ゼウスさんちのアキバ紀行 ~最高神の妻ですが、夫が『二次元』にハマりました~
黒澤 主計
前編:こいつらのストライクゾーン、無限大なの?
この世界に、こんな恐ろしい場所があったなんて。
「沼。まさに、底なしの『沼』ね」
もっと早くに気づいていれば。
そうすれば、こんな場所には来させなかったのに。
「まったく。倒そうにもキリがない」
見渡す限り、危険なものばかり。何もかもが、『夫』に悪い影響を与えてくる。
間違いなく、また悪い病気が出てしまっている。
結婚して以来、ずっとわたしを苛んできたもの。
「ゼウス。本当にもう、いい加減にして!」
苛立ちを込め、わたしは『夫』に訴える。
でも、わたしの声は届かない。
「も、萌え~」
夫の目線ははっきりと、『町のポスター』に注がれていた。
いわゆる、『二次元』と呼ばれる少女の姿に。
わたしはヘラ。
ギリシャ世界の女神にして、最高位の権力を持っている。
でも、わたしには悩みがある。
「ゼウス。いい加減にして!」
夫が本当に、どうしようもない。
ゼウス。彼はギリシャ神話の最高神。
けれど、彼には大きな問題があった。
「ゼウス。また浮気なの?」
無類の女好き。わたしという妻がありながら、可愛い子を見るとすぐ言い寄ろうとする。
これまで一体、どれほどの問題を起こしてきただろう。
「許すまじ! 浮気相手の女。絶対に許すまじ!」
これが多分、『わたしたち』の主なイメージ。
ゼウスはとんでもない浮気者。そして、妻のヘラは嫉妬深い。
「罰として、あなたたちは『動物』の姿に変えてあげる!」
カリスト、イオ、そしてエウロパ。相手の名前を数え上げればキリがいない。
ゼウスが浮気をすれば、妻のわたしは怒り狂い、女たちを『動物』などの姿に変える。
「カリストは熊にでもなりなさい! イオ、あなたは牛の姿のまま元に戻さない!」
これがいつものサイクルだった。ゼウスはとにかく『顔』を重視する。だから浮気相手を動物の姿に変えることで、簡単に心が離れていく。
「おかげで、嫉妬深いイメージがついちゃったけどね」
でも、今まではそれでどうにかやってこられた。
それなのに。
「まさか、こんな事態になるなんて」
何もかも、わたしの油断が招いたこと。
何千年も夫婦として傍にいたのに、まだまだ何もわかっていなかった。
ゼウスという夫の、『タチの悪さ』を。
(ゼウス様、しばらくは旅行に出られるそうです)
側近の女神からそう聞いた時、たしかに嫌な予感はしていた。
『そこ』は、恐るべき場所だった。
以前から、危険な土地だとは耳にしていた。一度そこに足を踏み入れたら『底なし沼』のように這い上がれなくなってしまうと。
アキハバラ。
日本という、ギリシャからは遥か東に位置する国。その国の中でも特に、『異質』と呼ばれている場所。
ビルが立ち並ぶ中に、何枚もの『ポスター』が貼られている。
どれもこれも、可愛らしい女の子の姿が描かれていた。アニメ、漫画、ゲーム。そういったものの中に登場しているキャラクターらしきもの。
そんな『美少女』たちの姿が、この街には溢れ返っている。
違っていて欲しい。わたしが抱いた予感が、出来れば間違っていて欲しい。
焦燥を噛み殺しながら、わたしは必死にゼウスを探す。
その先で、はっきりと『見て』しまった。
「そんな、ゼウスが!」
灰色の髪、灰色の髭。間違いなく、わたしの夫。
でも、服装がいつもと違っている。
上は灰色のネルシャツ。下は白のチノパンツ。シャツの裾はしっかりとズボンの中に収められ、背中には大きなリュックを背負っている。
完璧な、秋葉原ルック。
そんな姿に身をやつし、ゼウスは店頭のポスターに見入っている。
アニメの中に登場する、『二次元の美少女』に。
「も、萌え~」
これが、ジャパニーズ商業主義。
危険な『沼』のごとく存在し、一度足を踏み入れたら二度と出ることが叶わない。
「今月発売のフィギュアは、この太ももの造形が見事ですな」
「いえいえ、やはりこの服のキャストオフ機能が」
片方は痩せ細った眼鏡の男。もう片方は汗の多い太った男。背中にはリュック、両手には紙袋を持っている。
間違いなく、毒されている。
この街に満ちた『商業主義』というものに。彼らもまた、見えない沼に囚われている。
「も、萌え~」
ゼウスが店の中に入って行った。通路の奥へと真っすぐに進み、美少女が表紙になっている漫画本を手に取る。
「ああ!」とわたしは声を漏らす。
ゼウスの表情。漫画に描かれている少女の顔を見る時の、夫の顔。
