神様(押し入れでちいちゃくなっている)

寝舟はやせ

なんでもかんでも



 神様が押し入れでちいちゃく丸まっている。

 なんでも叶えてあげるよ、と降りて来てみたところ、町のみんなが神様大好き!と言ってくれたので、喜んでなんでも叶えてあげたのだ。

 その結果すべてに失敗し、神様は押し入れでちいちゃく丸まっている。節の多い八本足を丸めて、六つある目玉からぽろぽろと涙をこぼして丸まっている。


 神様は、本当になんでも叶えてくれた。神様は人間を大層可愛がっているので、可愛い人間のためならなんだってしてやりたいのだ。金が欲しいと言われればそうしたし、あいつを呪ってくれと言えばそうしたし、あれを殺してくれと言われれば殺したし、子供が欲しいといえば作ってやった。何もかもを叶えてやった。何もかもを与えてやった。


 だが、人間の耐久性については考えなかった。


 神様はまず町会長に挨拶に行った。みなさん毎年素敵な祭りをしてくれますので、ぼくはお礼に来ましたと、人間の身体の部位で出来たゲジゲジみたいな神様は言った。丸まれているのでダンゴムシかもしれなかったが、とにかく、神様は一眼見てわかるほどに神様だった。

 神様は六つの目を全てにっこりして、怯えて後ずさる町会長になんでも叶えてあげますよと言った。町会長は、まあつまりは父は、散々怯えて腰をやったあと、神様が神様だと本能で悟って、『娘を連れ戻して欲しい』と言った。

 姉は父とは折り合いが悪く、口汚く罵り合う時と、存在すら無視して関わらない時を繰り返していた。三年前に結婚して他県に引っ越したが、父はそれ以来、姉の不在について――つまりは、生活の不便さについて常々愚痴っていた。


 二ヶ月後。姉は何もかもを失い、この家に戻って来ると決まった。

 家に溢れるゴミを片付けて欲しい、ではなく、片付け要員の姉を連れ戻してほしい、というあたりが、何処までも父である。姉は父のこういうところが本当に嫌いだった。

 ただ、全てを失った姉は、本当に全てを失っていたものだから(具体的には、右腕の肘から先と、愛すべき我が子と、愛は少ないが優秀な夫と、健全な精神を)、父の望む通りには一切ならなかった。

 姉は息をすることも忘れてゴミの山で暮らし、一日中、ぼんやりと俺と母の遺影を眺めて過ごし、そして、半月と経たずに首を吊った。


 さて。

 神様の存在はすぐに町中に知れ渡った。父は阿呆なので、隠し事というのが出来ない。おだてておけばそれなりに仕事をやるというのが、父の良い点だった。


 神様は、いつまでも此処に居てくれていいんですよ、という言葉を間に受けて我が家の客間にお邪魔し続けていたので、うちに来たお客さんなら誰でも簡単に会えた。


 神様は、欲しいものは何でも与えた。本当になんでも与えてやった。奇跡のような施しを受けた人間は当然喜ぶので、神様は嬉しくなってまた何度も与えた。


 その結果、俺の町では溶けた蛞蝓のような人間がその辺をうろついている。


「どうしてこうなっちゃったんだろ……どうしてこうなっちゃったんだろ……」


 神様は二メートルある身体を何かから隠れるようにちいちゃく折り曲げて、めそめそと泣いていた。

 たかが何もかもを与えたくらいで、どうして人間が肉で出来た蛞蝓になってしまうのか、ちっとも分からないみたいだった。


「みんなお祭りが出来なくなっちゃった……」


 神様は本当に困り果てたように言って、首を捻るように胴体を捻って、それからまためそめそと泣いた。

 お祭りが出来ないのは大問題である。この町のお祭りを喜んで降りて来た神様なのだから、やはりうちの町の住人の信仰やらを受けて存在しているのだろう。


「怒られる………………」


 違うかもしれないな、と思った。神様は住人を想って泣いているのではなさそうだった。ただ、とても怯えているようだった。

 怒られるのは恐ろしいことだ。よく分かる。何よりも恐ろしいことだ。場合によっては殺されることよりも恐ろしいかもしれない。不安と恐怖に終わりが来ないからだ。来てはいけないものだと知っているのにそれを望むのは、絶望を受動的な希望としなければならないほどに、能動的な選択を恐怖と捉えているからである。


