ツボの中から異世界 ~A step towards a new world~

みたよーき

1.

 とても狭く何も見えない闇の中でただ独り、膝を抱え、身を小さくすくめている。いつか、今にでも、その闇の内から現れて襲い来る、得体の知れない“何か”。その恐怖から我が身を守るように、ただじっと、身動きがとれずに――。


 それは、万友莉まゆりが引きこもるようになってから、彼女の心の内で行き場無くただわだかまるばかりの、自身にもそれが明確ではない種々の感情に雁字搦めにされた己を投影した心象風景のようなもの――のはずだった。


 だが今、それは“現実”だった。


 ぼんやりと目覚めを知覚した万友莉は、無意識に感じていた窮屈さから逃れるべく身体を伸ばそうとした。しかし、つま先が、背中が、硬い何かに阻まれ、万友莉の動きは阻害された。

 えっ……? という戸惑いは一瞬。普段の目覚めとは全く違う、今、自分の置かれている状況の異質さに、万友莉は驚くよりもまず恐怖に襲われた。その恐怖は、万友莉のぼんやりしていた意識に混乱を呼び込む一方、明晰な覚醒へと急速に促しもして、パニックのままに暴れ出そうとしていた万友莉の身体はすんでのところで理性によって押しとどめられた。

 今、自分の身に、何が起きているのだろう……? まずはそれを確かめなければならない、そう自らに言い聞かせながら万友莉は、自分が膝を抱えて座っている状況であることを認識し、その体勢のまま何かの中に閉じ込められているようだ、と感じた。背中に当たる感触から、壁になっている部分は湾曲していると判る。腕だけをそっと動かして、膝を抱え込んでいた手のひらを外に向けて少しずつ動かすと、すぐに自分を閉じ込めている何かに触れた。少しざらついた感触が指先に返ってくる。

 触ってみた感じ、周囲を囲う何か、その側面は円形、あるいは楕円形。そして、縦方向は胴体部に比べると足下が窮屈になるため、綺麗な円柱状ではなく、足下のほうがすぼむ形だと判る。ただ、球状というにはほど遠い。頭上には少しスペースがあるようで顔を上に向けることはできたが、全く光の無い状況ではそのスペースがどれほどのものかは測れない。ラグビーボールを縦に置き、その上下を水平に切り取ったような形だろうか、と万友莉は推測した。

 材質は、木や金属ではないようだ。石やコンクリート、あるいは陶器のようなものだろうか……? 万友莉が、感じたその疑問を確かめるべく、軽く叩いてみようと拳を軽く握ったところで、外から聞こえてきた大きな音によってその行動は中断させられた。

「ワッッ?! ワトイズディス!?」

 怒気をはらんだその男性の声音に、万友莉の身体は反射的に萎縮しその動きを止めたが、頭脳はそれが、“クセ”こそあるが確かに英語である、ということを認識した。

「これは何だと聞いている!」

「……これは、大きな……ツボ、だと思われます、陛下」

 言葉を英語だと認識すると、万友莉にはそれらの言葉の意味が不思議とすんなりと理解できて、今使われた『クロック』という単語が『ジャー』や『ポット』よりも大きなそれを指すものだ、ということも誤解無く理解された。

「そうだ! ツボだ! 私にもそう見える! だが……これが『神器セイクリッド・トレジャ』だとでもいうのか!? これで……どうやってダンジョンの魔物モンスタを倒すというのだ! そもそも、これの『使い手マスタ』はどこだ!」

 その怒れる声のすぐ後、ツボと呼ばれた、万友莉を閉じ込める何かが、揺さぶられた。

「何かが入っている手応えがあります。陛下、もしや使い手はこの中にいるのではないでしょうか?」

「そう思うならすぐに呼びかけてみろ!」

 そのやりとりに次いで、万友莉を閉じ込める何かが、コンコン、とノックされる。

「……こんにちは、あなたはそこにいますか? いるなら怖がらずどうか聞いてください。我々はクェズラントという国の、立場あるものです。我々はあなたに危害を加えるつもりはありません。どうか、そこから出てきては頂けないでしょうか」

 男の声音には相手を気遣うような雰囲気があって、その言葉は英語ではあるが万友莉には敬語で話しかけられているように感じられた。だが、それでも、このわけの分からない状況が生んだ不安や困惑や恐怖といった感情たちが、万友莉に返事を、身動きすら、許さなかった。

「……返事はありません。使用する言語が違っても、神器の使い手は言葉を感覚的に理解するといわれているのですが……。意識が無いのか、そもそも中に入っているのが人ではないのか……」

「ならば! 無理矢理にでもその蓋を開けてみろ!」

 話の流れから、万友莉は自分が今、彼らがツボと呼んだものの中にいて、そこから引きずり出されようとしていると理解した。

 ――お願い、開かないで!

 何がどうなって、こんなことになっているのか判らない。だが現状、ヒズ・マジェスティなどと呼ばれている男が、なぜかひどく怒っている。そんな、腹を立てた権力者の前に自分が突き出されるという状況に、万友莉は悪い想像しかできず恐怖した。だから万友莉は自然、そう強く願った。

 身体を強ばらせた万友莉の頭上で音がする。初めは小さな音だったが、次第に叩くような音に変わり、しかもそれがだんだん強くなっていく。

 だが、万友莉の願いが通じたのか、最後に「ガァン!」と苛立ちをぶつけるように大きな音がすると、それきり音は止んだ。

「……陛下、開けることも、割ることも、不可能です」

「見ていれば分かる! ……なあ、一体これは何なのだ? 我が国にも、ついに神器が降臨すると、大いなる喜びと期待の中でその日を迎えてみれば! ……ツボだと!! しかも! 使い手はいない! いたとして、そのツボの中に閉じ込められているだと!? こんなものがどうしてダンジョンを攻略などできるのだ! こんなもの……文字通りの『役立たずcrock』ではないか!」

