紫のクロッカス

Ran

第1話 「     」

君のコロコロ変わる表情が好きだ。

君の照れ表情が好きだ。

君のはにかむように笑う表情が好きだ。

君の屈託なく笑う表情が好きだ。

だけど、一番好きな表情はプロポーズをした時の泣き笑いの表情だ。

君が照れると髪の毛の先を指先に絡ませる癖、

君が笑うと口元にできる笑窪、怒るとわずかに吊り上がる眉毛。

君のささいな変化にとても愛おしく思う。

だけど、君がいない日の一人の夜は不安になってしまう。

今日は嫌なことばかりが続いて、君に慰めてもらおうとしても君がいなくてかなり参っていた。

だからだろうか、普段では考えないようなことを考えてしまったのは。

君がいなくなったら私は君のことを忘れてしまうんだろう。

あぁ、そんなこともあったなって。

遠い過去の存在になってしまうんだろう。


「そんなのは嫌だ」


君を過去の存在にしたくない。

好きだ。

愛してる。

その感情すらも過去のものになって、私の思いすらもなくなってしまったら?

あぁ、怖い。

君がいない日常が怖い。

君のいない家が怖い。

君が帰ってきた時、泣きはらした顔を見て君は抱き締めて、安心させてくれた。

君といる時間がいつまでも続くと思っていた。

あの日までは。







「ただいま」


家に帰り、そう言っても、返ってくる声はない。

そのことでやっと君はもういないことを思い出す。

靴をいつもより乱暴に脱ぎ捨てて上着も床に落として、のろのろとした動きで寝室に向かい、ベットに潜り込む。

君のにおいがベットから仄かに香る。

つい、この間までは君は私の隣で笑っていたはずなのに。

今でも、君がいると錯覚してしまう。

棺桶に入っている君の生気のない顔が脳裏に浮かぶが、一番脳裏に焼き付いたのは、君が焼かれ、骨になったときの姿だった。

近くによると熱を感じ、震えながら箱に君の骨を箸でつまんで入れた。

君がこの姿になったのが訳が分からなかった。

君の人差し指の第2関節の骨をもらった。

ペンダントに入れてずっと首に下げている。

少し前、君がいない一人の夜の時、考えていたことを思い出した。

君がいなくなり、時間が経つにつれ、私は君のことを忘れてしまうんだろう。

あぁ、そんなこともあったなって。

遠い過去の存在になってしまうんだろう。


「そんなのは嫌だ…」


こんがらがった声で呟く。

君を過去の存在にしたくない。

好きだ。

愛してる。

その感情すらも過去のものになって、私の思いすらもなくなってしまったら?

あぁ。怖い。

君がいない日常が怖い。

君のいない家が怖い。

君の痕跡も徐々に消えて、無くなってしまうのだろう。

君に対しての感情すら、そのように、なくなってしまうのだろうか?

ふざけるな。

ふざけるな!

ふざけるなふざけるなふざけるな!

君は私の唯一であり最愛で、私が君の唯一であり、最愛だ。

君の思い出が悲しみ一色で染まるのが許せない。

楽しいことも、嬉しいことも、怒ったことも、

悲しんだことも、喜んだことも、色々な色で染まっていたはずなのに!

ふざけるな。

私は君との思い出を悲しみ一色で染まってやらない。

私は君との思い出を忘れない。







どんどん君のことが穴抜けのように忘れていく。

嫌だと喚いたって。忘れたくないと泣いたって、記憶が抜け落ちていくのを止められない。

ついには君が好きだった食べ物も、君の癖も、君の笑顔も、もう覚えていない。

いつかは君自身もセピア色に染まり、かすれて、読めなくなってしまうんだろう。

君を写真の中に閉じ込めて、私は今でも愛の抜け殻を抱き締める。

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紫のクロッカス Ran @runrunsao

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