わびさびLove it
飯田沢うま男
第1話 サルバトーレ
1591年のある日、千利休は豊臣秀吉の居城・聚楽第に呼び出された。いつものように静かで張りつめた空気の中、二人は茶を酌み交わしていたが、ふとした拍子に利休が口にした一言が、運命を大きく狂わせることになる。
「秀吉様、あなたの辞世の句は、例えばこういったものはいかがでしょうか?
『戦終え ウキウキしつつ 猿が去る 聞きしに勝る 勇姿でござる』…」
一瞬の沈黙の後、秀吉の顔が見る見る紅潮し、まるで湯気が立ち上るかのように怒気をあらわにした。
「利休、貴様ァ……“ウキウキ”だと?“猿が去る”とは何事だ! わしを猿扱いしおって、もはや切腹すら生ぬるい! この愚か者が、未来にでも放り投げてくれるわ!」
怒り狂った秀吉が背後に掛けられていた掛け軸を刀で切り裂くと、突如としてそこに異様な渦が現れた。強大な力に吸い込まれるように、利休の体はその渦へと引き込まれていった。
「な、なんと……あ〜れ〜!」
次に彼が目を開けたとき、そこは見慣れた畳の茶室ではなかった。モダンな建築に囲まれた、陽光が差し込むテラス席。頭上には緑色のロゴが輝く「Starbucks」と書かれた看板があり、周囲にはカジュアルな服装をした人々が、手に奇妙なカップを持って談笑していた。
千利休は戸惑いながらも、目前のテーブルに置かれた一つのカップに目をやった。そこにはアルファベットで「Rikyu」と記されていた。恐る恐るそのカップを手に取り、一口含んだ瞬間、目を見開いた。
「これは……抹茶か?いや、少し甘い……しかも泡立っておる。まるで茶筅で立てたようだが、何かが違う。」
そのとき、一人の若いバリスタが彼のもとにやってきて、にこやかに尋ねた。
「お味はいかがですか?それは抹茶ラテです。抹茶にスチームミルクを加えて、ほんのり甘く仕上げています。」
「抹茶ラテ…?現代の茶か……」利休は思わずつぶやいた。
戸惑いながらも、彼はこの奇妙な場所が夢ではなく現実であることを徐々に理解し始めた。彼の周囲には、聞いたこともない音楽が流れ、不思議な小箱から光が漏れて人々が操作している。すべてが未知の世界だった。
やがて、彼の耳に流れてきた軽快な音楽に心を奪われた利休は、ふらりと店内へと歩を進め、じっとスピーカーから流れる音楽に聴き入った。三味線や笛とはまるで異なる音だが、リズムやメロディーにはどこか心を揺さぶるものがあった。
しばし音に酔いしれていた利休だったが、ふと我に返ると、己がどこにいて、何をすべきかを考え始めた。
「私はなぜこの時代に来たのか。どうすれば元の時代に戻れるのか。」
彼は答えを探すため、周囲の人々に話しかけ、言葉を覚え、現代の文化や技術について学び始めた。スマートフォンやインターネット、自動車やコンビニ、すべてが驚きに満ちていたが、彼が特に心惹かれたのは、現代の日本にもなお存在する「和」の精神だった。
日常の中に漂う静けさや、ささやかな美を愛でる心。無駄を削ぎ落としたシンプルな美しさ。利休は気づいた。自分が大切にしてきた「わび・さび」は、時を越えてなお、人々の心に根ざしているのだと。
「茶の湯は、形ではなく心である。ならばこの時代にも、新たな茶の湯の形があって然るべきだ」
彼はそう語り、再び抹茶ラテを一口飲んだ。
そして静かに、しかし確かな決意を胸に、未来での茶の湯を模索する旅を始めたのであった。
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