My Loving Family

 ——アメリカ・バージニア州ラングレー


 日曜日の昼下がり、グレンは数か月ぶりに自宅の庭へと足を踏み入れた。手入れされた芝生の奥には、この家を買った時から生えている大きな木があり、太い枝に吊るして作った白いブランコがある。昔、幼い娘のために作った遊び場だ。そこに座って遊んでいる息子の髪は、娘——花澄カスミとよく似た明るい茶色ライトブラウンで、グレンは胸に疼くような痛みを覚えた。一瞬、そこに娘がいる気がして、息が止まりそうになる。


 見つめているこちらの気配に気付いたのか、ブランコを揺らしていた少年が顔を上げた。途端、弾かれたようにブランコから飛び降り、元気よく駆けてくる。花澄よりも黒に近い瞳をきらきらとさせて。


Daddyダディ!」


 駆け寄ってきた七歳の息子を、グレンはスーツケースから手を離して両腕で抱き上げた。見ない間にまた少し背が伸びて重くなった気がする。


「元気にしていたかい、真澄マスミ。また大きくなったね?」

「うん! ママも元気だよ!」

「そうか、良かった」


 守るべき存在が健在であることに安堵し、グレンは息子をそっと降ろした。左手でスーツケースを引き、右手を真澄と繋いで玄関ポーチへと向かう。二本の角柱で支えられた広い屋根付きの玄関だ。


 「Momマム! パパだよ!」と真澄が声を上げた。扉を押し開け、靴を脱ぐ。日本式の玄関ホールは妻の希望だが、ハワイ育ちの日系人であるグレンにとっても家で靴を脱ぐ習慣は珍しくない。


 リビングへ入ると、ちょうどソファから立ち上がった妻の姿があった。テーブルにはノートパソコン、その横に本が何冊か積まれている。濃い茶色ダークブラウンの髪を後ろで一つ括りにして、水色ライトブルーのラフなワンピースを着た彼女の瞳は、息子と同じ黒に近い色だ。その瞳が、優しげにグレンを映している。


「お帰りなさい、グレン!」

「ただいま、真琴マコト。仕事中だった?」

「ええ、でも一区切りついたところ」


 グレンは妻を抱き締めた。真琴は翻訳の仕事をしていて、ほぼ在宅ワークだ。家でできる仕事を望んだ彼女に、グレンの友人が小さな出版会社を紹介してくれた。いつ警察から電話がかかってきても出やすいように、いつ娘が帰ってきても出迎えられるようにと。


「少し休む?」

「ああ、シャワーを浴びて少し休むよ」


 気遣ってくれる真琴に甘え、グレンは二階への階段を上がった。自室にスーツケースを置くと、自然と足は真澄の部屋の隣へと向かう。白いドアにはピンク色の花をあしらったネームプレート。中へ入ると、掃除の行き届いた清潔な子供部屋だ。


 白い壁には花澄と一緒に張り付けた淡いピンクのウサギやブルーの星のステッカーがあり、ベッドの壁際には様々なぬいぐるみが並んでいる。遊びに行く約束を守れず、お詫びに買って帰った日本アニメの動物キャラもの、動物園に行った際にねだられたカワウソ、それぞれが忘れがたい思い出だ。


 花澄の一番のお気に入りは、ここにはない大きなウサギだった。モカグレーの長い垂れ耳。確か首にはベージュ色のリボンを巻いていた気がする。あの時も、花澄はそのウサギを抱いていた。


「パパ、今いい?」


 そっと部屋に入ってきた真澄に、グレンは笑みを向けてベッドへ腰かけた。表情を明るくして隣に座った真澄が、「あのね、ぼく、考えたんだけど」と言って自信満々の顔で笑む。


「明日のママの誕生日バースデー、ぼくたちでご飯作ってお祝いするっていうのはどう?」

「いいね。何を作りたい?」

「ポキと、ロコモコ! パパのこきょうの味だって、ママが言ってたよ」

「うん、その通り。でもママの誕生日なんだから、ママの好きなものにしようか?」

「だいじょうぶ! パパとの思い出の味だって、前に言っていたから」


 物知りでしょ! と自慢げに真澄が笑う。そんな息子がとても愛おしい。


 グレンは金髪碧眼の日系アメリカ人であり、故郷はハワイだ。ミドルネームは妻と同じ読みのマコト、姓は田中タナカ。妻の真琴とは、休暇でハワイに戻っていた時に出逢った。


 出逢いの場となったのは、空港だった。職業柄、自然と周囲を観察する癖のあるグレンは、そこで不注意な旅行者を狙う泥棒を見つけた。男の獲物を探すような視線が鋭すぎたのだ。


 そこで泥棒に荷物を狙われた家族の一人が、真琴だった。グレンは周囲の者に怪しまれないよう異能を使い、泥棒から荷物を落とさせ、取り戻してやった。盗られていた荷物を真琴に返すと、驚くほど純真な瞳で見つめられたことを思い出す。


 泥棒逮捕に協力したことで、真琴の家族と縁ができた。人の好すぎる真琴の両親から頼りにされ、観光案内をすることになった。その数日間の交流で縁が深まった真琴との個人的な交流は、それぞれが帰国した後も続いた。そういえば、初めてのデートで二人で食べたのが、ポキとロコモコだった。それから自然と付き合うようになり、結婚に至ったのだ。


 子供のためにも、グレンは今の仕事を退職して日本に住むつもりだった。実家の近くの方が真琴も子育てがしやすいだろうし、なによりグレンが子供の傍にいる時間を増やしたかった。だから子供には日本の名前を付けたのだ。しかしなかなか都合がつかず数年が経った。あの酷いホテル爆破事件が起こったのは、二人目も考えるならやはり日本で、と考えていた時だ。真琴はあれから一度も、日本行きを口にしていない。


「ねぇ、パパ。お姉ちゃんもポキ好きだった?」


 いつの間にか真澄が傍を離れ、棚に置かれている写真立てを見つめている。真澄の指が、優しい動きで写真の中の花澄の頬を撫でた。五歳の誕生日に庭のブランコで撮った、満面の笑みの花澄だ。


 グレンは緩んだ涙腺をぐっとこらえた。

 記憶の中の花澄は、もう弟よりも年下になってしまったのだ。


「お前のお姉ちゃんは、ポキもロコモコも好きだよ。でも一番好きなのはパンケーキかな。カリカリに焼いたベーコンも好きでね、よく僕の分も食べていたんだよ」

「じゃあ、帰ってきたらぼくの分もあげるね。きっとおなかすいてるだろうから」

「真澄」


 たまらず、グレンは真澄を抱き寄せていた。優しい子に育ってくれている、そのことに真澄と真琴に感謝する。


 胸元から真澄が顔を上げた。


「いつか行ってみたいなぁ、ハワイと日本」

「ああ、いつか行こう、皆で」


 あの時、花澄がケーキを頬張りながら話していたのも、『ママの誕生日』についてだった。あの子は、ママの絵を描く! と張り切っていた。「リビングをかざるのを手伝ってね、パパ」そう言って、お気に入りのウサギに頬をうずめながら、可愛らしく笑んでいた。


 身元が分からない多くの遺体の中に、あの子がいたなんて信じない。そう思わなければ今でも立っていられる気がしない。死亡扱いにされているが、信じられるわけがない。きっとどこかで生きている——そう思い続けて、もう十年だ。


 グレンは真澄を抱き締めながら、変わることのない娘の笑顔を見つめた。


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