第14話 9月1日 放課後④
幼い頃から、この気持ちは恋だと思っていた。
ある人のことを思い浮かべると胸が苦しくなり、頭がのぼせたようになる。恋というのはそういう物だと聞いていたし、私もそれに疑いを持っていなかった。
だけど……その辛さが今日は一段と強かった。それを最初に感じたのは朝――宗真先輩の雰囲気が、どこか違うと感じた時。
先輩の存在が、どこか遠くへ行ってしまう気がして、苦しく感じた。ただそれだけなら、いつもの恋心だと思っていた。呼吸の苦しさも、その気持ちが反映されたものだと思えた。
だけど、それ以上に違和感があったのは、始業式の後、牡丹先輩が、宗真先輩と一緒にいるのを見た時だ。
牡丹先輩は美人だった。鋭く精緻な筆致と、力強さを思わせる力強い筆致が混在する日本画のような美しさだった。
そんな人が先輩と一緒にいる。そう考えた途端、胸の痛みと息苦しさが強くなった。もうろうとした意識の中、なんとか意識を保とうとしていると、先輩に心配された。
心配してくれたのはうれしかったけれど、それを実感するたびにこの胸の痛みと息苦しさ、頭に靄がかかった感覚は強くなる。恋だけでここまで体調を崩すことなんて、あるのだろうか。
「おー澄玲ー、お兄ちゃんが様子を見に来てやったぞー」
「あ……」
寝室で横になっていると、お兄ちゃんが部屋に入ってきた。底抜けに明るくて、何も考えてないように見えるけど、本当はいろいろ考えていることを、私は知っている。
「はいよ、スポドリ。結構顔色は良くなったみたいだが、今日一日は安静にしとけよ」
「うん」
お父さんからは、明日も調子が戻らないようなら病院へ行こうと言って貰った。出来れば高校は休みたくないけど、私の身体は一体どうしてしまったんだろう。
「まあ安心しとけよ。……っていうか、俺と変わってくんねえかな。そうすると宿題提出のタイムリミットが更に伸びるんだけど」
「ふふ、だめだよお兄ちゃん」
半分本気そうな冗談を言って笑わせてくれる。そんな気遣いを感じて、私は身体が楽になったような気がした。
「……さって、それじゃあ、あの二人の方に顔出してくるわ、いつまでもほっといたら悪いし」
「うん、じゃあ――」
私も行く。そう言いたかったが、そこまで無理を言う気にはなれなかった。お兄ちゃんが部屋から出て行く姿を見送って、私は布団の中で姿勢を変える。
宗真先輩と牡丹先輩が一緒にいるところを考えると、また胸の苦しさが押し寄せてくる。ただ、その苦しさは駄菓子屋で感じたものとは違う物だった。
――
「はぁー、牡丹ちゃん帰っちまったとはなぁ」
「仕方ないだろ、転校したてで学校のカリキュラムの確認をしたいとか言ってな」
牡丹を町の図書館に送り出してから、俺は雄輝の宿題を手伝うついでに嶋田家の倉庫で古い資料を見せて貰っていた。
まあ流石にお金に関係する情報は見せて貰えなかったが、歴代住職の手記や遺品の資料を中心に、いくつかをナリの補助を受けつつ読んでいる。
『む、ソーマ、先々代の住職は二人の女性から言い寄られていたらしいぞ』
俺の目を通して、ナリが古い文字の解読を行う。ナリはここに居ないはずなので、そういう手法を採らざるを得なかった。
そういうどうでも良い情報は教えなくても良い。と思いながら、開いていた日記を閉じて、別のなるべく古い資料を木製の本棚から探す。
「まあいいや……お前がいるだけでもうれしいよ俺は」
「そうか、じゃあ手を動かさないとな」
雄輝の方をちらりと見て、埃っぽい倉庫の中に置かれた卓上ライトとデスクに座って真面目に問題集をといている姿を見る。エアコンも効かない場所だって言うのに、俺に付き合ってこんな場所で宿題をやっているのは、なんというか、ありがたいような気がする。
……ただ、本来ならもう終わってないといけない課題なんだよなあ。そういう意味では巻き込まれたのは俺の方で、自業自得のような気もする。
