第4話 神殿の結界石・壱

 手先が若干痺れる。早朝の冷たい空気が街道を吹き抜けていた。

 フェドレンコとの戦争――そんな物騒な噂など微塵も姿を現さない。首都トベルクは朝から活気に溢れている。

 歩きながら朝食を済ませ、噂の出処を探りに裏通りに向かう。

 賑やかな喧噪が遠退き、狭い路地に来ると地面で横になる人が散見できた。


(想像していた通りだ)


 ここで寝ている人たちは、きっと宿無しの流れ者か何かだろう。


「おはようございます。これ、食べますか?」


 鞄からパンを取り出して見せると、男性は虫を払うように手を振った。


「うぅぅ……要らない。水をくれ……」


 水筒から水を取り出し、彼に与える。


「ぷはぁ! 申し訳なかった。昨晩、飲みすぎて……店から追い出されてしまった」


 豪快に飲み干す態度とは違い、どこか品のある声。ローブで頭を隠してはいるが、彼の頭からは街では見られない形の耳があった。


「酔っ払い? 物乞いとか奴隷じゃないんですか?」

「ははは。違います。無理もありませんね。こんな場所で寝ていたのですから……お恥ずかしい」


 屈託ない声で問いを笑い飛ばすと、彼はすっと立ち上がった。

 二メートル近くありそうな大男だ。若いと言えば若そうだ。冒険者か何かだろう。

 彼の大きな掌が頭に乗る。

 表情を窺い知ることはできないが、きっと笑顔だ。敵意など微塵もなかった。

 一拍の間を置いて男性が問いを投げて来る。


「青年。君は奴隷を探しておられるのですか?」


 首を横に振って答える。がっしりとした手は頼もしさすら感じる。


「こことフェドレンコが戦争するって噂を聞きました。街で情報を集めているんですがどうも嘘くさいなって……」

「良い洞察力をお持ちで。両国は昔から国交している仲。争いは起こらないと見て宜しいかと……」


 彼は自分の身形を整えながら、男性の言葉はとても丁寧だった。思わず小首を傾げてしまう。


「少々お待ちくださいね」


 男性は優しい声で呟くと、近くで横になっている女性の背中を軽く叩いた。

 忍び装束のような服……こんな無防備な恰好で寝ていたのだろうか。

 頭を抱えるように起き上がる女性。


(この人の頭にも耳……角みたいなものが生えてる)


