剣聖を倒したおっさんは静かに暮らしたい〜片刃使いが凄腕すぎて弟子の志願者が止まりません〜
神伊 咲児@『異世界最強の中ボス』書籍化
第1話 不条理な人生
ああ、こんなことになるなんてなぁ……。
俺の眼前には、銀髪の美しい少女が立っていた。
紋様の
端正な見た目とは裏腹に、彼女こそがこの国の剣聖ビシュナその人だった。
彼女はビシッと切先を俺に向ける。
「この場所を明け渡しなさい。さもなくば、斬ります」
物騒なことを言う。
年はまだ十代だと聞いているが、剣聖ともなれば、生死をかけたいざこざは常なのか。なんとも世知辛い世の中だよ。
俺の名前はシゲン・カチバナ。
現在四十三歳。もう、立派なおっさんである。
俺の人生はいつも不条理だ。
これが運命ってやつなのか?
いや、身分相応。実力なのかなぁ……。
* * *
──俺が生まれたのは日本。土佐の国だった。
各国の武将が群雄割拠する、戦乱の世。
足軽から出世した父は、主君にアドバイスができるほど重宝されていた。
ある満月の夜。
「父上を越えたい」
物心がついたばかりの俺は、心に固く決意した。
「父上を越えるには剣術と兵法を学ばなければならない」
その日以来、昼夜、本を読み漁り、父の指導のもと、自己流で剣の腕を磨いた。
いずれは柳生に……。
剣術を極めるならば柳生だろう。なにせ、当時の流行りである。
俺は柳生の流派への弟子入りを夢見て、日々、
それから数年。俺が十歳の時だ。
「う、馬番!? 父上は馬番になられたのですか!?」
突然の転職には度肝を抜かれた。
全身の力が抜け、その場に立てなくなったのを覚えている。
主君の側近にまで登り詰めた父が、日当八文の馬の世話役になってしまったのだ。
当時、一杯の蕎麦が十六文だったのだから、いかに安月給であったか想像にかたくない。
父の移動理由は明白だった。
全国で猛威を奮っていた豊臣秀吉に寝返るようにと、主君に進言したのである。
もちろん、主君と領民を思ってのアドバイスなのはいうまでもない。
ところが、主君にはそんな真意が伝わらなかった。結局、イケイケだった主君の怒りを買ってしまい、馬番役に降格させられたというわけだ。
この一件以来。母上は病み、しばらくして他界した。
家は没落。多大なる借金を背負う。
八歳の妹は、家族を助けるため人買いに身売りを決意した。
ああ、もちろん反対したさ。だが、妹自らが提案した最良の選択に、俺が止める余地はなかった。
残された父上と俺は、二人で細々と暮らしていたが、やがて父上は君主からあらぬ言いがかりをつけられて切腹に追いやられた。
結局、利用されるだけ利用されて、あとはポイである。主君に嫌われるとはそういうことなのだ。
父上の遺言もあり、俺の切腹は免れた。
ど貧乏な俺は、柳生の剣術を習えるような金はなく、日々、悶々としながらも、傘貼りや畳作りなどの内職をこなし、父から受け継いだ馬番役を務めていた。
街に出れば、柳生の流派である道場から、「せい、やー!」と威勢の良い声が聞こえてくる。通勤途中に、道場の中をチラ見するのは細やかな楽しみだった。
やがて、俺は二十歳になり、その頃には日当が十文に上がっていた。
「うむ。ある意味……。父を越えたか」
などと、細やかに感動する。
まぁ、それでも馬番役の日当だけでは、十六文の蕎麦さえ食えぬ。
そんな時だ。豊臣秀吉は天下を統一した。
その影響で俺の主君は切腹。ここにきてイケイケなのが災いした。
言わんこっちゃない。父上のアドバイスを聞いていれば、腹を切らずに済んだものを。しかし、愚痴を言ったところで人生は変えられない。
俺は新しい主君の元、日当十文の馬番役を続けていた。
ほどなくして、町に柳生の剣術を学んだという女剣士が現れた。
名を
彼女は自分が発明した剣術、
とはいえ、女で剣の道を志すには時代が追いついていない。
「女になにができるのか」と後ろ指を刺されることもしばしば。弟子のいない彼女は無料で弟子を募ることにした。
このチャンスを見逃す俺ではない。流派はオリジナルだが、柳生の剣を学んだ彼女だ。間接的に柳生の剣が学べると思ったのは、他でもない。
俺は桔梗さんに弟子入りを志願した。
彼女は志願者には実力を見る試験があるという。
まぁ、不合格はあり得ないので気軽にやればいい、とのことだ。
あくまでも実力を把握する試験らしい。それなら気が楽でいい。
「刀で藁の束を斬るのは意外と難しいのだ」
彼女は試験用に藁の束を用意してくれた。
これを斬るのは意外と難しいのか……。
「太刀筋に乱れのない力を加えるのは相当な修練が必要なのだ。少しでも刀身がブレれば刀は藁に食い込んでしまう。初心者はまず己の実力を把握して──」
ズバ!
