第4話:黒鴉の試し

空のメーターが朝から騒がしい。狩猟枠、風力、魔力放出。全部、薄青の目盛りで頭上に並んでいる。いちいち空を見る習慣にも慣れてきた。便利だけど、監視されてる感はすごい。うん、この世界は数字が偉い。


「依頼、出たぞ。黒鴉の試し。新規はまずこれだとよ」


掲示板の前で、受付が淡々と言う。黒い羽の印が押された羊皮紙。いわゆる初回チュートリアル。迷宮の外縁に行って、記章を取ってくるだけ。聞くだけなら簡単だ。


「ユウ、行くのか」


低い声が肩の後ろで止まった。振り向くと、黒いコート、胸元に小さな羽のバッジ。請負人。ラグナだ。昨日、森の手前でちょっと情報をやり取りして、なんか互いに笑って別れた相手。ちょっと、いやかなり強い匂いがするやつ。


「行く。旅の通行証も欲しいし」


次の町に行くには、黒鴉の羽根があると検問が早い。規約ってやつだ。こういうところ、ゲームじゃないのにゲームっぽい。


「その依頼、俺も受ける。功績の取り分、決めようぜ」


「取り分?」


「黒鴉は数字だ。どれだけ危険を減らし、どれだけ早く、どれだけ確かに。この三本。全部メーターで出る。勝った方が先の席を取る」


「席?」


「迷宮の中階層の抽選席だ。いい探索者はいい順番で潜れる」


あぁ、迷宮ギルドの順番待ちね。人気の階層には順番がある。順番は功績順。わかりやすい。わかりやすいけど、競争は嫌いじゃない。


「いいよ。私も確かめたい。あなたの強さ」


「言うじゃねぇか」


受付が咳払いした。


「黒鴉の試しは二名までの同行が許可されます。各自の功績は独立評価します。協力しても減点はありません。メーターは空に表示されますから、喧嘩は外でやってください」


「喧嘩はしないよ。ね」


「する気はない。数字で殴る」


うん、言い方。


ーーー


森は薄い霧。湿った匂い。鳥の声の代わりに、頭上のメーターが小さくカチカチ言う。風力の目盛りが上がると、木々の葉がざわつく。森の入口に黒い塔。黒鴉の監視塔。目玉みたいな光が一つ、私達を測る。嫌な感じはするけど、それで守られてもいる。たぶん。


「試しの内容、復唱する」


ラグナが先に言う。私はうなずく。


「迷宮外縁の風塔に登り、黒羽石を一つずつ採る。塔の周囲には霧獣が出る。討伐は任意。安全第一。撤退は自由。黒羽石を持ち帰れば合格」


受付の声と同じくらい淡々とした復唱。こういう人、マニュアル全部覚えてるタイプだ。


「霧獣、角がある。突進に注意」


「見えてる」


ラグナの手が微かに動いた。手首の革にマーク。祝福の印。彼の祝福は何だったっけ。公言しないのが礼儀だが、まあ、そのうち見る。


私の祝福は「針の祝福」。指先で距離と速度と風の向きを測る。使うたびに頭上の魔力放出メーターが少し伸びる。便利だけど、無駄撃ちはすぐバレる。世界が数字で見てるからな。


「行くぞ」


「了解」


塔の根元は鉄骨の匂いがする。錆びと油。あ、これ、懐かしい匂いだ。前世でも似た匂いを嗅いだ。工場の階段。いや、違う、もっと細かい。配線の焦げ。頭のどこかがチカっとして、手が勝手に手すりのボルトの間隔を数えた。六角、ピッチは均一。統一規格。誰が作った。誰が維持してる。


《『こういうの、誰かがずっと直してるんだよな』》


はい、感傷はあと。


「ユウ」


「わかってる。右から来る」


霧が割れて、角の生えた獣が足音を殺して飛び出してくる。白い毛に黒い縁取り。霧鹿。名前は適当。でもだいたい鹿。


ラグナが一歩前。短槍の穂先が月光みたいに光る。速い。突き、切り返し、後退。足運びが軽い。穂先が霧鹿の頬をかすめただけなのに、霧がほどけたみたいに力が抜けた。祝福、なにそれ。刃に何かが宿ってる。


私も前に出る。指先に針の感覚。風の層が見える。角の重さを測る。踏み込み。左。霧鹿の目がそっちを見た瞬間、私は反対に回り込んで足首に針を刺す。刺したといっても、触れただけだ。距離の数字がゼロになると、相手は一回、躓く。それが私の小技だ。刺さないから血は出ない。ありがたい。


「一歩」


「半歩」


どうでもいい競争。楽しい。


「止めは?」


「やる」


ラグナが短槍を「置く」みたいに見せて、妖精を捕まえるみたいな繊細さで霧鹿の首の下に穂先を滑らせた。霧がほどけるように獣は崩れた。殺してない。失神。抑えが上手いなこいつ。


「討伐は任意だ。無駄はしない」


「同意」


空のメーターが小さく光る。危険度の目盛りが一つ下がる。森にとってもギルドにとってもいい数字。数字の神様、ご満悦。


塔の階段を上る。鉄の網目。靴音がカンカン響く。上に行くほど風が冷たくて、指がこわばる。メーターの風力も一段伸びた。冷たい。目が覚める。


踊り場。小さな箱。鍵。封印。黒い羽根の刻印。手順通りに…あれ、鍵穴が合わない。いや、合ってるのに反応がない。


「ユウ?」


「ちょっと待って」


この形、前に見た。いや前世で。どこ。鉄扉。避難梯子の横。火災報知器。…違う、似てるだけ。なのに指が勝手に動いた。数える。刻みの幅。金属の音。わずかな振動。空のメーターがカチ、と鳴った瞬間、箱の蓋が勝手に開いた。


