突発的に書きたくなったお話たち

柳 アキ

ラプラスの歌声を聴いて

 籠の中の街。

私が引っ越してきた後、そうなった。

街全体が透明な糸で仕切られていて、とても鋭く危ない糸だそう。

指を入れた途端にスパッと切れる。(にんじんで検証済み)


 さらには視界も遮られており、水文のような揺らぎが糸と糸の間で広がっている。


抜け道はあるらしく、出たり入ったりする人が後を絶えない。まあ、試そうとも外に出ようとも思わないが。



 糸で街が仕切られていても、風が吹いたり雨が降ったりと特に変な様子もない。

だから野菜などは自給自足だし

生鮮品は地下の正式なルートを通れば安全らしい。



わたしはこの街のことを何ひとつ知らない


つい最近越してきたばかり。

友人などいるはずもない。


ある日いきなり現れた糸によって街に閉じ込められてしまったのだ。


「あーあ。隣町のコンサート行けないな」

気分を切り替えようと風にあたりに誰も来るはずのない小さな丘に来た。

ここは糸が内部まで生えているので

誰も近づきたくない場所だ。


……しかし、気持ちの良い場所だ。

鬱憤晴らしに丁度いい。


「___♪」

わたしはソプラノ歌手。

小さい頃からの夢、やっと叶えたと思ったのに。







___同時刻、糸の向こう側の小さな丘


 糸は不思議だ。

虫からできる糸、蜘蛛が織る糸、昔話では鶴も織っていたか…。


もうどうだっていい。糸はよく切れると聞いた。

そのまま俺の首ごとスパッといってくれないかな?(魚肉ソーセージで検証済み)



「___♪」


どこかから聞こえてくる歌声。

単純に言語の理解は出来ないけど


「悲しくなる声をしている」


旋律、強弱、曲調……

どれもとっても悲しくなる

守ってあげたいような不安定な歌声

それでいて確立された歌い手の声。

これはプロだ。

そう直感した。



“籠の街から聴こえる歌は万人の心を癒やす”


俺から始まった噂は瞬く間に街の外の住民へと広まった。

まるで糸のような情報網を持つ俺は……。



 風が吹くたび聴こえる悲しいリサイタル

いつだったか、隠語で

“ラプラスの歌声” “ラプラス”

と呼ばれるようになった。

その悲しい声の持ち主に

応援コメント、激励の手紙が届くことはなかった。









___籠の街

 風が吹くと歌いに行くようになった。

誰かが聞いてくれているような

なんとなく歌わなきゃ行けない気がしたから。


 …昔、私は嫌われ者だった。

どんな曲を歌っても

負の感情を思い出させるために

みんなで歌うことがとてもストレス。

最後には声が出なくなるくらい抱え込んだ。

だからひとりで歌うと決めた。

今持つ歌声が評価されるところで歌を仕事にしたい。

ただそれだけだったのに


今はこうして丘に立ち

風に吹かれながら

悲しい歌を歌うだけ。

誰かに聞いてほしいのかもしれない。

お金が欲しいのかもしれない。

でも、この籠は声は通さないと聞いた。

だから、自分のエゴに過ぎないんだろうな。


オペラは良い。

女のドロドロした関係性が

醜い部分が包み隠さずドンと出てくる。

まさに悲しい歌声と罵られたわたしにはぴったりの曲だった。

あんまり細かいことを考えなくても

旋律に乗る歌詞は

私と風を流れていく。

手を繋いでクルクル回る。

ああ、なんて素敵な…



……?

……へ?

(糸の籠が…)


…あ、ども。



…へ?…ああこんにちは…?

(糸くずとなって丘の上で舞う。)



…ラプラスさん?



…ラプ…ラス…?

(ラプラス?なにそれ?)


あなたの歌声だけは籠の外まで聞こえていました


……えっ?聞かれていたってこと…?

(そうだとしたら恥ずかしいけど……)



はい…こっちでは大分有名ですよ…?

(こっち?籠の外ってこと?)



恥ずかしい…です。

(…聞いている人がいたって考えると嬉しい。)



俺は詩人です。今はなにも詠んではいませんが。

それでも、あなたの素敵な歌に心を寄せておりました。旅の道中で素敵な方に出会えました



え?ああ、どうも。

(…私の歌声、ね…)



…良ければ俺のために歌っていただけませんか?

その歌声、きっとプロの方なのでしょう?

対価はお支払いいたします。だからどうか…



ありがとうございます…その…詩人さん。

必要とされているならいつでもどこでも歌います…!

もちろん対価なんか必要ありませんよ?

私の声で良ければ聞いてください



___そよ風が体を包む。

鳥の声

落ち葉の這う音

草が体を寄せ合う音

その全てが私を奮い立たせた


「___♪」


詩人は風に身を任せ目を閉じて音を聞く


詩人が私の歌をどんなふうに評価するのかはわからない。

でも今は気にならない。

誰かのために歌えるってこんなに気持ちのいいことだったんだ…!



「…ありがとうございます」

一礼とともに閉幕。

風も丁度泣き止んだ。



「あなたの声は俺には薬かもしれません。

良ければまたお聞かせください。」

そう言いとぼとぼどこかへ歩き出した。

悲しい旅路ではなく

もっとこう…なにか、新しい方へ。

詩が書けない詩人は歩み出した。




___とあるオーディション会場


「もしや、“ラプラス”?」




___とあるライブ会場


「忘れてたよ“泣く”ってこと」

「思いっきり泣けてスッキリした」


しばらくラプラスとして歌うようになった。

後で知ったが、そもそも“ラプラスの歌声”を広めたのはあの詩人さんだった。

そこに添付され投稿された私の声は

闇の中で抜け出せず泣く子どものよう

悲しみの共有がとても上手かった


今の私は、悲しみの女王ラプラスと呼ばれるように。

悲しい=ラプラス

その象徴になれたのなら嬉しい。

でも、同時に物足りなさもあった。

人間の貪欲なところか

はたまたただの自己満か。




 久しぶりにあの丘に行った。

前は糸があって向こうなんて見られなかったけど、今は高層マンションや住宅が小さく見える。

相変わらず風が吹いていて

ライブの衣装そのままで来た私も風になびいている。


「こんにちは……いや、こんばんわかな?」

先客があった。



「お久しぶりです」



「……近くを通ったのでね。俺もよくここへは来ていたんだ。」

風が止んだ。声がよく聞こえるようになった。



「毎日来ているくせに…」

そう、私もだ。仕事帰りの真っ暗な丘に来る。

すると必ず詩人さんの後ろ姿があるんだ。



「ああ、バレてたかぁ。だって君の歌声のファン、第一号だよ?」

そうして目を細めて笑う詩人さん。



「そう言えば、私はあなたの詠うところを知らないのです。なにかないです?詩人っぽいとこ」

あまりにも無茶振り。

歌じゃないんだからすぐには出ないと知っているが……気になった。興味本位だ。



「無茶を言いますね君は……」

また目を細める詩人さん。

息を大きく吸って吐いた。




風の もと


僕は 君の元


光の もと


君は 風の元


きっと笑う 僕と君


君は 風


僕は なにか





「……どうだい?俺のうた



「下手」



「…うん。だから自称詩人通称暇人だ。でも、そこまで言わないでよ」



「ごめんなさい…

でも、すてきな歌だったよ」



「この詩を君に送るよ。

いつかもっと上手くなって帰ってくる」



 空が明るくなった。雲が隠れていた月を見せたんだ。

月光の元、風が再び吹き始めた。

まるでこの瞬間が詩そのものになったよう。



 風も月光も丘も、今日歌ったライブとはまるで別のステージだ。

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