「あ、そうだ。俺、調べ物する時は独り言多くなるけど、気にしないでくれよな」
「おー、分かった」
よし、これでナリと小声で話していても気づかれにくいぞ。
『ふむ、この辺りはまだ昭和頃の史料のようじゃ』
「じゃあもっと古そうなところを探すか」
金属製のお碗とかやたら豪華な椅子とか、そういった物を避けて奥の方へ進んでいくと、徐々に史料は古いものになっていく。
恐らくここに残された史料というのは比較的重要度の低い物になるだろう。なぜかというと、重要な物の多くは博物館や図書館の閉架図書に所蔵されている場合が多い。だから正直なところ、本命は牡丹の方なのだが、こちらはこちらで掘り出し物があるかもしれない。
『おお、元号が明治にかわったのう』
適当な書物を壊さないよう丁寧に開いていると、ナリがそう言ったので手を止める。
「それらしいこと、書いてあるか?」
『うむ、これは寺の広報のようじゃ、壁新聞や日記を探そうぞ』
こちら側で残っている可能性があるのは、多数印刷された新聞類や重要だと判断されなかった日記類。あるいは落書きの裏紙に使われるような物だが……
『む、これは……』
ナリが声を上げたので、俺は手を止める。その時手に持っていたのは、書物ではなく、なんというか木枠のようなものに、飾りがついたものだった。
「これか? 何が書いてあるんだ?」
俺の目からは、木枠の上部に漢字のようなカタカナのような文字と、奇妙な記号が連続しているようにしか見えない。かろうじて明治と桐谷の文字は見えたような気がするが、自信があるかと聞かれれば、まったく自信がない。
『ふむ、桐谷家と嶋田家の融和として、桐谷家の傍流である志藤家の長男「宗太郎」が嶋田家の次女を嫁にもらった記念品のようじゃな』
「っ!? 志藤って――」
俺の苗字である。桐谷家の傍流だからこそ、名前が出てくることもあるだろうと思ったが、まさかこんなところで出くわすとは思わなかった。
「おーい! 大丈夫か?」
「あ、ああ、足を引っかけただけだ」
心配そうに声をかけてくる雄輝に返事をして、何とか平静を取り繕う。
『心の臓が早鐘を打っておるが……』
「ちょっと、いや、俺の名字が出てかなりびっくりしただけだ。調べ物を続けよう」
『なんと、お主も名字が志藤じゃと? つまり――』
ナリはそれを聞いて、あからさまに驚いた様子だった。
「あれ、言ってなかったか?」
『初耳じゃな、ということは……いや、この話は牡丹が居る時にしようぞ』
「ん、そっか」
ナリにそう言われたので、近場にある手書きの本をめくる。どうやらそれは日記らしく、俺はそれをナリに読ませる形でめくっていく。
『なるほど、ほうほう……』
「わかるか?」
『結婚自体におかしいところは……いや、元は長女と結婚しておったのが、長女が事故で亡くなって、代わりに次女と結婚することになったようじゃ』
「事故?」
不穏な単語を聞いて、思わず問いかける。
『むぅ……そうか、あの慰霊碑は——』
俺にページをめくるのを任せて、ナリは考え込んでしまう。一冊読み終わり、次の日記に手を伸ばし、半ばまで読んだところで、ようやくナリは「もうよい」と俺に言った。
「わかったのか?」
『うむ、これも牡丹と合流したときに話した方が分かりやすいじゃろ。適当に切り上げてわが社へ向かおうぞ。かなりの収穫があった』
勿体ぶるなよ。と思ったりもしたが、ナリがそう言うのなら、従った方がいいのだろう。
俺はナリが指示するとおりに婚約の記念品と日記の数ページを、スマホで写真にいくつか撮って、牡丹に共有しておいた。彼女ならそれであたりを付けられるらしいが、本当だろうか。
調べ物が終わったところで、雄輝の様子を見るために本棚の隙間から抜け出すと、雄輝は両手を頭の後ろに回して伸びをしていた。
「んー……おっ、調べ物は終わりか? 俺んちの歴史を見たいとか、お前も変わってるんだな」