「お前、今、何した」


「手順通りに、したつもり」


嘘は言ってない。頭の奥が熱い。ちらっと白い図面が浮かんだ気がして、すぐ消えた。思い出しそうで思い出せない。嫌な感覚。ここはゲームじゃないのに、体が先に知ってるとき、だいたい私は変な顔をしてる。たぶん今も。


中に黒羽石。軽い。でも見た目より重い感じがする密度。耳を当てると、空気の奥で小さくカチカチいう。メーター語。やっぱり、これ、ただの石じゃない。


「取ったか」


「取った。ラグナも」


「もちろん」


ラグナが自分の箱も開ける。彼は普通に鍵を回した。いや、鍵、回るのか。どっちが正しいって話ではない。けど、私の箱、最初鍵が…まぁいいか。フラグはまた今度。


塔の上で少し休む。風が強い。視界の端に、黒い点が数個。鳥?いや、羽ばたいてない。静止。金属の光。あれが黒鴉。監視の小型機。こちらを向くと、空のメーターがスッと整列した。綺麗すぎて怖い。


「数字好きだな、黒鴉」


「数字は嘘をつかない。人は嘘をつく」


「ひねくれ者め」


「褒め言葉だ」


口では刺し合い。体は同じ方を向いてる。不思議と波長が合う。なんでだろう。


帰り道。下りのほうが危ない。足元を確かめながら、霧の底を見る。そこに、赤い光が一瞬。助けの火。いや、あれは。


「ラグナ。見た?」


「見た。発煙信号だ。古い型」


古い型。どのくらい古い。前世で見たやつに似てる。金属缶に穴。中身は硝石。…いや、具体は危ない。とにかく、誰かがいる。


「先に届けるか」


「試しは終わった。寄り道する時間はある」


受付は安全第一と言った。救助は、高得点。いや、そういう打算じゃない。


「行こう」


「お前、そういう顔、悪くない」


「褒め言葉だと受け取る」


霧の奥。目印は消えかけの赤。風が渦巻いて、声をさらう。針の祝福で距離が測れる。二百。百二十。六十。霧の密度が変わる。これ、迷宮の吐息に近い。ということは、外縁の裂け目。落ちたらまずい。


「ロープ」


「持ってる」


ラグナが腰から素早く出す。結びが早い。汎用性の高い結び方。現場の人だ。私は反対側の木に固定。手が勝手に動く。また勝手に。ちょっと怖い。でも、この手は人を助けるためにできてる。なら、今は良し。


「降りる。支えて」


「了解」


霧の底は冷たい。湿気が肌にまとわりつく。赤い光は小さく脈動している。発生源は小さな缶。横に、人影。丸くなってる。外套。呼吸はある。良かった。


「聞こえる?ギルドの者。助けに来た」


うっすら目が開く。焦点が合わない。唇が乾いてる。水。少しだけ口を湿らせる。目蓋が震える。声は出ない。でも手は私の袖を掴んだ。人だ。人の体温。冷たい数字の世界に、こういうのがあるとホッとする。


「引き上げるぞ」


「おう」


ロープがきしむ。腕に重さ。筋肉が嫌な音を言い出す前に、上のラグナがバランスを取り直した。息が合う。これ、二人でないと無理だ。多分、運も味方した。


地上。人影は軽く咳をして、また眠った。安堵のため息が出る。メーターが頭上で小さく跳ねた。救助の目盛り。こんなところまで数字なのか。そうだよな。全部記録される。


「戻る」


「うん」


ーーー


ギルドに帰るなり、受付が目蓋を持ち上げた。


「黒羽石、確認。二名とも合格。救助対象は医務へ。功績メーター、表示しますか?」


「もちろん」


空のメーターがひとつ、窓の中へ降りてきた。私とラグナ、並ぶ二本の棒。危険度低減、同値。速度、私がわずかに上。確実性、ラグナが上。救助、共同。総合、同値。


「引き分け」


ラグナが鼻で笑う。


「もう一回やるか」


「やらない。次がある」


受付が書類を差し出す。


「暫定共闘契約にサインすれば、次の階層への推薦が二人分出ます。期間は一週間。解消は自由。報酬は案件ごとに」


ラグナが私を見る。私は頷く。


「組む」


「同意」


ペンを取る。名前を書く。ユウ。震えない手。実感がある。人と組む契約。数字だけで繋がってない線。


受付が小さく笑った。珍しい。彼女は滅多に笑わない。人の余白が、ちょっと嬉しい。


「次の仕事だが…薄明の林で行方不明者が出た。夜明け前、信号が途絶えたらしい」


受付が台帳を開いて、メーターを指した。薄明の時間の帯が光る。そこで誰かが途切れた印が赤い点で浮く。冷たい図。冷たいけど、確かだ。


「行く」


同時に口を開いて、目が合う。息が重なって笑う。こういうの、悪くない。


ギルドの外。夕暮れ。空のメーターは紫に縁取られて、風の目盛りが長い。冷たい世界。肩が少し寒い。隣のラグナが小さく肩をすくめた。


「お前、さっきの鍵」


「うん?」


「鍵が、先にお前を開けたみたいだった」


「はは。意味深」


笑ってごまかす。喉の奥に刺がある。誰も悪くないのに、誰かが見ている。黒鴉の監視塔の目が、夕暮れの中でにじむ。空の数字は、私の中の数字に似ている。どっちが先で、どっちが後だ。


考えるのは、帰ってからでいい。今は薄明。救うべき誰かがいる。


次回、第5話:薄明の救出

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る