第6話:祝宴と報酬
ギルドの鐘が二回鳴る。討伐完了の合図だ。
扉を押し開けると、湿った木の匂いと煮込みの香りが鼻に刺さる。喉が鳴る。腹も鳴る。まず飯だ。いや、その前に報告だな。
「帰還!魔獣群、片付けた。」
カウンターの向こうで受付嬢が目をぱちぱちさせた。栗色の髪が小さく揺れる。
「ほんとに?規模、倍って聞いてたけど」
「倍だった。三倍近かったかもしれない。だから走った。跳んだ。噛まれる前に殴った。以上」
「以上の中身が濃すぎるのよ」
後ろから弓の少女が肩で息をして入ってくる。矢筒はすっからかんだ。髭の戦士は黙って親指を立てた。私は手のひらを見せる。噛まれていない。よし。
「証拠は?」
「これで足りるか」
袋を置く。甲高い音。魔核がこすれる。受付嬢が目を丸くする。
「…こんなに。どうやって運んだの」
「両手で」
「言い方」
横から神官が出てくる。白い衣。薬草の匂い。笑顔。
「お帰りなさい。祝福を」
「頼む」
額にぬるい薬油が触れる。胸のうちが少し軽くなる。いや、プラセボかもしれない。前世の言葉で言うところの。
「ギルドからの報酬、討伐褒賞、加えて町からの寄付。勇者さま扱いだから、今日は広場で祝宴よ」
「勇者はやめてくれ。照れる」
「顔に出ないタイプの照れですね」
弓の少女が笑って肘で小突いてくる。痛い。骨が細い。鍛えろ。
「広場に行って。火を起こしてるから。湯気が上がってるはず」
受付嬢に手を振って外に出る。石畳が温かい。昼の熱が残っている。広場には長いテーブル。肉塊。焼き目。焦げのいい匂い。泡の立つ木の杯。子供の笑い声。腹がもう一回鳴った。
「帰ってきたぞー!」
「おー!勇者!」
だからやめろって言ってるのに。まぁ、嬉しくないわけじゃない。こういうのは、好きだ。人の温度はね。
「まずは乾杯!」
「おう」
杯を受け取る。冷たい。喉に流し込む。甘い。泡が弾ける。口角が勝手に上がる。うまい。二杯目?いや待て。
上を見た。空に薄い数字が浮かんでいる。白とも灰ともつかない。たしかに見える。私だけじゃない。婆さまがときどき空を睨んでるのを見たことがある。あれだ。いま、その端が僅かに欠ける。数がひとつ、減った。
胸がきゅ、と縮む。冷たい石を飲み込んだみたいな感じ。喉は酒を求めるのに、胃は固くなる。
「ユウ?」
弓の少女の声。視線が落ちる。
「飲まないの?」
「一本でやめる。今日は」
「珍しい」
「空の数字が減ってる。別に科学的根拠はない。前世ではメーターが減るのは残量低下を意味した。ガソリンも、電池も、人の我慢も。空のあれは何の残量だ?」
「わからないよ。ずっとあるものでしょ、あの数字」
「ずっとあるものが減るときは、だいたい良くない」
髭の戦士が骨付き肉をもぐもぐしながらうなずいた。言葉は少ないけど通じてる。ありがたい。
「さ、食え」
肉が回ってくる。塩が指につく。齧る。肉汁が熱い。火の香り。舌が喜ぶ。人が笑う。子が駆ける。誰かが笛を吹き始める。私は笑って答える。手を振る。背中を叩かれる。肩を組まれる。
「ユウ、さっきの戦い方、すごかったって。屋根より高く跳んだって本当?」
「屋根の方が低かった」
「そういうこと言う?」
「ほんとだよ。二階建てより低い屋根だった」
「やっぱり超人だ。勇者だ」
「勇者じゃない。ただの訓練だ。前世の体操部みたいなものだ」
「たいそう、ぶ?」
「忘れてくれ」
パンをちぎってスープに浸す。口に押し込む。塩気が整う。内臓がしみる。…と、また空。数字がまた、ひとつ。
さっきより早い。気のせいか。気のせいだといい。気のせいって便利な言葉だ。だいたい嘘だ。
「すまん。受付に行ってくる」