 僕はもう一度水をカップに入れて手渡す。


「っ……あ、ありがとうございます」


 短く息を呑み、彼女は深々と頭を下げる。しかも勢いよく。女性の甘い香りに交じって、酒の匂いが鼻に入って来た。


「ただの水ですから。大丈夫です?」


 彼女はコクコクと頭を揺らして、一歩後退りした。

 笑おうとして頬が引きつる。路地裏で見知らぬ男が近くにいる。女性なら警戒しても無理もない。


「彼は戦争の噂話について調べているようだ」


 淀みのない報告のような口調。軍や騎士団の人なのだろうか。女性の肩が下がっていく。


「平和そのもの……戦争の気配はありませんが、噂は確かにある」

「ドワーフと魔族だけを調べていても駄目かも知れませんね。他国の……冒険者ギルドで情報を集めてみては如何でしょうか」


 女性の口調も丁寧だ。冒険者ではない。騎士団――ならば、こんな場所で寝ていることが不自然だった。


「首都に入ってまだ日が浅くて、土地勘がないんです」


 地面を見ながら頭を掻いた。田舎者と笑われてしまうだろうか、恥ずかしさが込み上げてくる。


「貴方様はトベルクに入ってどの程度経つのですか?」


 人差し指と中指を立て、ピースサインのようにして見せる。


「二週間……でしょうか?」


 女性は胸の前で手を握り、問いを投げてくる。


「い、いえ……二日……」


 顔が熱くなる。


「何と……まだ二日。それでは土地勘がなくても仕方ありません」


 二人が笑うことはなかった。落ち着いた口調のまま紳士的な態度を崩さない。

 ふっと男性の大きな手が僕の頬を挟み込む。


「……ふむ。なるほど」


 大男と目が合う。彼が辟易ろぐことはなかった。


「あれ……?」

「如何なさいました?」


 喉がひりついて言葉が出ない。師匠やアビーでも怖いと言っていた『殺気』が彼には届いていないようだった。


「戦争……冒険者ギルドではなく、奴隷店に足を運ぶのが宜しいかと」


 男性は腕を組みながら頷く。しっかりと地面に根を下ろす大木のようだった。


「そんなに硬くならずに」


 ふっと、首に輪が掛けられる。


「ペンダント?」


 細かい装飾が彫られた首輪。宝石の類はない。それでも、手間暇掛かった一品だというのはわかった。


「お、お水のお礼……そしてこの出会いに感謝を……」


 何故か女性の声は濡れていた。返そうと輪に手を掛ける。

 僕の手を止めるように大きな手が置かれた。


「少しお話しただけなのに……頂けません!」

「どうか大切にお持ちください。貴方の行く末を見守るお守りです」

「ふふ、律儀な方。作法が身についておられますね」


 男性の手が離れ、女性はくすりと笑った。

 ――意味がわからない。

 二人は満足そうに頷くと、静かに僕から離れていった。


「あ、あの……」


 慌てて追いかける。彼らが入って行った小道は靄が掛かり、街とは違う薬莢のような匂いがした。

 夢でも見ていたのだろうか……そんな疑問は、首に掛かる重さで消えた。


「何だったんだ?」


 こういう出会いも異世界なのかな。

 誰も答えてはくれない。ただ静寂だけが僕を取り巻いていた。


「魔王って何なんだろう……」


 街の活気は一段と増し、人々の声や足音が響いてくる。

 行きかう人々の魂に揺らぎは少ない。

 穏やかだ。とても「魔」と付くようには見えない。

 これなら、黒い魂である自分の方がよっぽど魔と言われそうだ。


 ――奴隷店に……そう考えたが、まずは大神殿に向かうことにした。

 まだ土地勘も少ない。

 事を急いて目的地まで一直線……なぜかそんな気分になれなかった。

 鞄から地図を取り出す。

 宿屋の亭主が描いてくれたものだ。羊皮紙のざらつきが指に残った。


「大通りを進むと舗装された道路を抜けて、山岳地帯のような道……」


 この山道を抜けた先に大神殿がある。

 靴底に石畳とは違う感触が伝わる。休憩を挟みながら三十分ほど山道を進んだ。

 後ろを振り向くと、ぼやけた視界の中に浮かぶ美しい街並み。

 真冬が近いせいもあって空気が澄んでいるのか、綺麗に見ることができた。

 ずっと神社の中で生活していた。

 だが、和の要素は皆無だ。

 中世ヨーロッパのイメージに書き換えるしかないと認めるしかなかった。


「寒っ……」


 早く外套がほしいと切に思う。

 それから二時間程度。山道を歩き続けると大神殿が見えてきた。

 神殿には二つの白い尖塔。微量の魔力を感じる丸い大きなステンドグラスに思わず息を呑む。

 入口には馬に跨った騎士が槍を掲げている。どこかで見たような、そんな気がする石造だった。


「凄い。立派な建物だ」


 迫力のある外観に胸が高鳴る。

 入場するためのゲートもなければ、観光客の姿もない。

 白亜の塔の門が口を開いているだけだ。


「入場料とかどうやって払うんだろう……」


 仕組みもわからないが、中を見たいという好奇心が勝った。

 胸の前で手を握り門を潜る。靴底が床を鳴らす音が響く。

 ステンドグラスから差し込む光。大きなクリスタルが神秘的な淡い光を放っていた。その圧倒的な存在に喉が鳴った。

 観光名所と謳われるだけある。

 ただ目の前に佇むクリスタルに魅入られていると、背後から絡みついてくるような口調の声が耳に届いた。


「あら……旅の方、どうですか? 西方の結界石は……」

「思わず見惚れていたところです」


 クリスタルを見続けたまま答えを返す。

 言葉を多くして飾るより、ただシンプルに感想を伝えた。


(待て、今この女性は何て言った? 西方の結界石?)


