第三章 激白 ③

 翌日の朝。

 登校中、この一文しか思い描くことができなかった。

「昨日のままで良い訳が無い!」

 星海がメモを置いたことでも要さんと男子トイレで話したことでもない。

 気がかりなのは、土岐の様子だった。

 半ば喧嘩口調で別れてしまったことが気がかりで仕方がない。昨日スマホでメッセージは送ったものの、返信どころか既読も付かなかった。俺に対して憤りを感じているのか、はたまた違う理由なのかはわからない。

 とにもかくにも、昨日のいざこざがあった後何も話せていないのはまずい。

 唐突に帰りたいと言い出した理由さえもわかっていないんだ。

 どこかのタイミングで話しかけないといけない。

 そんなことを思いながら、教室の前に立った。

「…………」

 何だか緊張してきた。

通い慣れている教室の筈なのに、何故だか一歩が踏み出しづらい。

この先に土岐が居るからなのか。

――俺らしくないだろう。

とっとと教室に入って、とっとと話すべきことを話して、とっととケリをつけよう。

「よし、行こう」

 控えめに音を立てながら、扉を開けた。

 教卓の目の前――

 土岐は、席にいなかった。

 現時刻は八時二十分。予鈴のチャイムまで十分はあるとはいえど、普段の土岐ならば既に着席して、仲が良い女生徒と席で話している時間のはずだ。

「何故居ない?」

 違和感しか抱けない状態ながらも自分の席へとついた。

 昨日の今日だ――始業までには来るだろうと鷹を括って、土岐の席をじっと眺めていた。

 時間はゆっくりと着実に過ぎていき――

 気がつけば、予鈴のチャイムが鳴っていた。

「嘘だろ……」

 この呟きをしたのは俺だけではない。

 クラス中がざわつき始める。

 ――土岐が、休んだ。

 その事実が衝撃以外の何物でもなかったからだ。

 天真爛漫でいつも明るく元気だった。当然の如くこれまで一度も休んだことはなく、加えて昨日もいつも通り朗らかに振る舞って教室中のテンションを上げてくれていた。

 いつも通りじゃないのは、今だった。

 担任の先生がゆっくり教室に入ってきて出席確認を始める。

タブレットを用いながら教室中を見渡し、唯一空いている席が教卓の目の前と知り、特大のため息をついていた。

「えー、土岐さんは風邪を引いたらしく、今日は休みとのことです」

「何だって!」「風邪……」「あの土岐さんが……!」

 教室中のどよめきがより一層激しくなっていく。

 端の方でいつもは傍観しているだけの俺は、そのスタンスを出来る限り貫こう――としたが土台無理で――冷や汗を誰よりも多くかいていた。

 刹那で蘇ったのは、酷い剣幕で言い合った記憶。

どう考えても俺のせいだった。

先に星海と帰宅した時に何かがあったのかもしれないが、例えそうであったとして根本の原因は俺にある。

「……何でだよ」

 つぶやいても誰かが拾ってくれる訳ではない。

 少なくともこの教室に、そういう話が出来る友人とやらは居ない。

 居るとしたら、もう、あの二人しか居ない。

 その二人のうち一人は同様のことを思っていたのだろう――担任の先生に回収される前にスマホの画面を見たところ、メッセージが届いていた。

『また屋上でお昼ご飯を食べようよ』

 回収される直前に『了解』とだけ送って、昼休みを待った。

 当然というべきか何なのか、午前中の授業に身が入らなかったのは言うまでもない。

 


 

「え、今日土岐さん休みなの!」

「凛花が休むなんて考えられないわ」

「…………」

 屋上にたどり着くと、二人、先客が居た。

 一人はわかる。何しろ俺がわざわざメッセージで呼んだからだ。

 だがもう一人――要さんがこの場にいる理由がわからない。

 訳がわからないまま星海と要さんに要件を問い詰められ、早々に本題に入ってしまったというのが現在の状況略して現状というやつだ。

「元気だけが取り柄だと思っていたのに……人は見かけによらないものなのね……」

 要さんは暗い表情を浮かべながら重箱の三段目の唐揚げをつついている。ちなみに三段目と二段目が卵焼きや野菜炒めで、一段目が米というラインナップだった。これが一食分ってどんだけなんだこの人。チラリと星海を見ると、「前に紹介したガレット店でも三食分くらい食べていて可愛かったよ」と惚気ていた。この姿を見て好意を向けられるならお似合いでしかない。俺はというと申し訳ないながらドン引きしかしていない。

「あら。今貴方、私のお弁当が欲しいと思ったでしょう。あげないわよ」

「要らねえよ。たらふく食えよ」

「言われなくてもそのつもりだわ。逆に貴方は焼きそばパン一つで足りるのかしら」

「俺にとってはこれが適量なんだよ」

「信じられないわね」

 じろりと俺を見ながら弁当を自身に引き寄せる。要さんはどんな人間だと思っているんだ。少なくとも近くにいる星海もコンビニのおにぎり二つしか持っていないじゃないか。

「星海君にはお弁当分けてあげるわね」

「いや、僕もこれくらいが適量というか、要さんに悪いというか」

「そ、そうよね……私の手料理、食べたくないわよね……」

「いただきます!」

「そう! うれしいわ!」

 要さんはこちらが恥ずかしくなるくらいの満面の笑みを浮かべて、唐揚げと卵焼きを一つずつ、重箱の蓋に移して星海に渡した。星海は若干顔を引き攣らせながらも内心嬉しそうだった。

