていくようで。

 蛾や、小さな羽虫でさえも、彩りみたいに思えたくらいだ。


 ここで、いろんなことがあった。

 ライターを忘れたらしいやたらと高そうなスーツの人に火を貸したら、雲の上、くらいの偉いさんだったとか、なんてことも。

 懐かしいな。

 社内コンペで緊張しながら挨拶したら、役員席に『ライターの人』がいたんだから。

 懐かしさを感じながら、もう一本。

 そう思ってポケットに手を入れると、慣れない手触り。

 そうだった。あの縁起物のライター、あいつに貸してるんだ。

 100円ライターなんて、久しぶりに買ったぞ。

 コンビニだと、100円じゃあ買えないんだよ。

 火を付けるまでが簡単で、だけど、風が吹くと火が消えそうで。

 なんだか頼りない。

 いつもの、あのライターならそんなことはないのに。

 そう。あのライター。

 転職するあいつには、たぶん、もう会えないから。

 あいつの転職先には喫煙所とか、喫煙可のコンビニとか、あるのだろうか。

 

 いつの間にか、きれいな月が出ていた。

 月を見ながら、煙をはきながら、考える。

 俺が吸っているこの煙草の火で。

 俺も、少しは光っているのだろうか。

 この光は、体に悪いけれど。

 そんなことは、知ってる。

 それでも、止められないし、止めたくない。

 だけど、これからは。

 会社では、吸えない。

 俺はもう、会社では、光れない。

 こんちくしょう。来週からは、在宅ワークに振り返られるだけ、振り替えてやるぞ。

 誰に向けてなのか分からないイライラを、煙にぶつけていたら。



「あ、会えましたね、よかった」

 あいつだ。

 喫煙所閉鎖が決まってからもここを使っていたのは、俺と、あいつ。つまり、こいつだけ。

 こいつ。若い営業。

「まだ、うちの社にいたんだな」

「おかげさまで、引き継ぎも今日で終わりです。明日からは有給消化です。これ、ありがとうございました」


 俺もまだ若いと言わないといけないときがないこともないが。

 ほんとうに若いやつの前では、本物の眩しさとの違いを実感させられる。

 つやつやとした肌とか、光ってるみたいだもんな。

 きれいなすべすべした指で差し出されたのは、『ライターの人』に火を貸した、ジッポーのライター。

 転職活動のお守りにと、貸していたんだ。


 戻ってきたな、縁起物。

「やるよ」


 おい、何言ってんだ、俺は。

 黒のジッポー。猫の肉球柄。

 気に入ってたじゃないか。

 そうだよ、コンペに勝利した縁起物だぞ。



『ジッポーですね、かっこいい』

『いいだろ。やらないけど、貸してやるよ。言ったろ。社内コンペの縁起物。転職活動のお守りだ』

『ありがとうございます!』

 なんだか知らないけど、あのとき。

 俺、かっこつけてたんだよな。

 考えなしにあんなことするから。

 久しぶりに、100円ライター、買うはめになって。



「ありがとうございます! あ、これ、もらってください。もしお目にかかれたら、ライターと一緒に渡そうと思ってたんです」

 カートン。こいつの好きな銘柄だ。俺が好きなやつより、タールがすこし少ない。

 いや、こういうのは、気持ちだ。

 て言うか、ずいぶん大盤振る舞いだな。


「……先輩と出会えて、この会社で過ごせてよかった、って思えました。ありがとうございました」

 丁寧な礼をして、笑顔で。

 手を振りながら去って行った、あいつ。


 でも、君はこの会社を出るんだよな。

 そんなことを言う社会人先輩には、なりたくはなかった。



 喫煙所には、人がいない。

 だから、彼とはいろいろ話せた。

『転職、決まりそうで』

『誰かに聞かれたらどうすんだ。そもそも、俺にも話すなよ!』

『先輩は、煙草仲間ですから』

 課もちがう、フロアもちがう。

 ただ、笑顔が、眩しかった。

 たぶん、四、五歳くらいしかちがわないのに。

 なんで、あいつの笑顔は、眩しいんだろうな。


 そうか、俺。

 あいつみたいに、光りたかったんだ。


 あいつ。

 蛍みたいに、きれいに光るから。


 俺はもう、たぶん、あいつと会うことはない。

 転職が決まったら、喫煙所はもちろん、会社じたいにも来ないだろうから。

 でも、あのライターは。

 しばらくは、あいつと一緒にいられるんじゃないかな。

 そんな、気持ちで。

 貸したんだ、きっと。


 そんなこと、気づいていないあいつは。

 きっと、次の職場でも、光るのだろう。

 ほんものの蛍の光は、意中のあいてじゃなくても、魅了しちまうんだ。


 今さら気付くなんて、な。

 そんな俺を笑うように。

 月が、光っている。


 もうすぐ、ここではなくて、家のベランダから、月を見上げる俺は。


 もしかしたら、いつか。

 ほんとうに、光れるのだろうか。


 遠くに行った、眩しいあいつを思いながら。






※本作はクロノヒョウ様自主企画、第65回「2000文字以内でお題に挑戦!」企画

お題『サラリーマンと月夜の蛍』のために書いたもののうちの一つでした。 

当時はBLかも……と思っていたのですが、久しぶりに読み返しつつ修正などをいたしましたら、現代ドラマのような気がしましたのでタグ付けなしにしております。


https://kakuyomu.jp/user_events/16818622174962115173



自主企画様の規定により一作品を選び、実際に投稿をさせて頂きましたのはこちら。


『ひかる、きみ。』。

男女の恋愛でございます。


https://kakuyomu.jp/works/16818622174967669520

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