『スマートな愚か者たち』五年後は不便な未来 ―20の皮肉なショートショート―

高城 智也

第1話「逆再生ニュース」

五年前まで、夜のニュース番組はいつも同じ光景だった。

 災害、事件、事故、汚職。暗い話題が延々と流れ、人々は寝る前にため息をつきながら布団に潜り込んだ。睡眠導入剤の売上は年々上昇し、精神科医の予約は三か月待ちが当たり前になっていた。

 そんな状況を変えるべく、政府とメディア業界が共同で導入したのが「逆再生ニュース」である。

 発案者は元心理学者で現在メディア研究所所長の鳥海博士。彼の論文『希望による社会安定効果』が注目を集め、一年間の実験期間を経てついに全国放送が開始された。

 原理は革新的だった。ニュースを「未来」から流すのだ。

 たとえば、明日開催予定の国際会議を「歴史的合意に成功した」と放送し、握手を交わす首脳陣の笑顔を先に見せる。事件の捜査も「真犯人が逮捕され、被害者家族が涙ながらに感謝を述べた」と結論から伝える。災害は「完全復興を遂げた美しい街並み」を先に映し、被害のシーンはわずか数秒、まるで悪夢から目覚めるように逆再生で流す。

 番組は社会現象となった。視聴率は従来の三倍に跳ね上がり、視聴者は安堵と共に安眠できるようになったのだ。世論調査によれば「不安が減った」「未来に希望を持てるようになった」と回答した人が九割を超え、抗うつ剤の処方量は半減。株価は史上最高値を更新し続けた。

 高校二年生の水原真琴も、熱心な視聴者の一人だった。

 彼女は毎晩十時、家族と共にリビングのソファに座り、希望に満ちた未来を見届けてからベッドに入る。画面に映るのは笑顔の政治家、和解した国同士、再建された街、そして幸せそうな市民たち。まるで理想郷の予告編のようだった。

