第8話 君がいるから — Because You’re Here

 週末の朝、湊はベッドの上でスマホを見つめていた。画面には短いメッセージが並んでいる。


〈今度の土曜、映画行かない?〉

〈気分転換しよう〉


 陽真らしい、あっさりとした誘い文句。それだけで胸が温かくなる。


「……うん、行きたい」


 返信を打ち込む指が、わずかに震えていた。


(これって、デートの誘い…なのかな?)


 いつもの遊びの約束とは違う。

 ワクワクする気持ちと、ドキドキする気持ちが同居している。


(僕たちって、本当に付き合ってるんだな…)


 湊はそんなことを実感していた。



 映画館の前は、休日らしく人で賑わっていた。ポスターに描かれた鮮やかな色彩、ポップコーンの甘い匂い。湊は少し緊張した面持ちで待っていたが、陽真が「待った?」と笑って現れると、胸のざわめきは自然に解けていった。


「どれ観たい?」

「この恋愛のやつ。原作、ちょっとだけ読んだことある」

「じゃあ決まりだな」


 映画館に向かう途中、横断歩道で車が急に曲がってきた。陽真はさりげなく湊の肩を引き寄せる。


「危ない」

「……ありがとう」


 手をつないだわけでもないのに、その一瞬の距離の近さが、指先よりもずっと強く湊の心を熱くした。


(陽真って、けっこう力が強いんだな…)


 そんなことも、初めて知った。



 暗い館内、ポップコーンを分け合いながら映画を観る。スクリーンの光が湊の横顔を淡く照らす。笑うタイミングも、切ない場面で息を呑む仕草も、隣で見ているだけで十分だった。


 湊は、女の子とのデートも経験がない。

 だから、これが初デートの気分だった。


(小さい頃から知ってる陽真なのに…今日は違う人みたいに見える…)


「どうだった?」

「……すごくよかった。最後のシーン、ちょっと泣きそうになった」

「俺も。連れてきてよかった」


 言葉は短い。でも、その短さの奥にあるものを、湊は確かに感じ取っていた。



 映画の後、二人は近くのカフェに入った。ガラス越しに夕方の街並みが映り、食器が小さく触れ合う音が心地よい。


「今日、誘ってくれてありがとう」

「俺も楽しかった。またデートしよう」


 さらりと『デート』という言葉が陽真の口から出て、湊はドキッとした。


「う、うん、また…デートしよう…」

「……あのさ」


 陽真が真顔になる。


「どうしたの?」

「実は、彩香ちゃんに俺たちが付き合ってること、知られた」

「……え?」


 湊は思わずフォークを止めた。


「でもいいと思ってる。悪いことしてるわけじゃないし。俺は湊と一緒にいること、隠したいんじゃなくて、大事にしたいんだ」


 胸の奥が熱くなる。秘密を抱えている罪悪感が、少しだけ溶けていく。


「……ありがとう。そう言ってくれて、嬉しい」


 湊の声は震えていたが、笑顔は確かだった。



 夕食を終え、二人は街の外れの小高い公園に足を伸ばした。丘の上からは、夜景が広がっている。無数の光が瞬き、冷たい風が頬を撫でる。


「綺麗だな」

「うん……」


 並んで座ったベンチ。沈黙は、気まずさではなく穏やかな安心感を伴っていた。


「秘密にしてるの、大丈夫?」


 湊が小さく尋ねる。


「大丈夫。俺たちが変に見られるのが嫌なだけで、隠すことに後ろめたさはない。……大事にしたいから」


 その言葉に、湊の胸がじんと熱くなる。


 顔が自然に近づいた。視界から夜景が消え、陽真の瞳だけが映る。唇が重なり、柔らかな温度が広がった。今までよりも長く、穏やかで温かいキス。


 唇を離して見つめ合った後、もう一度、陽真の唇が重なった。

 今度は、さっきよりも、熱くて深いキス。

 互いの息が絡み合い、時間が止まったように感じられた。


「……やっぱり、陽真じゃなきゃだめだ」


 湊の呟きは、夜の空気に溶けていった。



 その頃。


 彩香は、コンビニのレジ前でわざとらしく会話を切り出していた。


「ねえ、このお店でバイトしてる湊くん、知ってます?」

「ああ、桐谷? 今日は休みだよ」

「あ、そっか。デートって言ってたもんね」

「デート…」


 その人が、湊のことを気にしているという情報は、友人の伝手を通じてすでに調査済みだった。

 『デート』という言葉への反応も、彩香の期待通りだった。


「もしかして、湊くんのこと、隙なんですか?」

「べ、別に…そんなんじゃ…」

「とられて、悔しくないんですか?」

「……」


 唇をかみしめる男性を見つめながら、彩香は笑った。


「いい方法、ありますよ」

「いい方法?」

「湊くんを手に入れる方法。良かったら、手伝いますよ?」


 その声は甘く、けれど鋭い棘を含んでいた。



 夜景の見える公園では、まだ湊と陽真が寄り添っていた。

 二人は知らなかった。背後で新しい嵐の種が芽吹いていることを——。


*************


今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「君がいるから — Because You’re Here」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫


「君がいるから — Because You’re Here」はこちらから⇒ https://youtu.be/h2GtV0JXLuE

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