第4話 8月31日 夜①
「ふう、これくらいでもう良いか?」
社は小さいとは言え、物置くらいの大きさはある。中のご神体が何かは教えてくれなかったが、風雨にさらされて干からびた木材の隙間から、何か細長い棒のような物が見えた。
ご神体が自然物ではない場合、一般的には神像や鏡がご神体として安置されることが多いが、ここはなんだろう。あの形からすると、刀剣のようにも見えるが、稲荷神の祭具なので、鍬などの農具である可能性もゼロではなかった。
「うむ、今日はこのくらいで勘弁してやろう。なかなかの手際じゃった」
ナリは満足げに頷くが、俺としてはようやく解放されて、へたり込みたい気持ちだった。
周囲は既に日がとっぷりと落ちて、月が頭上に輝いているし、周囲では夜特有の虫やカエルの大合唱が聞こえる。逢魔が時など既に過ぎているようで、スマホを確認すると二〇時と表示されていた。
「はぁ……まあ次来たときにはもう少しきれいにしてやるから、それまで待ってろよ」
掃除用具のほとんどは朽ち果てていて、なんとか使えるのが小さな草刈り鎌と竹箒だった。俺はそれを使って雑草を刈り取り、社とその周囲に降り積もった落ち葉と砂埃を端へ追いやったのだった。
次来るときには、ちゃんとした道具をホームセンターで揃えよう。俺はそんなことを考えていた。
「ところでナリ、なんでお前がまだ見えるんだよ」
「む?」
掃除という労働から解放されて、俺はようやく気になっていたことを質問出来た。
ナリの言い分では、俺の波長が合っていたのと、夕暮れ時という条件が重なって初めて会うことが出来た。という話だったはずだ。だが今は完全に夜で、周囲は完全に暗くなっている。彼女の言い分が正しければ、俺はナリの姿を見れなくなっているはずだった。
「なあに、かんたんなことじゃ、ソーマの波長をちいとばかし弄ってな、儂の波長と完全に一致させたのじゃ。いわゆる『ちゅーにんぐ』と言う奴じゃな」
そんなこと出来るのかよ。と言いたかったが、あまりにもナリが自信満々に話すので、俺はその言葉に、ため息と共に納得するしか無かった。
「わかった、お前が言うならそうなんだろ……じゃあまた今度――……?」
これ以上付き合って、俺自身に変なことをされたり仕事を増やされてはかなわない。家に帰るため、鳥居を潜ろうとしたところで、その鳥居の足下に小さな石碑が建っていることに気づいた。文字は読めそうで読めない。風化が激しいし、社と同じく手入れも禄にされていないみたいだ。
「なあナリ、これなんだ?」
境内の中にいくつかのご神体を祀るのは例として知っているが、鳥居の足下にあるのはあまり見たことがない。
「ん、おお、それはまあ、あまり触れないでやってくれ。ただの慰霊碑じゃよ」
慰霊碑、と言うくらいだから何か由来はあるのだろうが、その辺りの事情に詳しいはずのナリが「触れるな」と言っている以上、触れないのが正しいのだろう。
「そうか……にしても、暗いなぁ」
視線を石段の下へ向けると、ほとんど何も見えないような闇が広がっていた。木々が覆い被さっているおかげで、足下には月明かりも届かない。
スマホのライトで照らしてみるが、所詮は室内かつ手元用のライトなので光量が圧倒的に足りない。
「ならば、これを使うが良い」
そう言ってナリは手をぱんぱんと軽く叩く。すると、石段と鳥居を中心に青白い火の玉がふわふわと浮かびはじめる。
「うわ怖っ」
「怖いとはなんじゃ、儂とて狐火くらいは出せるわい」
狐火というのは、山で起きる発光現象の事で、人魂とかそう言うものと同じくくりの存在だ。そんな物が見えては、声を上げるのも無理は無いだろう。
「これで足下くらいは見えるじゃろ。あとは夜道に気をつけて帰るんじゃな」
「ああ……ありがとうな」
夕方に通った道には外灯はあったはずだが、あの寂れ具合を見るに、点くかどうかは分からない。実際ここから見える範囲には、人工的な明かりは遠くの国道沿いの明かりが微かに見えるだけだ。