「やっぱりこのニュース番組、最高だよね」

 真琴は母親に向かって言った。

「そうねえ。昔はニュース見てると気分が沈んだけど、今は希望が持てるから」

 父親も頷く。

「政府もいいことしたよ。これで日本は本当に良い国になる」

 だが、ある金曜の夜。父親が帰宅すると、いつもの明るい表情ではなかった。

「ただいま」

 重々しい声に、真琴は振り返った。

「お疲れさま。どうしたの、疲れてるみたい」

「あのな、真琴……」

 父は深くため息をついた。

「会社で人員整理があってな。俺、来月でクビになった」

 その瞬間、真琴の頭の中で何かが音を立てて崩れた。

「でも、おかしいよ。昨日のニュースでは『失業率は過去最低に改善、全国民が安定した雇用を確保』って言ってたよ?」

 父は苦笑を浮かべた。

「だからこそなんだ。統計上は『改善』されてるから、俺一人くらい消えても問題ない。むしろ効率化の名の下に、どんどん人を切れる口実になってる」

 母親が慌てたように口を挟んだ。

「でも大丈夫よ。ニュースではきっと素晴らしい転職先が見つかるって放送されるはずだから」

「そうそう」父親は首を振った。「もう慣れたよ。現実よりニュースを信じる方が楽だからな」

 翌週の月曜日、真琴は学校で親友の美咲と昼食を取りながら話していた。

「昨日のニュース見た? 大学入試制度改革、すごく良くなるんだって」

「見た見た! 『学生一人一人の個性と能力を最大限に活かす革新的システム』だっけ?」

 美咲は弁当箱を開けながら言った。

「希望が持てるよね。私たちの世代って、本当に恵まれてる」

 だがその日の放課後、職員室前の掲示板に貼られた通知は、全く違う内容だった。

「令和○年度より大学入試制度変更のお知らせ」

 真琴は文字を追った。

「筆記試験廃止。AIによる適性診断および将来性評価を導入。志望理由書に代わり『社会貢献度予測レポート』の提出を義務化」

 つまり、何を学びたいかではなく、AIが算出する「社会への有用性」で進路が決まる。個人の夢や興味は二の次だった。

「でもニュースでは『個性を活かす』って言ってたのに……」

 真琴はつぶやいた。隣にいた三年生の先輩が振り返った。

「ああ、君もそう思った? でも考えてみなよ。ニュースで『良くなる』って言うんだから、きっと私たちには見えない良さがあるんだよ」

「そう……なのかな」

 数日後、さらに奇妙な出来事が起こった。

 いつものように夜十時にニュースを見ていると、突然真琴の名前が画面に現れたのだ。

「地方創生に貢献する若手教育者特集」

 画面には、見覚えのある顔が映っていた。それは間違いなく真琴本人だった。ただし、数年後の姿らしく、髪型も服装も今とは違う。

「山間部の小学校で子どもたちに慕われる水原真琴先生。都市部での教職を断り、過疎地域の教育に情熱を注いでいます」

 映像の中の真琴は、確かに幸せそうに微笑んでいた。子どもたちに囲まれ、算数を教えている。

「私にとって、この場所が一番輝ける場所なんです」

 インタビューに答える声も、本人そのものだった。

 家族は大喜びした。

「すごいじゃない、真琴! 将来は立派な先生になるのね」母親は涙ぐんでいた。

「よかったな。教師なら安定してるし、人の役にも立てる」父親も安堵の表情を浮かべた。

 だが真琴の心は複雑だった。教師になりたいと思ったことは一度もない。彼女の夢は小説家だった。ノートに物語を書き綴るのが何より好きで、いつか多くの人に読んでもらいたいと願っていた。