あれは間違いなく、『恋をしている』時の顔だ。
どうしよう、ゼウスが『オタク』になっちゃった。
今すぐ、助けてあげなくちゃ。この街に蔓延する危険な商業主義。このまま放っておけば、ゼウスは永遠に戻れなくなる。
「仕方ない。また『いつもの方法』を取らせてもらうわ」
相手が二次元だろうと、わたしの力が通用しないはずはない。ゼウスの目を覚まさせるためには、やっぱりこの方法を取るしかない。
メイド服を着た、まだ幼い少女。表紙の中で潤んだ目を向けている。
カリストやイオのように、別の生き物に変えてやる。
「あなたは猫! 猫に変わりなさい!」
漫画の中のキャラに向けて、神の力を発動した。
「どういう、ことなの?」
本来だったら、これで全てが解決するはずなのに。
「ケ、ケモナー! 猫耳美少女が!」
街を行く、『こってりした男たち』が鼻息を荒くする。
メイド服を着た少女は、『獣人』に変化した。語尾に『にゃ』と付け、上目遣いにうるうると男に媚びた表情を見せる。
「へ?」と思わず声が出る。本来なら、これで心が離れるはずなのに。
なのに、どうしてかえって『興奮』しているの?
まさか、と思い、素早くゼウスに目線を戻す。
夫も同じく、見入っていた。
「も、萌え~」
まさか、逆効果になるなんて。
ゼウスはすぐに『お会計』を済ませ、満足そうな顔で店を出ていく。
「しかもゼウスったら、また別の女のもとへ」
ゼウスは別の店へと入って行き、今度は『フィギュア』を凝視している。
まだよ。まだ、ここで諦めるわけにはいかないわ。
獣でダメなら、もっと別のものに変えてやる。
「だったら、次は男よ。あなたは男に変わりなさい!」
また失敗。
「お、男の
再び、興奮した声が響き渡る。
不安を覚え、素早くゼウスの様子を見る。
「も、萌え~」
これは多分、チョイスが悪かった。
そもそも、ゼウスは男でもいけるクチだった。かつてもガニメデという美少年に言い寄っていたこともあったから。
「だったら、次はもっと別の手で」
街を歩き、ゼウスがまた『女』に見惚れる。ボーイッシュな雰囲気のキャラだった。
「よし、あなたは他の男と結ばれる! 主人公じゃない、別の男に取られるの!」
まるで、ブラックホールのような奴ら。
「え、NTR属性! 脳が破壊される!」
愛する人が他の男に取られたのに、どうしてそこで興奮できる。
そしてゼウスも、息を荒げていた。
「も、萌え~」
諦めちゃダメ。きっと、手はあるはずだから。
どうしようか。次は血の繋がった姉か妹にでも変えてみようか。近親者なら、普通は避けて通るだろうし。
「あ、やっぱりそれはダメ」
ゼウス。父親はクロノス。母親はレア。
ヘラ。父親はクロノス。母親はレア。
わたしたちも、元は『姉と弟』だった。
「だったら、どうしたらいい?」
以前もゼウスが芸術品に惚れ込んだことはあった。
ミロのヴィーナス。両腕の造形が素晴らしいと、激しく興奮していた。
『ふん!』とその場で両腕をへし折ってやったっけ。
サモトラケのニケ。首から上と、両腕の感じを見て『ハァハァ』と息を切らしていた。
『せい!』と素早く頭部と両腕を破壊した。
あの時は、それで解決したはずだった。
魅力を感じたポイントが消え去ると、『スン』とゼウスは熱が冷めた。
それなのに、どうして今は失敗するの?
今度は罵倒させてみよう。ひたすら冷たく、相手を罵る。
「ご褒美です! ありがとうございます!」
「も、萌え~」
正体はおっさん。戦国武将のイメージなんかを持たせましょう。
「女体化! 信玄たん、カワユス!」
「も、萌え~」
残虐な殺人鬼。主人公を監禁したり傷つけたりする。
「ヤンデレ最高!」
「も、萌え~」
どんどん、悪化していく。
最初はメイドや巫女くらいしかいなかったのに、次々と変な『属性』が増えていく。
「馬に変わりなさい」
結果、大人気。
「ゾンビ。生きた屍となるがいい」
アイドルグループ結成。
「無機物ならどう? 『戦艦』に変わりなさい」
またしても大人気。
「わたし、気づけばヒットメーカーに?」
邪悪なる商業主義が、急速に肥大化していっている。
「次はどうしよう。ネズミは、なんか怖いからやめておこう。アヒルも無理ね」
最高神でも勝てないような、強大な力の気配を感じる。
「今日も散財してしまいましたな。『嫁』が多すぎるのも困ったものです」
「またしても性癖が! 性癖が歪まされます!」
ホクホクと、紙袋を両手に抱えた男たちが笑みを浮かべる。
こいつらのストライクゾーン、無限大なの?