「ああ、助かったよ。それで、宿題は終わりそうか?」
「そうだなー、あと五ページくらいか、ここまでやれば後は夜中にやれば間に合いそうだな」
雄輝の言葉を聞いて、俺は安心する。全然助けられなかったのは申し訳ないが、新学期早々宿題をやっていない生徒会副会長を見る羽目にはならなそうだ。
俺が安堵の息を漏らすと、雄輝はもうやめたと言わんばかりに問題集を閉じて、俺の方に身を乗り出してきた。
「それでさ、ちょっと聞いてほしいんだが」
「な、なんだよ」
まじめなトーンで詰め寄られて、俺は思わずたじろいでしまう。涼しい森の中に建てられた寺とはいえ、エアコンのない倉庫はそれなりにじめじめして蒸し暑い、そんな状況で友人とはいえ男の顔が迫ってくるのは、かなり圧迫感がある。
「昨日話してたかごめ歌についてなんだが、ネットで面白い話を見つけたんだ」
「……そうか」
想像以上にどうでもいい話に、俺はため息をなんとかこらえた。そんなオカルトじみた話よりも、もっと奇妙な事態が身の回りで起こっているのに、なんとも脳天気なものである。
「かごめ歌のルーツをたどると天皇家が始まった大和朝廷成立時期の対立がな――」
『かごめ歌か……』
雄輝の話を聞き流していると、ナリがつぶやいた。そういえば、最初にナリと出会ったときも彼女はかごめ歌を歌っていたな。
「それで、かごめ歌の『かごめ』っていうのは籠目のことで、その形は六芒星、つまりは魔除けの意味もあって、つまり籠の中の鳥はいつ出てくるのかっていうのと、鶴と亀が滑ったっていうのは――」
『ほうほう、今はこのような解釈が為されているのか、間違っちゃおらんが、ずいぶん大層なものにみられておるのじゃのう』
「……」
そう話すのが聞こえて、俺は少しだけ姿勢を正す。別に何か重要な話があると期待したわけではないが、なんとなくナリのルーツに関係ありそうな話だったからだ。
「――って感じなんだが、どう思うよ」
「まあ、面白いんじゃないか?」
かごめ歌――魔除けの印についての歌を口ずさんでいたナリのことは気になるが、今この場でナリに問いただすわけにもいかないし、雄輝にそのことを話すわけにもいかない。
「それで、もういいか? 俺この後予定あるんだが」
早めに廃神社に向かっておきたかった。というのもあるが、ここで志藤――俺の名字が見つかったことで、家にある本や史料を漁って情報を集めたいという気持ちがあった。
曲がりなりにも桐谷家の遠縁で、この土地で暮らしていたのなら、嶋田家とも少なからず縁はあるだろうとは少し思っていた。だが、まさか雄輝や澄玲ちゃんとも遠縁だなんて……
「あ、じゃあもう一個」
もののついで、という感じで雄輝は人差し指を立てる。一体まだ何を聞きたいと――
「牡丹ちゃんとはどういう関係なんだ?」
「うぐっ……!」
どさくさに紛れてうまくはぐらかしたはずだったが……流石に追求が終わるなんてことは無いか。どうにかうまく言い訳できれば良いんだが。
初対面ですというごまかしはあまりにもゴリ押しすぎるし、従兄弟とか遠縁の知り合いというには、桐谷家があるし、母方の方はナリに使ってしまった。
「なあ、俺とおまえの仲だろ? 聞かせてくれよ」
「……その、夏休み中にちょっと、な」
本当のことを言いつつ、詳細はぼかす。それが俺の作戦だった。
「へぇー、何があったんだよ。この裏切り者めが」
「裏切りって……まあ、そうだな、詳しくは、あいつ本人の許可をもらわないと話せないっていうか……」
下世話なゴシップを聞き出そうとするみたいな調子になっている雄輝をなんとか躱して、俺は話を切り上げようとする。
「ふーん、ほー」
全く信用していないような目つきで俺を見つめてくるが、ここで変な想像されても本当のことを話して頭がおかしくなったかドン引かれるかするよりも遥かにマシだろう。
「そういうわけだから、じゃあまた明日な。俺は澄玲ちゃんの顔を見てからいくわ」