 その晩、ベッドに横になりながら真琴は考えた。

 あの映像は本当に未来なのだろうか。それとも、単なる予測なのか。

 もしあれが確定した未来なら、自分には選択の余地がないということになる。

 もしあれが予測なら、変えることはできるのだろうか。

 翌日から、真琴の日常に微妙な変化が現れた。

 歩きながら、食事をしながら、無意識のうちに「未来の教師としての自分」を意識してしまう。背筋を伸ばし、優しい表情を心がけ、教育に関する話題に敏感になった。

 友人たちも変だった。真琴を見る目が「将来の先生」を見るような尊敬の念に変わっていた。

「真琴ちゃんって、昔から子ども好きだったよね」

 美咲が言った。真琴は首をかしげた。

「そうだっけ?」

「ニュースでそう言ってたから、そうなんでしょう」

 やがて街全体がそんな空気に包まれていった。

 商店街の八百屋のおじさんは「十年後に野菜の品質向上で表彰される」と報じられ、以前にも増して丁寧に野菜を選別するようになった。

 通りの向こうの廃工場は「先端技術の研究施設として生まれ変わる」と放送され、実際に解体工事が始まった。

 犯罪者ですら「逮捕され、心から反省している」映像が流れると、自ら警察署に出頭するケースが相次いだ。

 社会は確実に「良く」なっていた。少なくとも、表面的には。

 だが真琴はどうしても疑問を拭えなかった。

「もし未来の放送と違う行動をしたら……どうなるんだろう?」

 好奇心に負けた彼女は、小さな実験を試みた。

 翌日、友人に嘘をついてみたのだ。

「昨日は数学の勉強してた」

 実際にはテレビドラマを三本続けて見ていただけだった。

 その日の夜のニュースで、真琴は息を呑んだ。

「大学入試に向けて努力を続ける高校生たち。水原真琴さんも毎日遅くまで勉強に励んでいます」

 映像には、勉強机に向かう真琴の姿が映っていた。ただし、それは昨日の夜ではなく、一週間前に宿題をしていた時のものだった。

 誰も真実を疑わなかった。父も母も、友人たちも、真琴が「努力家」だと信じ込んでいた。

「これじゃあ……」真琴は呟いた。「未来がニュースを作ってるんじゃなくて、ニュースが未来を作ってる」

 その仮説を確かめるため、真琴はさらに大胆な実験をした。

 次の日、学校を早退して映画館に行った。恋愛映画を一人で見て、その後カフェで小説を読んだ。完全に「将来の教師」らしくない行動だった。

 だがその日のニュースでは、真琴が図書館で教育関連の本を読んでいる姿が放送された。映像は確かに本人だったが、撮影されたのは別の日だった。

「やっぱり……」

 真琴の背筋に寒気が走った。現実がニュースに合わせて編集されているのだ。

 それから一か月が経った。

 真琴の周囲の人々は皆、彼女を「素晴らしい人格者で将来有望な教育者」として扱うようになった。彼女自身も、その役割を演じることに慣れてきていた。

 そんなある日のこと。

 いつものようにニュースを見ていた真琴の表情が凍りついた。

「本日発生した無差別通り魔事件。犯人は既に逮捕されており、負傷者は全員快復に向かっています。しかし残念ながら、巻き込まれて命を落とした方が一名――地元高校に通う水原真琴さん、十七歳でした」

 画面には、血を流して倒れる真琴の姿が映された。

 泣き叫ぶクラスメート、憔悴しきった両親、そして葬儀の様子まで。

 まるでドキュメンタリーのような完成度で、彼女の死が描かれていた。

「なに……これ……」

 真琴の声は震えていた。

 だが両親は平然としていた。

「そうか、真琴はそういう運命だったのか」父親が静かに言った。

「仕方がないわね。ニュースでそう言ってるんだから」母親も諦めたように頷いた。

「ちょっと待ってよ! 私、まだ生きてる! ここにいる!」

 真琴は必死に叫んだ。

「だって、まだ起きてもいないことでしょ? 変えられるよね?」

 父親は娘を見つめた。その目は、もう真琴を見ていなかった。

「お疲れ様だった。短い人生だったけど、立派だったよ」

 事件当日とされた日。

 真琴は恐怖に震えながら家に閉じこもった。カーテンを閉め、ドアに鍵をかけ、電話線も抜いた。外界との接触を完全に断ち、運命から逃れようと試みた。

 時計の針が午前十時を過ぎた。ニュースで報じられた事件発生時刻だった。

 何も起こらない。

 真琴は希望を抱いた。もしかしたら、運命は変えられるのかもしれない。

 だがその日の夕方六時、テレビをつけると――

「訂正とお詫びです。本日午前中に報道いたしました通り魔事件ですが、被害者の水原真琴さんは事件現場ではなく、自宅で心臓発作により亡くなったことが判明いたしました」

 画面には、救急車で運ばれる真琴の姿が映っていた。顔は青白く、既に息をしていないようだった。

 その瞬間、真琴は胸に激しい痛みを感じた。

 息ができない。

 心臓が不規則に跳ね、やがて止まった。

 運命を回避したはずなのに、結果は変わらなかった。

 方法が変わっただけで、死という結末は揺るがなかった。

 未来はすでに放送され、現実はそれに従って上書きされる。

 薄れゆく意識の中で、真琴は最後の光景を見た。

 画面に映る自分の葬儀。

 悲しむ人々と、美しい花に囲まれた自分。

 そして――

「水原真琴さんは、将来教師を目指していた心優しい少女でした。彼女の死を無駄にしないよう、教育制度改革はさらに加速されることでしょう」

 キャスターの声が、まるで天国から聞こえてくるようだった。

 逆再生ニュースは、希望という名の呪いだったのだ。

 人々に未来への安心を与える代わりに、現実を奪い取る。

 真琴の物語は終わったが、この呪いはまだ続いている。

 今夜も、どこかで誰かが「素晴らしい未来」を見せられ、その瞬間に運命を決められているのだろう。

「次のニュースです――」

 テレビの向こうから、また新しい「未来」が語り始められた。

(完)

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