香倉なほ

蛍の導き

 ──今日も、いる。

 日向子ひなこは電柱の側にしゃがんでいるその女の子を見た。

 通学路にいつもいるその子はそろそろ見慣れた光景で、日常の景色の一部になりかけていた。

 短い髪を精一杯二つにしばり上げ、彼女の体の半分を占めるほどの大きさの真っ赤なランドセルを背負っている。まだ入学したばかりの、新入生のようだった。

 彼女はいつも何かを見つめているようだった。一瞬も視線をそらさず、何かを凝視している。

 しかし、と日向子が不思議に思うのは、誰もその女の子に話しかけないことである。小学校低学年くらいの子が一人で朝から晩まで道端でうずくまっていたら、心配にもなるだろう。

 日向子はしゃがんで目線を合わせ、声をかけた。


「こんにちは。いつも何を見ているの?」


「……お姉ちゃん、わたしが視えるのね」


 何を当たり前のことを──と、女の子を訝しみ、ついで日向子は唇を噛んだ。皆は無視をしていたのではない。そもそも見えていなかったようだ。


「視えるのよ、これが」


「……なんで?」


「私の方が聞きたいわよ。まあ、代々そういう家らしいから生まれつきなんじゃないかな」


 すると、女の子は少し考える素振りをして、地面を指さした。


「お姉ちゃん。この鍵、見える?」


 しゃがんでいた女の子の下には一つの鍵があった。それは地面に埋め込まれているようだった。氷の中にあるように、コンクリートが透けて鍵が見えている。


「見えるけど……なんで見えるんだろう。コンクリートの中にあるはずなのに」


「これ、掘ってみて。お姉ちゃんなら出来るはずだから」


「コンクリートを掘れるわけないじゃない」


 帰ろうと立ち上がった日向子の服の裾を、少女は掴んだ。


「大丈夫だから。お姉ちゃんなら出来るはず。畑の土を掘り返すみたいに、手ですくって土をどかして」


「出来るわけないって言ってるのに……」


 いいからと女の子は日向子の腕を引っ張り自分のいた場所にしゃがませた。

 女の子に言われた通り、日向子は土を掘るように手でコンクリートを掬った。するとコンクリートの中に手が沈み込み、鍵を触ることが出来た。水分量の多い泥の中の様な感触に、日向子は思わず手を引き抜いた。


「入った。なんで……」


「いいから、早く取ってよ」


「う、うん」


 日向子はもう一度手を入れる。するとやはり鍵に触ることが出来て、日向子は掘る工程を飛ばし、鍵を掴んで引っ張り出した。錆びたような手のひらサイズの鍵で、普通の家の鍵にしたら大きいだろう。日向子の祖父母の家にある土蔵の鍵がこのくらいの大きさだっただろうか。


「ようやくあの人・・・を助けることが出来る人が来た」


「あの人?」


 女の子は勢いよく顔を上げた。


「お姉ちゃん、ついてきて」


 子供らしい可愛い笑顔を向けられてしまっては、日向子も断ることは出来ない。

 日向子がうなずくと女の子は立ち上がった。


「こっち、ついてきて」


 歩く女の子の後を日向子は追いかけた。



 女の子の歩くスピードは意外と速かった。女の子を追いかける日向子は自然と早足になり、息も上がっていった。

 女の子の後をついて行く中で、だんだんと日向子は違和感を覚えた。女の子の輪郭がぼやけているようだったからだ。


「ねえ、あなた──」


 女の子は日向子の方を振り返らずに、さらにいうと、日向子が全てを言う前に答えた。


「そうだね。そろそろなのかな」


 そういうなり、女の子の輪郭は溶けた。淡い光が飛び散ったように日向子の目に映った。


『驚かせてごめんね? これがわたしの本当の姿なの』


「驚いた……」


 淡い光を放ちながら飛ぶ、夏の風物詩。近年ではきれいな川が少なくなっており、その数は減少していると聞く。日向子は蛍を見るのは初めてだった。


「綺麗だわ。でも蛍って昼間光るの?」


『私が光ってるんだから、光るのよ。きっと』


 そういうなり蛍は飛んでいく。ふわふわと光が動く様子はとても綺麗だった。


「それでどこに向かってるの? それにさっき言ってたあの人って誰?」


「この向こうに森があるの知ってる? あそこにいる人なの」


 森があることは日向子も知っていた。しかし、その森は近づくなと子供の頃から言われている。薄暗く不審者がいてもおかしくないからという事もあるが、その森では不思議なことが起こるからだ。

 目の前にいる何かを全員が別のものに見ていること。それも似通ったものではなく、犬や熊、鬼や髪の長い幽霊のような女に見える者もいた。共通しているのは各々の一番嫌いなものに見えた、ということだけだった。


「知ってるけど、あそこに人なんて住んでいるの?」


『住んでいるんじゃないよ。出ることが出来ないの』


 日向子の頭の中には誘拐という二文字が浮かんだ。


『もう何百年もね』


「何百年!? ……あの、その人は、生きていらっしゃる?」 


『当たり前じゃない』


 当たり前なのか、と納得しかけて、日向子は日向子は首を振る。何百年と生きている人が人であるわけがない。日向子の背を薄ら寒いものが伝った。誘拐犯と妖怪と、どちらと戦うのがいいか。まだ誘拐犯ならば警察に言えば済むが、妖怪となればそうもいかない。

 どちらにしても面倒なことに首を突っ込んでしまったのかも知れないと思った。


『もうすぐ森に着くよ』


 その言葉の通り、目の前にはあの森が見えた。


『噂を聞いているかもしれないけど、この森は不思議なことが起きるの。それはあなたでも例外じゃないから、頑張ってね』


「頑張れと言われても……」


 そういうなり、蛍は森へ入って行く。仕方なく日向子も森へ入った。



「そろそろ着く?」


『たぶん……』


 日向子が辺りを見回すが、周りには木しかない。てっきり小屋の中かなにかにいるものだと思っていた日向子は首を傾げる。


「ねえ、本当に……」


 いるの、と聞こうとした相手がいなかった。蛍が消えていたのである。


「蛍? どこ行ったんだろう」


 今更帰るわけにはいかない。そもそも日向子は必死になって蛍についてきたため、帰り道が分からなかった。とりあえず日向子は進んだ。

 暫く行くと岩壁が見えた。そしてそこに少しだけあいた隙間があった。


「ここにいるのかな」


 日向子がそこへ足を踏み入れた。そして、日向子は悲鳴をあげることになる。


「な、なんでここに、こんな大きな」


 日向子の目の前にいたのは大きなナメクジだった。成人男性と同じくらいの背丈がある。

 日向子は息を呑む。通常のサイズでも鳥肌が立つほど嫌いなのに、自分と同じサイズであったとしたらどうだろうか。噂は本当だったのである。


「どうしてこんな所にナメクジがいるのよ! 信じらんない」


『ごめんなさい』


「謝られたって……。え?」


 日向子は声の主を探す。しかし辺りには自分とナメクジしか見つからなかった。


『ここに来た人にとってわたくしは、その人の一番嫌いなものに見えるように術がかかっているんです。ごめんなさい』


「と、言うことは声の主はナメクジのあなたですか? 何でこんな事を」


 日向子にはナメクジが頷いたように見えた。


『わたくしにはどうしようもないのです。……あの人が術をかけたのは今から数百年昔の話のことです』


 ナメクジは静かに語りだした。

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