恐る恐る一歩を踏み出し、足に伝わる感触がしっかりしていることを確認してから重心を動かして、また一歩を踏み出す。こういう古かったり自然に飲み込まれつつある場所は、パッと見ただけでは分からない穴や崩壊箇所があるのだ。行きや掃除の時に問題なかったとは言え、慎重になりすぎることは無い。
「遅いのう」
「怖いんだよ、廃墟とかそういう場所は夜とか一人で行くとか本当はしちゃいけないんだからな」
「む、儂の社を廃墟と言ったか?」
「少なくとも俺が来たときは廃墟だったろ」
掃除中にある程度打ち解けたからか、お互いに軽口をたたき合うことも出来た。ナリは鳥居の内側で名残惜しそうに立っていたが、流石に俺がずっとここで話し相手になるわけにも行かないし、家に帰ったら一人になるのは、あいつだけじゃ無い。
「ふん、では、また近いうちに来るのじゃぞ」
最下段まで石段を下り終えると、社の方から拗ねたような声が聞こえてきた。狐火はすぐに消え去り、周囲には夜の闇だけが残っている。
鳥居は神域と俗世界の境目として置かれている。だから、ナリはあの社を中心とした神域から出ることはない。不思議な気持ちではあるが、ついさっき知り合ったばかりのあいつに対して、俺はもっと一緒に居てやりたい。という気持ちを持っているようだった。
四本に一本くらいしか点いていない外灯を頼りに、来た道を引き返す。今日が月夜で良かった。そうじゃなかったらこの夜道は怖すぎる。
「っ……!?」
ようやく次の外灯が近づいてきた時、俺は思わず足を止めていた。
視線の先に誰かがいる。暗がりで姿ははっきりしないが、確実にこちらへ歩いてきていた。
ナリの社からここまでは、明かりが灯っている家は一つも無かった。だからってこの辺りで暮らしている人は居ないとは言い切れないが、それでも何故か俺は妙な胸騒ぎを感じて、足を動かす気にならなかった。
うるさいくらいに虫の大合唱が聞こえる中、その人影は外灯の下にさしかかって、俺にはっきりとした姿を晒す。
「――……」
その姿は、この寂れた場所に似つかわしくなかった。
単純に、そう評価するしかない。服装は、どこかの制服だろうか、学生服のようでもあり、どこか和服のような印象も受ける。年齢的には学生服かもしれないと思ったが、この近くにうち以外の高校なんてあったか?
そんな特徴的な服を着た人影は、夜の闇に溶けるようなおかっぱ髪を揺らし、体幹のブレを一切感じさせないしっかりとした歩調で俺の前まで来て、横をすり抜けていく。
すらりとした細身の女性だった。芸術作品のように整った中性的な目鼻立ちだが、浮かべる表情はそれ以上に無表情だった。こんな暗がりで人とすれ違ったというのに、全く気にしたそぶりも無い。
彼女は何か細長い物を包みに入れて持っていた。傘かとも思ったが、取っ手の部分は曲がっておらず、何かは想像つかなかった。
「なんだったんだ、あの人は……」
彼女が通り過ぎてしばらく経ったところで、俺は彼女が歩いて行った方を振り向いた。既に姿は無かったが、違和感は未だにくすぶり続けていた。
ほとんど人が住んでいるとは思えない場所で、見慣れない格好をした人が人気の無い場所へ向かって歩いていた。
要素だけを抜き出すと明らかに奇妙で、なにか不吉な物を感じる。妙な胸騒ぎというか、このまま帰ってはいけないような気がした。
「……いや、いやいや」
頭の中に、引き返してナリの様子を見に行くべきだと言う考えが浮かぶ。俺はそれを頭から追い出そうとする。
今はもう夜中の八時で、風呂どころか今日のやるべき事を全て終わらせて、寝る前のスマホを弄るような時間だ。図書室だって丁度閉まる時間で、雄輝も家に帰っている途中だろう。
学習塾もそろそろ終わるはずの時間だし、高校生が外をうろついていい時間では無くなってきている。早く帰るべきだ。
そもそも、ナリはいわゆる神様であり、何か危険が迫るとかそういうことは無いはずだ。もし、さっきすれ違った女の人が何かをしようとしても、神霊相手に何の干渉も出来ないはずだし、ナリは一般人には見えないはずだ。
「……」
だが……本当に帰っていいのか?
