第1話 せっかく転生したのに、アホは治らなかったらしい

 不都合なことって重なるものだな。

 どうやら僕は転生したらしい。


「……僕のポンコツ人生、やり直しってわけか?」

「分かってんじゃん。だから私が真優まひろの面倒見てやるって言ってんの」


 猫耳美少女になった舞夢まいむに腕を引かれ、僕は草原を歩き出す。

 風が生ぬるく頬を撫で、空はどこまでも青い。

 さっきまでいた群馬の町とは違う。

 電柱もコンビニもない。

 あるのは草の匂いと鳥の鳴き声だけだ。


「なあ舞夢、これ夢じゃないよな?」

「はいはい、ポンコツ。ほっぺつねったら? ほら」

「いったっ……! マジで痛い!」


 尻尾をふわりと揺らして笑う舞夢。

 現実味のない姿なのに、触れるとちゃんと温かい。


 しばらく進むと、小高い丘の中腹に小さな石造りの神殿が現れた。

 木々に飲み込まれそうなほど古びているが、扉の上にはくっきりと「祈願の間」と刻まれている。


「なんかイベント会場っぽくない?」

「実況じゃないんだから。……ま、寄ってみよっか」


 中に入るとひんやりした空気が舞うと、中央の石柱に青白い光の文字が浮かんでいた。僕は無意識に手を合わせる。


(僕に……もう一度、やり直す力を)