洗脳されている。おかげでどんな異様なものを見せられても、それを『可愛い』と思うように脳を改造されてしまっている。
「この、商業主義のブタども!」
一瞬、目の前が真っ黒に染まった。
「あれ?」と首をかしげ、アキハバラの街を眺める。
なぜか、手の中に『どら焼き』がある。いつ、こんなの買ったんだっけ?
まあ、別にいいか。そんなことより、ゼウスの後を追わなくちゃ。
「また、新しい女を」
ゼウスは性懲りもなく、アニメのブルーレイを手に取っている。
今度こそ、と意識を集中させた。
「あなたは、丸々と太りなさい!」
制服姿の女子高生に向けて、力を放つ。
「へ?」
だけど、変化は起こらなかった。
もう一度、神の力を発動させる。
しかし、結果は同じ。
「どういう、ことなの?」
力を、失ってしまっている?
その後も何度も試してみたけれど、アニメの中の少女たちを『変化』させられなかった。
「使い過ぎたから? それとも、二次元に使うのはまずいことだった?」
分析するけれど、すぐに首をかしげさせられる。
ふと、背筋に寒気が走ってくる。
何か、良くないことが起こっている。
「誰か、攻撃を仕掛けてきている?」
それで、わたしは力を『封印』された。
(ヘラ様、お気を付けください)
側近の女神の言葉が、頭の奥に蘇る。
(ゼウス様のことだから、また『現地』で何かに誘惑されてしまうかも)
アキハバラへ来る前に、警告されていたことだった。
この地にあるのは、『二次元』だけじゃない。メイドカフェだの地下アイドルだの、危険なものが存在するという。
(それに、日本には現在、テミス様もいらっしゃるようですから)
少々、胸がチクリとした。
テミス。法と掟を司る女神。
彼女は、『ゼウスのかつての妻』だ。
わたしと結婚する前は、ゼウスはテミスの夫だった。その状態でわたしに言い寄ってきたから、『だったらテミスとは別れなさい』と言い含めたものだった。
傍から見ると、完全なる略奪愛。
「でも、あいつにそんな力がある?」
わたしの力を封じ込めるなんて、大きな力があるとも思えない。他人の姿を自由に変えるような力だって、テミスに備わっているかは不明だ。
「ダメね。全然わからない」
疑惑だけが、どんどん強まっていく。
「そう言えば、ゼウスは昔も」
たしか、エウロパと浮気をした時だ。
ゼウスはエウロパに近づくために、自ら『牡牛』に変身していた。そんな風に別の何かに化けることで、こっそりと意中の相手にアプローチするのが昔からの手口だった。
「じゃあ、今回も?」
もしかしたら、という気持ちが芽生えてくる。
牛に変身したり、白馬に変身したり、浮気のためには手段を選ばないゼウス。
「あのオタクの姿になったのも、実はただの『偽装』なんじゃ?」
疑惑。疑惑。疑惑。
夫を信じよう、とかいう考えは一切浮かばない。
あまりにも、『前科』が多すぎるから。
「オタク化して、二次元に夢中になってるのはただの演技? だから、わたしが姿を変えてやっても動じない様子を見せていた?」
そう考えると、色々なことに説明がついてしまう。
「二次元にハマってる振りをして、本命の浮気相手を隠していた?」
ヒリヒリと、焦燥感だけが募っていく。
ゼウスは現在、漫画喫茶に入っている。
「とりあえず、今がチャンスね」
ちょうどよく、ゼウスが席を立った。テーブルの上にはスマートフォンを置いたまま。
きょろきょろと周囲を確認し、素早くゼウスのいた席に着く。
スマートフォンの画面をタップし、『証拠』がないかを確認した。
次の瞬間、目の前がグラリと揺れ動く。
『もちろん、君が一番だから』
『また、会いに行くからね』
全身から力が抜ける。
やっぱり、と思わずにいられない。
ゼウスはまた、浮気をしている。二次元なんかじゃない、現実の誰かと。
「絶対、許せない」
漫画喫茶を出て、わたしは怒りに身を震わせる。
どこの誰かはわからない。でも、わたしの目を欺き、わたしの力を封じた誰かがいる。
だったら、やるべきことは一つだけ。
「見つけ出して、復讐してやらなくちゃ!」
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