腰を上げると、みんなが「あれ」「もう?」と声を上げる。うん、わかってる。わかってるけど、足が向く。
ギルドに戻る。夜の帳がおりかけている。蝋の灯り。虫の声。受付嬢が帳簿を閉じて顔を上げた。
「どうしたの。皿はまだまだ来るわよ」
「次の依頼。受けておきたい。最短で出る」
「今?」
「夜明けに」
「理由を聞いても?」
「空。減ってる」
受付嬢は一瞬こちらの顔を見て、窓の外を見上げた。数秒。肩が小さく震えた。
「…見えてるのね、あなたも」
「見えてる。昔からだ」
「わかった。選べるのは三つ。森の北縁の巡回。街道の橋の補修護衛。西の古井戸の清めの護衛。どれでも」
「森の北縁。動く」
「人手は?」
「弓の少女と髭の戦士とで足りる」
「ほんとに?」
「足りなければ、走る」
「またそれ」
受付嬢がため息をついてから、紙を差し出す。木のスタンプを押す。赤い印がぽんと鳴る。
「はい、受注。夜明けに外門。守備隊に話は通す。報酬は…安い。護衛はいつも安い。ごめん」
「いい。速度優先」
「ユウ、あなた、たぶん遠くに行く人だ。そのとき、ここを忘れないで」
「忘れない。肉がうまい」
「そこ?」
笑い合って、それから私は小さく頭を下げた。こういうとき、言葉は少ない方がいい。人の温度が濃いから。
広場に戻ると、火が大きくなっていた。歌が輪になって揺れている。私は輪に入る。肩を貸す。持ち上げられる。布が舞う。子供が笑い転げる。
「ユウ!杯!」
「…一口だけ」
神官がまた盃を持って立っていた。祝福の言葉。胸に手。私は同じように手を当てる。祈り方はこの世界の作法に合わせる。前世の宗派は関係ない。礼儀は人を丸くする。
「おめでとう、勇者」
「だからやめてくれ」
「でも、町の人はそう呼びたいのよ。死なずに帰ってきた者を、神話で包むのが得意なの」
「じゃあ、包んでくれ。ただの人のまま」
神官が笑って肩を叩いた。盃を傾ける。舌に乗せて飲み込む。ひとくち。終わり。弓の少女が横目でにやり。髭の戦士が肩をもむ。力が強い。骨が鳴る。やめろ。
「明日、北縁だ」
「行くのか」
「行く。数字が気になる」
「わかった。矢はもう作ってある」
「槍も研いだ」
準備のいいやつらだ。助かる。こういうところが好きだ。ここで暮らす未来も、ほんの少し想像した。畑。煙。朝の乳の匂い。…でも、空を見上げる自分の姿が邪魔をする。
火の熱が背中に刺さる。夜風が汗を冷やす。空の数字が、またひとつ、欠ける。音はしない。鐘は鳴らない。なのに、鼓膜の裏側がじんとする。脳が勝手に音を足しているのかもしれない。こわい、という音だ。
一瞬、屋根の端に黒い影が立っていた。顔が見えない。というか、顔がない。面が抜けたみたいに平ら。瞬きをしたら、いない。見間違いか。酒のせい?ひとくちしか飲んでないのに。思い込みは危険だ。けれど、ああいうのは、実在することの方が多い。
「ユウ?」
「なんでもない。寝る。夜明け前に起きる」
「うん。わたしも。矢をもう一本、作ってから」
「俺は鍋を空にする」
「食い過ぎるなよ。走れなくなる」
「走る」
笑いながら、私は焚き火から離れる。影が伸びる。壁が冷たい。背を預ける。瞼を閉じる。耳に残るのは歌と、肉を裂く音と、遠い梟の声。空の数字は、瞼の裏にも焼き付いて離れない。あれは減る。私が走っても、きっと減る。だから、走る。走って、少しでも間に合う場所にたどり着く。
私、祝宴の真ん中で、空のメーターの減りに背を押される夜を過ごした
次回、第7話:仮面の狩人の影
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