「ほー、澄玲と牡丹、両手に花ですなぁー」
なんかにやついてうまいこと言った気になっている雄輝を無視して、俺はそそくさと倉庫を出て行くことにした。
倉庫は松鶴寺の敷地内にあるのはそうだが、一旦外を経由しないとほかの部屋に入ることはできない。
扉を開けると、薄暗い倉庫から日の当たる庭に出たことで、周囲の景色がより鮮やかに見える。
『ちと日が傾いてきたか?』
時刻を確認しようとスマホを見ると、牡丹から「助かる」という短い返信が来ていた。どうやら調べ物ははかどっているらしい。
「今は十六時……そろそろ待ち合わせ場所に向かうべきか?」
『ここから社までは遠くは無い。少しは時間があるぞ』
「……そうか、ありがとう」
俺は松鶴寺の庭を横切って澄玲ちゃんの寝ている部屋へ向かう。体調はそれなりに回復したらしいが、あのひどい顔色を見ていたので、元気そうな表情を一度見ておきたかった。
小さい頃から何度か歩かせてもらったから、勝手は知っている。だから俺は迷うことなく澄玲ちゃんの部屋の前までたどり着いていた。
「はーい」
襖をノックをすると、澄玲ちゃんの声が返ってくる。ただ、声は元気がないように感じる。
「あ、俺だよ」
「宗真先輩!?」
返事をすると、少しガタガタという音が聞こえる。気を遣って数秒待ってから扉を開けると、布団にくるまって横になっている澄玲ちゃんがいた。
「ど、どうかしましたか……?」
「別にどうってことは無いんだけど、帰るから挨拶だけしておこうと思って」
彼女の顔色はずいぶん良くなっていた。だが――
『寺という霊障の及ばない場所に移動して回復しているようじゃな』
ナリの言うとおり、原因が取り除かれたわけでは無い。これから先寺の敷地内だけで暮らすなんて現実的ではないし、早いところなんとかしてやらないとな。
「すみません。楽しい時間に水を差してしまって」
「いや、大丈夫だよ。また今度ゆっくり行けばいいしさ、それより今はゆっくり休みな」
申し訳なさそうにする澄玲ちゃんに笑いかけて安心させると、俺は部屋を出ることにする。あまり体力を使わせても悪いしな。
「あ、待ってください先輩」
「ん?」
扉を閉めようとした時、澄玲ちゃんが声を上げた。
視線を向けると、少し紅潮した頬を見せながら、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「あの……牡丹先輩とは、どういう関係なんですか?」
「――」
まさか、雄輝に続き澄玲ちゃんからも同じことを聞かれるとは思わなかった。だが、なぜ急にそんなことを……
「まあ、ちょっと縁があってな。そんなに親しいわけじゃ無いんだが」
牡丹との関係を話すわけにも行かず、俺はどうしてもふんわりとしたことしかいえない。歯痒いが、本当のことを話しても、信じてもらえるわけが無いし、もっと言うと適当な嘘をついていると思われても仕方ないだろう。
だから、俺は本当のことを話すわけにはいかない。
「雄輝にも言ったけどさ、本当にちょっと会ったことがある顔見知りみたいなもんなんだ」
俺がそう話すと、澄玲ちゃんは表情を曇らせる。なぜ本当のことを言ってくれないのか、そう言いたいのを必死に耐えているようでもあった。
「そう、ですか……成田ちゃんのこともですけど、先輩のこと何も知りませんね。私……」
彼女はそれだけ言うと、布団に潜り込んでしまう。
『くかか、おなごを泣かせよったなソーマ』
少しだけうれしそうなナリの言葉に腹が立ったが、これ以上俺にはどうすることもできなかった。
「……ごめん、今は俺もいっぱいいっぱいなんだ。いつか、ちゃんと話すから」
そう言い残して襖を閉める。俺だって、今の状況をとりあえず納得するしかできないんだ。咀嚼できたらきっと話すから、もう少し待っていてくれ。
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