第六章:忍び寄る黒い霧、聖女の焦燥

 その頃、僕が追放された王国は、静かな絶望に包まれ始めていた。

 原因不明の疫病。それは「黒い霧」と呼ばれていた。どこからともなく現れる黒い霧に触れた者は、たちまち高熱にうなされ、体力を奪われて衰弱していく。作物は霧に触れると根から腐り、大地は力を失っていった。

 王国の希望は、ただ一人。聖女アイリスの【大聖癒】だけだった。


「聖女様、お願いします! 息子が……!」

「ああ、聖女様、畑が……!」


 アイリスは毎日、身を粉にして治療と浄化にあたっていた。彼女の放つ黄金の光は、確かに病に苦しむ人々を癒し、汚染された土地を一時的に浄化する力があった。

 しかし、その効果は限定的だった。治療しても、再び黒い霧に触れれば、また病は再発する。浄化しても、次の日にはまた大地は穢れてしまう。まるで、底の抜けた桶に水を注ぐような、終わりなき戦いだった。


「はぁ……はぁ……どうして……」


 王城の自室に戻ったアイリスは、ベッドに倒れ込んだ。日に日に増していく人々の苦しみと、それに応えられない自分の無力さ。聖女として称賛を浴びていた頃の自信は、もはや欠片も残っていなかった。


「聖女様、ご無理なさらないでください」

「黙りなさい! わたくしがやらなくて、誰がやるのですか!」


 侍女の気遣いにさえ、苛立ちをぶつけてしまう。心はすり減り、疲弊しきっていた。

 そんな時、ふと彼女の脳裏に、ある少年の姿が浮かんだ。


『どんなガラクタでも、役に立つものに変えていた』


 幼い頃のアッシュの姿だった。彼は壊れたおもちゃを分解して、別の何かに作り変えるのが得意だった。当時の自分は、そんな彼を小馬鹿にしていたけれど、彼はいつも楽しそうだった。

 そして、授与の儀で授かった、あの地味なスキル。【アイテム分解】。


(もし、アッシュがいたら……? あのスキルで、この黒い霧を『分解』してくれたりしたのかしら……?)


 馬鹿げた考えだとはわかっている。でも、一度浮かんだその想いは、アイリスの心に小さな棘のように突き刺さった。

 出来損ないと罵り、彼の追放を当然のこととして受け入れた自分。彼の優しさを、ずっとそばで見てきたはずなのに。


「……わたくしは、なんてことを……」


 後悔の念が、黒い霧のようにアイリスの心を蝕み始めていた。自分が犯した過ちの大きさに、彼女はようやく気づき始めたのだ。だが、もう遅い。アッシュはもう、この国にはいないのだから。

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