 姉を奴隷のように扱う父を心底軽蔑していたけれど、口出しをすると殴られるため、俺は単純な暴力に屈して口を閉ざしていた。いつしか動くこともやめた。本当に動けなかったし、水も飲めなかった。父は俺が餓死したと聞いた時、同じ家に住んでいたのに本当に気づかなかったのだ。父にとっては、俺はその程度の存在であった。


「どう、ど、どうすればいいんだろう…………」


 神様は押し入れでちいさくなっている。いつかの俺のように。恐怖と不安に終わりが来ないことに心底怯えていた頃の俺のように。

 だとすれば、俺は一つだけ解決の方法を知っている。恐怖の片付け方を知っている。見えない場所に押しやった恐怖を本当に無かったものにする方法を知っている。


「神様」

「ひい 誰」

「欲しいものがあります。叶えてくれますか」

「誰………………」

「欲しいものがあります」

「欲しいもの! なんでも言ってね」

「命をください」

「誰の?」

「お前の」

「…………」

「お前の命をください。欲しいものはなんでもくれるんでしょう、だから命をください。今此処で死んでください。心からのお礼をします、死んでください」

「……でも」

「お前の命をください。もうそれ以外に価値はないです」


 死んでください。そうしたらきっと、みんな喜ぶと思います。肉で出来た蛞蝓になったみんなも、きっといつまでもいつまでも神様に感謝しながら地を這うことでしょう。欲しいものはなんでもくれるんでしょう。なんだってくれるんだから命くらいいいじゃないですか。お前の命に俺の姉以上の価値はないのだから。もう、それしかないじゃないですか。


 姉は昔、逃げるように家を出る時に、一度だけ、俺についてくるかと言ってくれた。ゴミみたいな親父の世話をしつづけて擦り切れてしまったのに、ゴミみたいな俺の世話をするつもりで連れて行く気だった。

 俺は、本当に、父のことを心底軽蔑していたので、それだけはするまいと断った。分かっていたからだ。性根は同じだと。俺は父の暴力に怯えて縮こまっていたから無害に見えるだけで、本質的には同じ精神構造をしている。きっと、俺が父よりも体格がよかったのなら、俺の方が父を殴っただろう。そして、いずれは老いた父を相手にそうしていただろう。ただ、脆弱な精神の俺はそうなるまで生き延びれなかった、というだけの話だ。


 姉は強い人だった。とびきりに幸せになるべき人ではなかったかもしれないが、少なくとも不幸にまみれて生きていくべき人ではなかった。

 だから、でたらめな差出人の書かれた手紙に、子供が出来たという一文を見た時、俺は心底嬉しかったのだ。姉が本当に世話をするべき存在と今生で出会えたことが、何よりも。


「命をください。早く死んでください」


 神様は泣いていた。欲しいと願われたものをそのまま与えていただけなのに責められているのだから、それはそうだろう。悪いのは望んだ側で、神様に非はない、ということになっているだろう。多分。恐らく。


 この村で正気を保っているのはもはや俺だけだったから、俺だけが神様に最後の欲しいものを言うことが出来た。神様は欲しいものはなんでもくれるのだ。くれなければならない。そのために降りてきたのだから。

 正気?

 まあ、そう。


 神様は丸まったままがたがたと震えて、震えたまま、たくさんある内の腕で丁寧に、丁寧に頭部の目を潰して、それから、ぴくりとも動かなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様(押し入れでちいちゃくなっている) 寝舟はやせ @nhn_hys

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る