第14話 試験

 俺が魔鋼岩ヒヒイロカネを一度殴りつけてから、兄上の様子がおかしい。考えこんだまま動かなくなってしまった。


 やはり俺の修業は傍から見ると馬鹿馬鹿しいのだろうか。まあ筋トレ1000回、岩へ正拳突き1000回とか前世の俺が視ても正気を疑うしな。


 ましてや兄上は生粋の魔術師だ。魔術師は騎士よりも品性が求められる以上、弟が野蛮な修行をしているとあってはそりゃプライドにも関わる。


 下手すればここで兄弟の縁を切られるかも……オットー家から追放されるのはいいけれど、兄上から見捨てられるのは嫌だな。言い訳を考えておかないと。


「よし決めた」


「何を決めたのですか?」


 立ち上がる兄上に、思わず訊いてしまった。貴様とは絶交だ、なんて言われる前に弁明しないと。


「ベスティ。


「待ってください、俺は必ず強くなって後悔させませんから――って、え?」


 短時間で積み上げた弁明が霧消した。今俺の聞き間違いで無ければ、兄上と戦え、と……?


「ふん。世界の終わりみたいな情けない顔をしおって。精々軽い手合わせ程度だよ。馬鹿みたいに修行した五年とやらを見せてもらうだけだ」


「そ、そういう事ですか。しかし……自分と兄上とでは、蟻と像ほどの開きがあるように思いますが」


「過小評価だろう。蟻と竜だ。貴様など羽ばたきで彼方へ吹き飛ばせるわ」


 兄上の発言は傲慢などではない。事実だ。何せ左胸で輝く数々の勲章は、兄上が魔術師として指折りの存在にまでのし上がった事を雄弁と物語っている。


「ハンデとして俺に触れることが出来たら負けを認めてやろう」


「それでも勝てるとは思えませんが……」


「兄の命令に逆らうのか?」


「いえっ! 申し訳ございません! 胸をお借り致しますっ!」


 昔のクセで首肯し、手合わせを開始する。しかし若くして数々の戦争も潜り抜け、数多の魔物を対峙してきた兄上だ。あの人がその気になれば触れるどころか半径数キロ圏外まで吹き飛ばすことだって出来るだろう。


 逆に魔力を持たない俺には、技の引き出しなんて無い。


 精々兄上まで全力疾走してみるしか。


「……!?」


 ……あれ? 想定外に兄上の近くまで踏み込めている。兄上が俺に花を持たせてくれたのだろうか。


 しかしその割にはスローモーションに映る兄上の表情はぎこちなくなっていた。


「縮地!」


 目と鼻の先に居た筈の兄上が、時間を飛ばしたように瞬間移動していた。


 初めて見た。これが縮地。


 『魔術騎士道』にも記載されている移動術の一つだ。魔力で起こした特殊な風道を通る事で、音を置き去りにした高速移動を可能とする。


 脚力も要求される故勿論主に騎士が使う移動術だが、兄上は魔力だけで縮地を可能としているのだ。


(やはり兄上の縮地は速い。これじゃ何年経っても追いつけない……勝てない)