「できました」
「え……?」
「藁の束を斬ればいいんですよね?」
「そ、そうだが……」
彼女は両断された藁の束を見て、ニコリと笑う。
少し引き
しかし、合格が決まっている試験というのは気楽で楽しいもんだな。
桔梗さんは懐から折り鶴を取り出した。
「では続いて。この手に乗っている折り鶴を──」
スパ……!
「斬りました」
「この軽い折り鶴をこの手から落とさずに斬るには二十年の……え?」
「あ、ですから斬れてるでしょ?」
うん。上手く手の上で両断されている。
手から落とさずに斬るのは結構難しいんだ。
桔梗さんは無言だった。
「あれ? 斬るんですよね?」
「あ、うん……」
「では次は?」
「えーと。志元と言ったか? 君はなにかやっていたのか?」
「剣は父に習いまいした。基本は自己流ですが?」
「そう……。そうなんだ……じ、自己流……」
なにを思い詰めることがあるのだろうか?
まさか、不合格か?
「あの試験は……?」
「合格だ」
「やった!」
良かった……。
俺は彼女の指導の元、修練に励む。
一ヶ月後。桔梗さんは大岩の前に立った。
「阿吽神影流の奥義は岩斬りにある」
「師匠はできるのですか?」
「刀で岩を斬るには長い年月が必要なのだ」
彼女が岩を斬ろうとすると、その刀は岩の途中で止まった。
今日は調子が悪いのだろう。
「両断する想像はできている。あと十年はかかるだろう……」
「できました」
「剣は心なり。と言ってな。剣の腕前は、その人の心のあり方そのものだという意味──え?」
「岩斬りができたんですよ」
彼女は、俺がパカっと両断した岩を見つめて大量の汗をかいていた。
「嘘ぉ……」
きっと、弟子の成長を喜んでくれているのだろう。師匠とはそういうもんだ、と父上に聞いたことがある。
「阿吽神影流の極意は鉄斬りにあるのだ」
「岩じゃなかったのですか?」
「柳生は
うーーむ。流石に鉄は斬れない。
これは研鑽を続けるしかないな。剣の道は長い。
それから、桔梗さんと道場破りを始めたんだよな。あれは楽しかった。なにせ、勝てそうな道場ばかりを選定するんだもん。俺は常に圧勝だった。
もちろん、わかっているよ。
侍、剣の腕におごらず。
幼少の頃、読み漁った剣術の文献にはそう書いてあった。
俺が慢心しないように戒めでやってくれているんだよな。師匠はそれを身をもって体験させてくれているのだ。
その影響もあってか、桔梗さんの道場は門下生が増え始めた。
流石は師匠だ。彼女の実力は性別の壁を越える。
俺はそこで師範代となった。
なぜか、練習のほとんどは俺が教えていたのだが、まぁ、これも師匠が弟子にする教育の一環だろう。人を教えることもまた修練なのだ。たしか、読み漁った文献にもそんなことが書かれていたと思う。
桔梗さんはほとんど道場に立たず、掃除や飯炊きに勤しむ。もはや、師範というより母親のようになっていた。いつも弟子たちの健康を考えてくれていて、作ってくれる料理は栄養満点。彼女の作るお味噌汁は本当にうまいんだ。
そんなこんなで二十年が経った。
俺、四十歳。師匠は六十代である。
師匠の詳しい年齢はちゃかされるのでわからない。
歳を誤魔化す年齢なのか? この辺は乙女の事情らしい。
日本は、美濃国で起こった天下分け目の戦いを境に、時代は豊臣秀吉から徳川家康へと移る。
上が代われば、影響をモロに受けるのは平民の俺たちである。
士農工商の厳格な身分制度がなされ、町の空気は一変した。
日本の政治は徳川幕府が担うこととなる。
その頃には、俺の出世欲は消えていた。
桔梗さんの指導が、俺の殺伐とした心を正してくれたのだ。
出世なんて馬鹿げている。どうせ、上の事情でコロコロ条件が変わってしまうのだ。例え上司のために正論を掲げてみても、機嫌を損ねれば降格、果ては切腹である。
平民は平民らしく。慎ましくも、与えられた仕事をコツコツとこなして暮らすことがなによりも幸せなのだ。もう俺はなにも望まない。この阿吽神影流の道場で師範代を続けることが、人生の幸福と知った。
そんなある日。道場に通達が届いた。
師匠曰く、徳川幕府からのものらしい。極秘任務らしく、証拠が残らないように手紙は全て燃やしていた。過激派のキリシタンから大名をお守りする警護の仕事なんだそうだ。
「この任務。私が受けようと思う」
師匠は六十代だぞ? 警護なんて体力職は無理があるだろう。
「警護なら門下生か、俺がやりますよ」
「いや、これは師範の仕事さ。任務が成功すれば阿吽神影流の名が全国に轟くのだからな」
「でも……。師匠は歳だし……」
「手柄は師匠が立てるもんだ。弟子は黙っていなさい。おまえは道場を経営していれば良いのです」
そう言って、桔梗さんは笑顔で出て行った。
翌日。俺は師匠が焼き忘れた手紙を発見する。そこには警護の場所が書かれていた。
「妙だな?」
違和感を覚えた俺は、彼女の跡を追うことにする。
手紙に書かれていた警護の場所は、山奥の古びた廃寺だった。
こんな所に幕府に反抗するキリシタンがいるのか?
