第九章:聖女の涙、遅すぎた謝罪

 使者ジェラルドが、何の成果も得られずに帰ってきたという報告は、王城にさらなる絶望をもたらした。


「役立たずめが!」


 王太子ギルバートはジェラルドを罵倒するが、もはや後の祭りだ。


「……わたくしが、行きます」


 静かに立ち上がったのは、アイリスだった。


「何を言うか! 聖女であるお前が、あのような辺境に行くなど許さん!」

「いいえ、行きます。これは、わたくしが蒔いた種なのですから」


 アイリスの瞳には、かつてないほど強い意志が宿っていた。彼女は王太子の制止を振り切り、護衛もほとんどつけずに、たった一人でアルカディアへと向かった。


 数日後、アルカディアの村の入り口に、一人の女性が立っていた。旅の汚れでドレスはくすみ、美しい金色の髪も少し乱れている。しかし、その気高い雰囲気は隠せない。聖女アイリスだ。

 彼女を出迎えたのは、銀髪の女騎士エリナだった。


「……王国の聖女様が、何の御用でしょう。アッシュは、会わないと言っています」


 エリナは、アイリスに対して明確な敵意を向けていた。彼女にとって、アッシュを傷つけた人間は、誰であろうと許せないのだ。


「そこをどうか、お願いします。一目、彼に会って、謝りたいのです」


 アイリスは深々と頭を下げた。その必死な姿に、エリナは少しだけ戸惑う。

 騒ぎを聞きつけたアッシュが、リリィを連れて姿を現した。


「……アイリス」


 アッシュは、変わり果てた幼馴染の姿を見て、複雑な表情を浮かべた。

 アッシュの姿を認めた瞬間、アイリスの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。彼女はアッシュの前に駆け寄ると、その場に崩れるように膝をついた。


「アッシュ……ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい……!」


 彼女はプライドも、聖女という立場も、何もかも捨てていた。ただ、一人の少女として、涙ながらに過去の過ちを告白した。


「あなたを追放したのは……わたくしの、嫉妬と弱さでした。あなたの方が、ずっとすごい人だったのに……。ずっと、優しい人だったのに……! わたくしは、自分のことしか考えていなかった……!」


 嗚咽を漏らしながら、言葉を続ける。


「国のためだなんて、言いません。でも、お願い……。罪のない、苦しんでいる民のために……あなたの力を貸して……」


 彼女は、アッシュに救いを求めるのではなく、民のために救いを求めた。その言葉に、嘘はなかった。

 アッシュは、静かに彼女の言葉を聞いていた。彼の隣で、エリナとリリィが心配そうに見守っている。


「……顔を上げて、アイリス」


 アッシュはそう言うと、彼女に手を差し伸べた。


「苦しんでいる人がいるのなら、見捨てることはできない。それが僕のやり方だから」


 彼の言葉に、エリナがふっと微笑んだ。


「……まったく、君はお人好しだな。だが、そういうところが好きだ」


 リリィもこくりと頷く。


「うん。苦しんでる人がいるのに見て見ぬふりするのは、アルカディアのやり方じゃないよね!」

「エリナ……リリィ……」


 アッシュは仲間たちの言葉に後押しされ、王国を助けることを決意した。

 アイリスは、アッシュが差し出した手を取り、涙で濡れた顔を上げた。その目には、感謝と、償いの光が宿っていた。

 過去との決着は、こうして果たされた。これより始まるのは、未来を救うための戦いだ。

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