 魔力を持たざる者は魔力を持つ者には敵わない。ましてや左胸の勲章が、次期【三大魔】と目されるほどの戦果を挙げているということを雄弁に語っている。


「ベスティ……驚いたぞ。今の貴様の速度、紛う事なき……縮地ではないか!」


 そう。俺もスクワットとか筋トレを何年も積み重ねた事によって、五年前よりは足が速くなった。この後も【技】の修行によって縮地の練習も始めようと思っている。


 けれどどんなに努力しても魔力による風道を起こせない以上、きっとただ『足が速い』くらいに留まるんだろう。


 ……って、何故か絶句顔している兄上の発言内容がおかしい。


「いえ、恐縮ながらまだ【技】の修業には至っておりません。それに魔力が無いので、自分が縮地を使える事など無いかと……!」


「馬鹿言え! 今のが縮地でなくて何だというのだ! 俺でさえ風魔術で疑似的に発動できるだけだというのに……!」


「兄上、何を仰っているのです?」


「……いや。俺が冷静さを欠いていた。確かに貴様が縮地の領域に到達する事は無い、はずだ……。ならば今度はこちらから行くぞ」


 兄上が立てた人差し指の先端に赤い魔法陣が浮かび上がる。そこから太陽をミニチュアにしたような紅の球体が次々と飛び出してきた。


「兄上、これは初級火魔術ファイヤボール……いや、上級の太陽魔術アグニボール……!」


「本気ではないから蒸発はせん。精々全身火傷程度だ。あとでハイポーションで癒してやる」


 とても魔力ゼロの一般人に向けていい魔術ではない。と言う暇もなく、凝縮された灼熱が四方八方から跳んできた。


 ただ無秩序に放っている訳ではない。見事に俺の逃げ場を塞いだ配置をしている。


 同じ人間とは思えない。俺が千人いても兄上には届かない。


 やはり兄上には勝てない。魔術師には勝てない。オットー家には勝てない。


 ……努力は、才能には勝てない。


 『すべては才能と遺伝と環境で決まる』。


 全世界共通で、人間とはそういうものなのである。


「――ベスティ。貴様がやり遂げた五年間の修行とやらは、やはり無駄だったようだな」


 焔の向こうで兄上がとっていたのは、決して嘲笑の表情ではない。いつも俺を教えてくれていた時のような、厳しくも優しい兄上の面持ちだった。


「否定したくば、その馬鹿みたいに鍛えた体で足掻いて見せろ!!」


「……!!」


 才能を否定しようと思って始めた修行じゃない。兄上に勝とうなんて最初から思っちゃいない。


 でも足掻くと決めたからこその修行だ。何もしないまま畳で死ぬのは、嫌だ!!


 だから燃え尽きようとも骨になるまで、抗え!!


「うおおおおおおおおおおお!!」


 真正面から来ていた太陽魔術アグニボール目掛けて突き進む。そして魔鋼岩ヒヒイロカネに毎日1000回やっていたように、全身の筋肉全てを使い右正拳を迷いなく打ち込んだ。


 灼熱の紅へ俺の手が入りこむ。痛い。熱い――だが魔鋼岩ヒヒイロカネに砕かれた時程じゃない。


 右手をさらに前へ伸ばす。拳を熱く握り締める。


 そして、全身全霊の拳は太陽魔術アグニボールを貫通した――その途端、灼熱は消え去った。


「消えた……!」


 いや、兄上が全力を出したらこんな右手は蒸発していたに違いないだろうけど。きっと俺の右手を燃やし切る前に、魔術を構成する魔力に物理的な衝撃が加わったために消滅した……いや、今はそれどころじゃない。


 兄上の覚悟を振り払ったのだ。ちゃんと勝負しなければ失礼だ。


 故にまた俺は全力疾走で、兄上の下まで駆け抜ける。


「やはり、貴様はそれ程の領域にまで……!」


 驚愕の中に、若干歓喜が入り混じっていたように見えた。その兄上の顔をいつまでも見ていたかった。


 だがふと、『流れ』が起きている事が分かった。ひたすら瞑想している時に強いエネルギー体の魔物が忍び寄ってきたときに感じた、悪寒。


 直感する。これは魔力の流れだ。


 兄上は魔術を発動している……!!


「うわああああっ!!」


 咄嗟に両腕を盾にするのが精一杯だった。突如超濃度の空気で命一杯殴りつけられ、一気に視界がぐるぐると回り始めた。背中に強い衝撃が走り、それが兄上から何十メートルも離れた木に衝突したためと理解した時には、兄上の前で異様に木の葉が渦巻いているのが見えた。


 だが台風の目中心に佇む兄上に、いつもの余裕差は感じられない。


「何故分かったベスティ……不可視性の空間炸裂魔術シルフボムを防御されたのは初めてだよ」


「な、何となくです。しかしこうして吹き飛ばされてしまいましたね……」


 これも【禅】の修行のお陰だろうか。そういえば【技】の欄に魔術を先読みする技術があったが、禅の修行と紐づいていたのだろう。


 兄上との時間はやはり楽しい。こうして惨敗の身なのに、沢山学ぶことがある。


「流石兄上、全く及ぶ気配がありません」


「いや、この勝負は俺の負けだ」


「えっ?」


 胸元部分を示しながら兄上が続ける。


空間炸裂魔術シルフボムを当てる前に、ほんの僅かだが俺の服に触れたな」


「いや、そんな事はありません! まったく届いていませんでした!」


「兄の決定に逆らうのか? 無能のくせに」


「いえっ! 申し訳ございません! 兄上の負けですっ!」


「ちょっと待て! そんなにストレートに俺の負けと言わなくてもいいだろう!?」


「えぇ……」


 偶にこの人は面倒くさい。まあそこも良い。しかし確かに触れてない筈なんだけどなぁ……。


 とはいえこうして勝ちを譲ってくれる優しさも、五年前と変わらない。

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