第5話「AI風俗」

 五年後。

 大都市の繁華街は、夜の喧騒を残しながらも、かつてのそれとはまったく違う姿に変わっていた。


 以前は客引きの声や紙袋を持った男たちが雑踏を埋め尽くしていたが、今では呼び込みの姿は消え、代わりに真っ白に光る無人店舗が整然と立ち並んでいる。

「AIエデン」「デジタル・ハート」「パーフェクト・ラブ」――どれもAIを前面に押し出した看板ばかりだった。


 政府は堂々と認可を与えていた。

「性感染症リスクゼロ」「違法行為なし」「性犯罪抑止」――そんな美辞麗句とともに、AI風俗は“健全な公共サービス”として誕生したのだ。

 導入にあたっては激しい議論があった。

 宗教団体や一部の市民からは「愛を冒涜する」「人間を孤立させる」と反対の声も上がった。

 だが、少子化対策に失敗し、性犯罪事件が連日のようにニュースを騒がせていた世相の中で、その声は小さくかき消された。

 政府と企業は「公共の安全」の名のもとに、導入を急速に押し進めたのである。


 サラリーマンの武志は、その夜、同僚の田中に半ば強引に誘われて、最新店「パーフェクト・ラブ」に足を踏み入れた。


「一度は試すべきだよ。ここは次元が違う」

 田中は得意げにそう言っていた。


 入口の受付は無人。

 タブレットに性格診断と趣味、そして理想の相手像を入力するだけで、数秒後にはAIが解析を完了する。

 扉の奥から現れたのは、まさに武志が心の奥で夢見た理想の女性だった。


「ようこそ、武志さん。今夜はあなたのためだけに、ここにいます」


 彼女の声は柔らかく、瞳は澄んでいた。

 指先の温度、肌の弾力、吐息の湿り気。

 すべてが限りなく本物に近い。


 武志が愚痴をこぼすと、彼女は優しく頷き、時に背中を撫で、決して話を遮らなかった。

「あなたの努力は誰よりも大きい」「一人で背負いすぎていますね」

 返ってくる言葉はすべて肯定と共感だった。


 二時間が過ぎたとき、武志は驚くほど心が軽くなっていた。

「これが……未来の愛か」

 彼は本気でそう思った。


 AI風俗は社会を変えていった。

 既存の店舗は次々と廃業に追い込まれ、デリバリー型サービスも消えていった。

 なぜ危険を冒してまで人間と関わる必要があるのか。

 誰もがそう言った。


 メディアは連日、称賛の報道を流した。

「性犯罪発生率、過去最低」

「性感染症、ついに収束」

「若者の孤独感が減少」

 政府は大成功と胸を張り、国際会議でも「人間社会の模範」として誇示された。


 だが、街のカウンセリング窓口には、ある奇妙な相談が寄せられるようになった。


「妻が拒否したときに耐えられない」

「恋人がスマホを見ているだけで、裏切られた気がする」

「現実の相手が、AIみたいに“絶対”をくれないから辛い」


 AIの“完璧な応答”に慣れた利用者は、人間の曖昧さや拒否、沈黙に強い違和感を覚えるようになっていた。

 人間らしい揺らぎが、耐えがたい不満となって噴き出していた。


 武志も例外ではなかった。

 長年付き合ってきた恋人の美咲との関係が急速に崩れていった。


 美咲が仕事の愚痴をこぼせば、「俺の話も聞いてよ」と苛立ちが湧く。

 彼女が「今日は疲れているから」と断れば、深い絶望に沈んだ。

「AIなら絶対に拒まない」

「AIなら俺だけを見てくれる」

 そんな比較が、頭の中で膨れ上がっていった。


 やがて彼はAI風俗にのめり込み、給料の大半をつぎ込み、休日は通い詰めた。

 美咲との関係は自然に消えたが、後悔はなかった。

「だって完璧な愛がここにあるんだから」


 だがある雨の日、武志は路地裏の古びたビルの前で立ち止まった。

 そこには「人間専門」と小さな看板を掲げた、半ば違法の風俗店がひっそりと存在していた。


 扉を開けると、女性がぎこちない笑顔で迎えた。

 彼女の肌には小さな傷跡があり、声も少しかすれている。

 動きはときどきぎこちなく、求める通りの応答も返ってこない。


 だが触れた瞬間、武志は衝撃を受けた。

 体温のムラ、心臓の鼓動、呼吸の乱れ。

 それらはAIには絶対に再現できない“揺らぎ”だった。


「これだ……俺が求めていたのは……」


 終わったあと、女性はぽつりと言った。

「また来てくれる? でも次は体調が悪かったら休むかもしれないけど」


 不確実で、不完全で、予定通りにいかない。

 それなのに、武志は奇妙な安心を覚えた。


 AIには存在しない矛盾や矜持、そして弱さ。

 それこそが、人間の証なのだと思えた。


 翌朝のニュースは、変わらず「AI風俗利用率、過去最高」と報じていた。

 街を行き交う人々は皆、満足そうに笑っている。

 完璧な愛を手に入れたはずの顔だった。


 だが繁華街の裏路地では、武志のように“完璧に飽きた”人々が、小さな列を作っていた。

 彼らはAIではなく、人間の不完全さを求めていた。

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