 慌てて女性の方を振り向く。彼女も同じようにクリスタルを見上げていた。


「西方の結界石……?」

「ええ、有名なのよ?」


 彼女の魂は美しい黄色――悪い人ではない。一目で理解できた。

 ボディラインが浮き出るような黒い服。そして上着として効果があるのか疑問になるほど、透けている薄手のローブ。


(師匠もアビーもそうだけど……この世界の女性は、どうしてスタイルが良いのか)


 黒い靄の掛かる視界でもわかる女性らしさに、呼吸が浅くなる。

 僕は深く呼吸をして、改めてクリスタルに目を向けた。


(これがバンセティーラインの一端。同じ物が神社にもあったのか……)


 静かに輝きを放ち続ける結界石。再び魅入られていると、女性が口を開いた。


「わ、私はアンジェリカと言うの……」


 ゆっくりというより、おっとり。そんな口調の彼女は、同じようにクリスタルを見上げていた。


「旅をしているユリウスと申します」


 彼女に一礼して、こちらも名前を口にする。

 普通に自己紹介したつもりだが、驚かれてしまった。


(得体の知れない男が帯刀しているのだから、警戒されても仕方ないよね……)


 笑おうとするが上手く笑えなかった。

 僕と彼女だけしかいない静寂の空間。あまり静かだと居心地も良くないので、今度はこちらから話を振ってみる。


「西方の結界師、アンジェリカ・モーガンさんで間違いないでしょうか?」

「あら、面白い子ね。どうして、私の名前と結界師のことを知っているのかしら?」


 おっとり口調のまま、彼女は小鳥の囀りのように小さく問いを返してくる。


「驚かせて申し訳ありません。僕は弱視であなたの姿を満足に捉えることができません。ですが、我が師エスティリアから伺っておりました」

「エスティリアちゃんを知っているの? どういうことかな……」

「ええ、厳しい方ではありますが、とても強く、優しくて美しい方です」


 口にした時、師匠の笑顔が脳裏に過った。思わず頬が緩まる。


(師匠は今頃何をしているかな? 寂しくて泣いていたりして……)


 目の前の女性は、掌を前に突き出して何か考えているようだった。

 どちらも口を開かない沈黙が神殿に落ちた。


「どうかされましたか?」

「もう少し、お話を詳しく聞かせてほしいの」


 マイペースというか、おっとり口調が彼女の特徴。

 不規則に揺らぐ魂を見て、何となく彼女は動揺しているのだと気が付いた。


「申し訳ありません。帰りの時間もあるので今日は失礼させて頂きます。思ったより街から離れていたので……また日を改めてこちらに伺います。今日は神殿を見せてくれてありがとうございました」


 軽く頭を下げて、別れを告げる。

 別に彼女の口調が嫌いとかではない。単純に帰りの時間が気になったからだ。


「あっ……」


 背後から呼び止められた気がするが、構わず足を進め大聖堂を後にした。

 僕を見下ろすように槍を構える石像。


(師匠が鎧を着こんでいたら、こんな感じなのかな)


 凛々しくも耽美な佇まい。芸術には疎くても目の前の石造は美しいと思えた。


「この石像ね、エスティリアちゃんなの!」


 よく通る声が背中から届く。叫ぶような彼女の声に思わず振り返る。


「アンジェリカさん、どうされたんですか?」


 黄色の魂は、胸に手を置いて身を震わせている。


「お……お話、聞かせてください」


 頭を下げる彼女。表情が見えなくても声色から涙しているのがわかる。口調は相変わらずだ。それでも必死さは確かに僕の心に響いた。


(まさか泣かせることになるとは……)


 お天道様が見てそうだ。そんな思いから太陽を見上げる。

 正午過ぎ。徒歩で街に戻ることを考えると、今から出発して丁度いいぐらいだ。


「ごめんなさい。ここまで歩いて来たので、なるべく早めに街に戻りたいんです」

「えぐっ、街まではテレポートで送りますからぁ……」


 両腕を交互に動かして涙を拭い続ける彼女。思った以上に泣き虫だったようだ。

 短く息を吐いて、その場に腰を下ろす。布越しでも地面の冷たさはすぐに伝わってきた。

 太陽と一緒に、石像が高い場所から僕を見ていた。

 降参――警官に銃を向けられた人のように軽く両手を上げる。


「泣かないで。街まで送ってくれるなら大丈夫です。それじゃ師匠のお話をしましょうか」

「ほ、本当に?」

「ええ、これ以上泣かせると師匠に怒られそうだし」


 どこかで何かが軋んだような音が聞こえた気がした。乾いた木が擦れるような。重たい物がずれるような――

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