怪異無双Ep.3 記憶の残響
その日は、風がなかった。雲もない。音もなかった。
小夜が立ち寄ったのは、かつて弓道部が使っていた古い屋内道場だった。
扉の隙間からこぼれる光に誘われて覗くと、そこにいたのは五十嵐先輩。
白と紺を基調とした稽古着姿で正座し、静かに目を閉じている。
傍らには一本の細身の槍。模擬のものではない。
やがて先輩は立ち上がり、構えを取る。
その所作は戦闘というより、祈りのようだった。
『……あの構え……まさか、そのまま残っていたとは』
小夜の背後から彼女の守護霊月白守の声。だが小夜には意味が分からない。
◆
数日後。
「小夜さん。……一緒に来ていただけませんか?」
放課後、五十嵐先輩はそう切り出した。
「他の方には内緒で。あまり事を荒立てたくありませんので」
「……私ですか?」
「ええ。小夜さんが必要なんです」
小夜が怪訝に首を傾げる背後で、五十嵐先輩の視線が一瞬だけ月白守の方へ流れる。
小夜には気付けない。
◆
二人が訪れたのは、市街地の端にある古びた廃寺だった。
苔むした石段を上る途中、五十嵐先輩はぽつりと呟く。
「……最近、夢を見るんです。呼ばれているような夢」
「夢……?」
「ええ。誰かに“来て”と。その声が導いた先が、この場所でした」
その言葉に呼応するように、本堂の扉が軋んで開いた。
『小夜、下がれ。ここは、もう“向こう側”と繋がってる』
月白守の声が低く響く。
闇の奥からにじむように現れた黒い影。
人の形を模した仮面、うねる手、無数の“腕”が舌のように蠢く。
月白守の着流しがはためき、白と藍の狩衣が顕れる。
烏帽子、符、紙扇、儀式刀──かつての陰陽師の姿。
『……この格好も久しいな。あの夜に近づく』
五十嵐先輩は一歩踏み出し、静かに告げた。
「……ここは通さない」
背後に小夜を庇い、両手を祈るように交差させる。
見えない槍を突き立てるような型。
『……間違いねぇ。あの夜の“祈り”の構えだ』
月白守が後衛から式陣を展開する。
『……そうか。この形、忘れていたわけではない。だが、今の世で再び成るとはな』
二重の結界が発動した瞬間、怪異が突き破って襲いかかる。
◆
「小夜さん! 私から離れないでください!」
五十嵐先輩の声に、小夜は必死にしがみついた。
零感ゆえに何が起きているかは分からない。
けれど──この人の言葉に従えば守られる。
そう信じられた。
五十嵐先輩の瞳が、決意に燃える。
「私には私の戦い方があります」
祈りの槍が放つ光と、月白守の符術が共鳴する。
境内を満たす霊力が怪異を押し返す。
次の瞬間、白刃のような光が奔り、怪異を一閃した。
『式・双重展開──主結、後衛より補強。突き抜けろ!』
(※双重展開=そうじゅうてんかい)
二人の力が重なり、結界は重厚な輪を描く。
その瞬間、月白守が鋭く詠唱を切り裂く。
『斬り裂け!!』
符が爆ぜ、儀式刀の一閃が夜を裂いた。
怪異の影は光に呑まれ、焼き切られていく。
◆
やがて境内に静寂が戻る。
小夜はがくりと膝をつき、震える吐息をもらす。
「……終わったの?」
視えぬはずの光景。だが恐怖だけは残っていた。
小夜の瞼は重く、記憶は霞んでいく。
月白守はそっと背を支え、額に指を添えた。
『……今は、まだ早い。忘れたほうが楽なこともある』
淡い光が瞬き、小夜は静かに眠りに落ちる。
月白守はその小さな背を抱き上げ、肩に背負った。
五十嵐先輩は微笑みを浮かべる。
「……やっぱり、優しいんですね」
月白守は目を伏せ、ぽつりと呟いた。
『……護るって、こういうことかよ』
『……あんた、俺の姿が視えてたんだな』
「ええ、最初から」
並んで歩き出す二人の間に、秋の夜風が吹き抜けた。
月白守は、眠る小夜の重みを背に受けながら小さく吐き出す。
『……俺の仲間たち、強ぇな……』
―――了―――
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