 祈った瞬間、背筋に震えが走った。

 舞夢の首筋に、淡い蒼色の印が灯る。


「おい、舞夢、光ってるぞ!」

「なにこれ……守り神の刻印? 珍しいな、天性か」

「……天性? 僕、あほってこと?」

「バカ! そうじゃないっての!」


 舞夢が慌てて否定するが、意味は分からない。

 ただ胸の奥に、温かい何かが宿った気がした。


 神殿を出ると視界の先に、いくつかの村が見えた。

 だが、昼時なのにかまどの煙もなく、静まり返っているようだ。

 冒険心に掻き立てられ、不穏の正体のありかへと向かった。


 僕が不安げに足を止めると、近くでガサリと物音がした。

 草むらをかき分けると、そこにいたのは犬耳の少年だった。

 まだ十五歳くらいだろうか。


 土にまみれた顔をこちらに向けると、怯えた瞳が揺れる。

「だ、誰……?」

「お前こそ、こんな所で何してんだよ」

 舞夢が先に声をかける。


 少年は一瞬ためらってから、小さく震える声で言った。

「……姉ちゃんが、連れてかれたんだ。やつらに」


 僕は息をのんだ。

 少年の背後には、静まり返った村。

 生き残った人は、きっと散り散りに逃げたのだろう。

 でも、この子だけが残っていた。

 家々は崩れ、昼なのに煙の一つも上がっていないのはこのせいか。


「どうして逃げなかったんだ?」

「……だって。姉ちゃん、きっと帰ってくるって。だから、ここで待ってるんだ」


 信じ切ったその言葉に、胸が締めつけられる。

 普通なら戻ってこれるはずがないのに、そう思わなければいられないのだろう。


「バカだなあ。チビ犬が待ってたって、帰ってこないっての」

 舞夢が容赦なく言い放つ。

「うるさいっ!」

 少年は耳を伏せ、必死に睨み返した。

 震えた声で、それでも言い切る。

「姉ちゃんは……必ず戻ってくるんだ!」


 僕はその必死さに、何も返せなかった。

 ただ、かつて配信で居場所を信じてくれたリスナーの姿が重なり、胸の奥が熱くなる。


「……フィルだ」

「え?」

「俺の名前、フィル。チビ犬じゃない」


 彼がそう名乗ったときだった。

 村の外から、ガラガラと馬車の車輪の音が響いてきた。

 続いて、耳障りな笑い声。


 フィルの顔が青ざめ、僕の服の袖を握りしめた。

「……やつらだ。姉ちゃんを連れてった、あの野盗共だ!」

「どおやら、また来やがったな」

 舞夢の尻尾がピクリと揺れる。


 村はずれの小屋に駆け込み、僕と舞夢とフィルは荒い息をついた。

 中に残っていた板切れを見つけて、慌てて扉に突っかい棒をかける。


「だ、大丈夫かな……」

「ポンコツ、もっと押さえろ!」

 舞夢が背中で扉を押しつけながら叫ぶ。

 その直後、外から低い笑い声が響いた。

「おいおい、誰かいるな……? 素直に出てきた方が身のためだぜ」


 ドンッ! 扉に衝撃が走り、突っかい棒がビリビリと震える。

 フィルが小さく悲鳴を上げ、僕の袖をぎゅっと掴んだ。

 さらに何度も蹴りつける音。


「くそっ……僕ら、どうすれば……」

「考える前に準備しろっての!」

 舞夢が目を吊り上げる。

 僕は辺りを見回し、床に転がっていた木片を拾い上げた。

「……こんな棒きれでも、ないよりマシだよな?」

「ぷっ……似合ってるじゃん、ポンコツ丸出し」


 ガラガラと突っかい棒が折れ、扉が大きく揺れた。

 次の瞬間、バキリと木が砕ける音と共に扉が吹き飛ぶ。

 埃が舞い、喉にざらつく。

 耳の奥で木片がはじけ飛ぶ音がいつまでも響いた。

 乱入してきたのは、粗末な鎧を着込んだ野盗たち。

 片手剣や棍棒を握り、獲物を見つけた獣みたいにニヤついている。


「へっ、やっぱり隠れてやがったか。ガキと……女? こりゃ高く売れるぞ」

 野盗の一人が舞夢を舐めるように見て、下卑た笑みを浮かべる。

 胸の奥が一気に冷たくなり、僕の足は石みたいに硬直した。


「……やめろ!」

 僕は震える声で叫びながら、拾った木片を振りかざす。

 けれど、振った瞬間に腕を掴まれ、あっさりとねじ伏せられた。


「なんだこのヘナチョコ棒は。遊んでんのか?」

 ドカッ、と腹に蹴りが入る。

 息が詰まり、視界がぐらりと揺れた。


「や、やめろっ!」

 フィルも叫ぶが、体は震えて動けない。

 野盗が僕を踏みつけ、冷たい刃を突きつける。


「ポンコツが一人前に守ろうなんざ十年早えよ」

 嘲る声が頭に響き、僕は地面に押しつけられた。


 その瞬間、舞夢の瞳がギラリと赤く光った。

 尻尾が逆立ち、口調が低く鋭く変わる。


 「──誰に断って、相棒をいじめてんのよ」

 彼女は腰を落として力を溜める。

 「ここからは、舞夢ちゃんタイムだ!」


 次の瞬間、舞夢は壁を蹴って天井へ駆け上がり、影のように跳ね回る。

 野盗たちは目で追えず、ただ慌てて剣を振り回す。


「ど、どこ行きやがった!?」

「上だ! 天井に──ぎゃあっ!」


 次の瞬間、赤く閃いた爪が剣をはじき飛ばした。

「必殺! ワイルドクローッ!」

 舞夢が連撃を叩き込み、野盗の胸や腕を軽くかすめる。

 爪痕は浅いが、速度と数に圧されて敵は後退するしかない。


「◯斗百裂拳かよ!」

 思わず僕が叫ぶと、舞夢は振り返って鼻で笑った。

「は? あっちが真似たんでしょ。あたしらの方が先!」

「時系列どうなってんだよ!?」


 野盗の一人が隙を突いて背後から斬りかかる。

「まひろ、危ない!」

 フィルの叫びと同時に、舞夢が壁を蹴って宙返り。

 尻尾が風を切り、爪が閃光のように走った。


 バシィッ!

 木片で必死に受け止めていた僕の目の前で、敵の剣が吹き飛ぶ。

 野盗は尻もちをつき、白目をむいた。


「……つ、強すぎ」

 フィルが呆然とつぶやく。

 舞夢は尻尾をピンと立て、得意げに言った。


「当然でしょ? 相棒がポンコツなんだから、私くらいチートじゃないと釣り合わないじゃん」


 野盗たちは舞夢の赤い爪の連撃に怯え、最後は尻もちをついたまま武器を投げ出し、一目散に逃げ去った。

 残されたのは静まり返った廃墟の村と、荒い息を吐く僕ら三人だけ。


「……やっと、終わったのか」

 僕は地面にへたり込み、握っていた木片がパキリと折れた。

 舞夢は鼻を鳴らし、肩をいからせている。

「フン、ちょっと遊んでやっただけよ」

「どこが遊びだよ……完全にバケモンじみてたぞ」

「はぁ!? 誰がバケモンよ!」


 掛け合いに苦笑しかけたとき、袖をぎゅっと掴む手があった。フィルだ。

 彼の瞳はまだ震えているが、強い光も宿っていた。


「……姉ちゃんは、どこかに連れて行かれたんだ。俺、探さなきゃ」

 その声は必死で、今にも駆け出しそうだった。


「でも、一人じゃ無理だ」

 僕は腹の痛みに、顔をしかめながらも言葉を継ぐ。

「大丈夫だよ。僕らも一緒に探す。だから、とりあえず俺たちと来ないか?」


 フィルは唇を噛み、俯いたまま黙り込む。

 舞夢が尻尾を揺らしながら肩をすくめる。

「ポンコツにしてはマシなこと言うじゃん」

「たまには役に立つんだよ」


 しばらくして、フィルは小さくうなずいた。

「……分かった。信じてみる」


 その言葉に胸が少し温かくなった。

 僕ら三人は廃墟を後にし、丘を越えてゲートタウンへと歩き出す。


   ***


 遠くに石造りの城壁が見えた。

 煙突からは白い煙が立ち上り、人々のざわめきが風に乗って届く。

 コンビニもネオンもないけれど、確かに“街”がそこにあった。


「ここが……冒険者の街か」

「そう、ゲートタウン。生き残るなら、まず登録して地位を得るしかないのよ」

 舞夢が当然のように言い、僕は無意識に拳を握りしめた。


「ポンコツ人生でも……今度こそ、やり直せるかもしれない」


 遠く草原の向こうに広がる街は、僕にとって希望にも試練にも見えた。


   ◇◇◇


※この物語は【土・日・火・木】の週4日更新を予定しています。 つづく

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