嫌な予感が脳内を駆け巡る。
廃寺に入ると、広場の中央で傷だらけの女性が倒れていた。
まさか──。
「師匠!?」
彼女は息も絶え絶えで、小さな声を出すのがやっとだった。
「志元……。どうして来た?」
周囲には怪我を負った男たちがいた。
十人……。腰に据えた立派な刀からして、家柄のある侍だ。
凄まじい眼光……。この殺気はなんだ?
「志元……。逃げろ……。これは罠だ」
「あいつらにやられたのですか!? 師匠!」
「道場を……。潰すため……。女の作った亜流が許せないのさ」
「こいつら何者です!?」
師匠は泣いていた。
震える手で俺の頬を撫でる。
「志元……。おまえのことは……。本当の息子のように感じていた」
「師匠! 今手当てします!」
「逃げろ……」
彼女は俺の顔をまっすぐに見つめ、目を潤ませる。
「おまえの中に、私の剣は生きている」
「喋らないで! 呼吸を整えてください! 出血がひどい!」
「道場を頼む……」
そう言い残して、息を引き取った。
師匠は罠だと知っていたんだ……。だから、俺を行かせなかった。
あの時、気が付くべきだった。
「手柄は師匠が立てるもんだ」などと……。弟子想いの彼女が言うはずがないのだ。
「おまえ、桔梗の弟子だな。ちょうど良い。こういうのを飛んで火にいる夏の虫と言うのだ」
こいつらの正体……。ある程度察しがつく。
「おまえら……。柳生か?」
周囲の男らはニヤニヤと笑う。
「幕府お抱えの剣術指南役は柳生と相場が決まっているのだ。亜流の女に座る席はないのさ」
話は簡単だ。
阿吽神影流の噂は広まっていたからな。
実は、以前より徳川幕府からの協力要請はあった。それを気に入らない柳生一派が、師匠をハメたということだ。
師匠はそれに気がついていたから、弟子を使わず自分で解決しようとした。
「おまえも情けない男だなぁ。女の作った腐った亜流を身につけるなんて……」
空は曇り、ポツポツと雨が降る。
「あうんなんとか流か……プププ。ゴミの剣術だな」
男たちは刀を抜く。たった一人の俺に対して、十人の男が一斉に刀を抜いたのである。
俺は雨粒よりも激しく涙を流していた。
絶望に包まれるとはこのことだろう。
師匠が殺されたこと。阿吽神影流を馬鹿にされたこと。そして、俺が憧れていた柳生の剣が、ここまで腐っていたということ。
それらが頭の中でぐるぐると回る。
果ては、主君に進言して切腹まで追いやられた父上のことまで思い出した。
「なんだこの不条理は?」
理不尽の数々……。これが俺の運命なのか!?
許せない。許していいはずがない。
俺は生まれて初めて、怒りに身を震わせた。
柳生の一人が刀を振り下ろす。
「死ねよ。ゴミが」
俺はその一閃を紙一重で避け、そいつの首を跳ね落とした。
「阿吽神影流。獣の型。狼牙」
孤狼が牙を剥くように。俺の刀は人を斬る。
ああ、初めてだ。人を
「全員でやるのだ! 生かして返すな!!」
五人揃っての一斉攻撃。
「阿吽神影流……。魚の型──」
俺の突きは五人の喉を突き刺した。
「──
川アナゴが獲物を捕食するように。一瞬の突きを繰り出す。
「なにぃいい!? 五人を一瞬で!?」
俺は次々と男たちを斬っていく。最後の一人は短刀を取り出して自決しようとした。
「腐った剣に柳生は負けんのだ!」
短刀が喉に刺さろうとした、その時だ。
「阿吽神影流。虫の型──」
俺の刀が、男の体を捉える。
「──斬鉄」
それはクワガタが、挟んだ虫をするどいツノによって両断するように。俺の刀は、
「バ、バカな……。て、鉄を……斬るだと……!?」
掬い上げるような横一閃。
真っ二つになった男は血飛沫をあげて地面に転がる。
俺の切先は天を仰ぐ。
雨は激しさを増し、黒雲は雷を起こした。
瞬間。俺の刀に雷が落ちた。
信じられないことの連続だ。
この世は不条理である。
──眼が覚めると、ベッドで寝ていた。
俺は、生きてるのか……?
森の中で倒れていた俺を村人が運んでくれたのである。
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