「というかこの量を作っているのか。要さんすごいな」

「昨日の残り物とか冷凍食品とかも混ぜているからそれほど手間ではないのよ。それに、これくらいの量を毎回買っていたらとてもじゃないけど両親に申し訳ないしね」

「要さんってお嬢様じゃないのか?」

「マンションの一階に家族三人で住んでいるわ」

「意外だ……」

「もっと言うと、食費くらいは全て私が出費しているわよ。動画広告とサイトアフィリエイト収入をうまいことやれば何とかなるものね」

「シンプルにすごいな……」

「そんな話はさておき。星海君、昨日の様子を教えてちょうだいな」

 いきなり話を振られた星海はおにぎりをむせかえしそうになっていたがなんとか踏ん張って、要さんと俺を見る。

「昨日……そうだね、これ、話して良いものなのかな……」

 基本的に笑顔な星海が、珍しいことに言い淀んでいる。

 その様子を見て無言で右を向くと――左を向く要さんと視線が合った。

「追及しても良いのかしら」

「土岐と星海には申し訳ないが、しなきゃ駄目だろ」

「でもこんな星海君、久しぶりに見たわよ」

「前回はどんな案件だったんだ」

「私の最高月収を言った時ね。凄いを通り越して引いていたわ。あの表情、忘れられないの」

「なんでその流れになったんだよ……」

「もう覚えてないし思い出したくもないわよ」

「その後はどうしたんだよ」

「…………」

 一瞬、要さんは動きを止めた。何か思い当たるところがあったのだろうか、虚空を眺めた後、星海の方を見る。

 星海はというと、若干俯いてしまっているため、要さんの視線に気づいていない。

 その様子が前回とやらと同じだったのだろうか――制服の裾を握り、前を向く。

 されども逡巡した後――

 それでも、意を決して、言葉を紡いだ。

「星海君、返答しづらいこと聞いちゃってごめんなさい」

 至ってシンプルな流れだった。

 打算なしの謝罪。

 万人に効く方法ではないかもしれないが、少なくともこれだけは言える。

「いや、え、ごめん、そんなつもりじゃなくて!」

 要さんからの星海へのそれは、どんな状況であっても効果てき面でしかない。

「でも……」

「寧ろ僕の方がごめん、すぐに言います! あああああ、ごめん土岐さん! 許して!」

 そう言うと、何故か一気におにぎりを口に詰め込み、一気に飲み込んだ。

 二個目も行こうとしたが喉に詰まり、要さんがお茶を渡し飲み込む。ちなみにそのお茶は星海のものではなく要さんのものだった。勢いが強過ぎてどちらも気づいていないところがやるせない。ようやく落ち着いた星海が「ありがとう」と一言要さんに伝えて、話を続ける。

「昨日、土岐さんはずっとこの言葉しか呟かなかったんだ。――『何で言ってくれなかったのかな』って。この意味わかるよね、波風――」

――「波風君って、何でもわかっちゃうんだね。『願い事』を叶えたから?」

 昨日――男子トイレに行く前に土岐から言われた言葉を思い返す。

 それと、今の星海の発言を結びつければ、自ずと答えは導かれた。

「…………」

「途中で別れるまでも、別れた後も、ずっと同じことを呟いていたと思うよ」

「え、何。どういうことかしら」

 要さんが置いてけぼりになっているが、構いやしなかった。フォローはどうせ星海がしてくれるだろう。

 確かに、隠すべきではなかったんだ。

 少なくとも、『願い事』を叶えたい土岐に――『願い事』を叶えさせたい俺は――一目散に言わなければならない事柄だった。

 『願い事』を叶えてやるといけしゃあしゃあと言ってのけたにも関わらず――

 星海と要さんを付き合わせたら『願い事』を教えてあげるとまで言われたのにも関わらず――

 俺は、致命的な隠し事をしていた。

「土岐に会わないと」

 その一言はいつの間にか漏れていた。

 ハッとして顔を上げると、星海と要さんが真剣な表情でこちらを見ていた。

 星海が左肩に、要さんが右肩に手を置いてくれた上で、こう言ってくれた。

「だったら、やるべきことは一つだね」

「ICT化が進んでいるって言っても毎日何かしらプリントは配られているわ。それを、届けに行きましょう」

「……ついてきてくれるか」

「「勿論!」」

「すまない、ありがとう!」

 そうして俺たちは一気に昼食を口の中に入れて、急いで職員室へと向かった。

 ちなみに重箱三段分を、焼きそばパン一つ食べるスピードと同等で食べ切った要さんには恐れを抱くしかなかった。

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