今ここで帰って、次の日もし、何か取り返しのつかないことになったとして、俺は後悔せずに居られるのか?
普通なら、誰にも傷つけられない神霊だが、彼女が持っていた長い棒のような物が、何か神霊を傷つけられる物だとしたら?
ナリが見えないのは普通のことだとしても、俺は見えた。つまり、誰にでも見える可能性はあるのでは?
そう考えはじめると、自分の中の不安が一気に噴き上がってきた。会ってすぐの相手だというのに、あの寂しげなかごめ歌が耳から離れない。
「っ、……くそっ!」
仕方ない。もしこのまま家に帰れば、一生後悔するかもしれないのだ。だから俺は、来た道を引き返すことにした。あの名前も知らない小さな社――ナリの居る場所へ。
異変は石段の輪郭がはっきりしてきた辺りから感じていた。
虫の声がいつの間にか静まりかえっており、それと入れ替わるようになにかが打ち鳴らされる音が響いていた。
「っ――!!」
予感は当たっていたのかもしれない。そう考えて石段を駆け上がる。暗がりで踏み外す不安はあったが、それでもナリの安否の方がずっと気になっていた。
俺が駆け上がる間にも打ち鳴らされる音は響き続け、暗闇に慣れた目に、閃光が迸って映った。
「ナリっ――!?」
俺は考えなしに階段を上りきると同時に声を上げる。しかし、その言葉はそれ以上に鮮烈な、目の前の光景にはなんの影響ももたらさなかった。
二つの影が、踊るように刀を振るっていた。
ひとつは見覚えのある。白い髪に巫女装束を纏ったナリの姿。社の扉が開かれ、その中にあるものがなくなっていることから、彼女がご神体を手に戦っていることが分かる。
彼女は青白い狐火を周囲に纏っていて、微かに発光していた。それは彼女が持つ刀も同様で、刀身の軌跡が青く華やかに暗闇の中で踊っていた。
そして一方でもう一つの影、さっきすれ違った彼女は対照的だった。
まさに剣舞と言うべき動きだが、ナリの優美な動きと比べると、非常に直線的で、だからこそ無駄の無い機能美を感じる姿だ。彼女の打ち鳴らす剣戟は赤い火花が散り、その瞳もどこか赫灼としていて、熱を感じるほどだった。
青と赤、二つの炎は何度も打ち合い。そして絡み合うようにして幾条にも絡み合っていた。
「――」
この状況では、俺はなにも出来ない。
二人がどういう経緯でもって戦いはじめたのか分からなければ、止めに入る技量も無い。ナリのためを思ってここに来たのだが、ナリにとってそれはむしろ邪魔をする結果になるような気がした。
首筋を汗が伝う。暑いからでは無い。刀剣により打ち合う、息の詰まりそうな命のやりとりを目の前で見せられているからだった。俺はそれを何も出来ずに呆然とそれを見つめていて、呼吸すらも忘れて拳を握っていた。
最初のうち、二つの影はどちらが優勢か、今ひとつ判別出来なかったが、ナリが押されているようだと、少しずつ分かってきた。
赫灼の斬撃がナリに迫るたび、それは紙一重で蒼白の軌跡によっていなされる。だが、ナリの方から攻撃が向かうことは無く、青白く照らされる彼女の表情にも、無表情ながら焦りのようなものを感じてしまう。
どうすればいい。ナリを助けるために、何か俺に出来ることはないのか。そう考えても周囲にありそうなものなど、朽ちて使い物にならなくなった掃除道具や、落ち葉の山くらいだ。どう考えても起死回生の一手にはならない。
考え続けても答えの出ない問いは、最悪な形で回答が示される。
「なっ!?」
「ソーマ!?」
「えっ」
周囲の様子を見回していた俺は、青と赤の剣戟が、自分の方へ向かっていることに気づかなかった。
刀が振るわれる速度が、急にゆっくりになった気がする。それは脳内で大量のアドレナリンが分泌され、体感時間を引き延ばすことで生存の糸口を見つけようとする最後のあがき、走馬灯とも言うべき瞬間だった。
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