 耳にそんな声が届いて、万友莉はスラングを正しく認識している自分を不思議に思うと同時、疑問を抱く。

 確かに、物心つくかも怪しい幼年期から約五年ほど、英会話教室に通わされていたせいか、英語の授業でヒアリングは比較的得意としていた。それは親に感謝してもいいと思えることの一つではあったが、かといって、自分にそんな英語的語彙力まで備わっていただろうか、そんな疑問だ。

 そこで万友莉はようやく、これは夢かもしれない、という可能性を思いついた。だが、そうであればいい、という思いとは裏腹に、身体感覚がその思いつきを否定していて、その心身の一致しない感覚に、万友莉の内にはただ焦燥感ばかりが募ってゆく。

 一体外で何が起きているの!? ――じれったさに、万友莉が強くそう思った次の瞬間、不思議なことが起こった。ただ暗闇ばかりを映していた万友莉の視界が、周囲の景色を捉えたのだ。

 なぜ急に? どうやって? そういった疑問が万友莉の脳裡に浮かぶ。そして、見つかってしまう、そう思って、恐怖と緊張に体を強ばらせた。

 だが、周囲に見える人影が、特別こちらに注目するような様子は、無い。外からの見た目には変化が無い、喩えるならマジックミラーのような状況だろうか? そう考えても、それが突然切り替わった原因は万友莉には思いつかない。だが、万友莉にとって今重要なのは、外の様子が見える、と言う事実だった。だから、周りがこちらを気にしないうちに、まずはできるだけ周囲を詳しく観察しよう、と万友莉は周囲に目を配った。

 正面に柱が並んでいるのが見えた。ギリシアの神殿に見たような柱だった。ただ、柱どうしの間は空間ではなく、どこにも継ぎ目の見えない平坦な白い壁が塞いでいる。足下には複雑な紋様が弧の内に描かれているのが見えた。視界が開けても万友莉の身体は狭い場所に囚われているのに変わりはなく、真後ろを振り向くことまでは困難だが、見える範囲の情報から、今自分は弧が作る円のほぼ中心にいるのだろう、と万友莉は推測した。

 すぐ右側には人の足が見えた。黒いスーツに身を包んだ、体格からして男の足だ。思わずそのまま見上げるが、その男の背が高く、また、背筋をピンと伸ばしているせいもあってか、上下がスーツ姿であることが知れたばかりで、その容姿や表情までは窺えない。

 そのまま視線を下ろすと、男の足の向こう側に、整列する人影が見えた。それらはファンタジィ作品で見る甲冑のようなものを身につけていて、手前の男の現代的な姿とのギャップに、万友莉の脳はわずかな時間、思考を忘れた。

「なあ、ネイサン。私を愚かな王と思うか?」

「いいえ。我が国がダンジョンの恩恵ばかりに頼ることなく他国に負けぬ国力を維持しているのは、王の采配あってこそかと」

 万友莉の左手側少し離れた位置に立つ王と呼ばれた男は、スーツ姿の上にフィクションめいた豪奢なガウンを羽織っていて、万友莉はコスプレ会場にでも放り込まれたような気持ちになる。

 万友莉は、そんな風に周囲を窺いながら、やはり、そこにいる誰もがこちらに注目していないことに気付く。ならばやはり、外からはこの、彼らがツボと呼んだものの見た目には変化がないということだろう。だとしたら、今、どうやって外の様子を見ているのだろう? 改めて浮かぶそんな疑問に、万友莉はいよいよ『魔法』、そして『異世界』という、自分でも馬鹿げていると思うような可能性を思いつく。

 王や、居並ぶ鎧姿の人たち、彼らの装いはちぐはぐで、だが、彼らの様子に演技めいた感じも見いだせない。さらに、突然に外の様子を見ることができるようになったり、そもそも自分が何かに閉じ込められて、そんな人たちに囲まれている。とても理解しがたい現状に、頭では現実感を認められない。一方で、身体感覚は相変わらずこれが紛れもない現実であると感じていて、そんな“現実感のない現実”とでもいう状況が、突飛な思いつきを生んだのではないか、万友莉はそう思うことで自分の思いつきを否定しようとした。

 だが、万友莉にはその突拍子もないはずの思いつきは、どうしてか現状を説明するのに一番相応しいものに感じられ、馬鹿馬鹿しいと切り捨てることができなかった。

「ならばなぜこのような仕打ちがッ!!」

 その、王と呼ばれた男の咆哮めいた怒声に、万友莉の身体はびくりと強ばり、思考を中断させられた。

「…………いや、腹を立てたとて現実は変わらぬ……」

 男は一つ深い呼吸をすると、すぐに落ち着いた様子でそう呟き、万友莉の方を――正確には眼前のツボを――見据え、思案する様子を見せる。それが万友莉には、まるで自分が今から判決を告げられる被告人にでもされたように思われた。

 そして、その万友莉の感じ方はあながち的外れではなかった。男はわずかな思案の末、口を開くなり言った。

「このツボを、『奈落アビス』へと投じる」

 万友莉にその詳細は知れないが、言葉の響きから、それが決して良いものではないことは感じられた。

 実際、万友莉以外の者たちも王の決断に戸惑うような雰囲気があった。その中、ネイサンと呼ばれた男がおずおずと口を開く。

「……恐れながら、陛下、あの“穴”はダンジョンのどれだけ深くへ通じているか、未だ判明しておりません。そのご決断はいささか早計では……」

「だがネイサン、神器とはそこにあるだけで周囲に恩恵をもたらすものではあるまい。他国やエクスプローラズ・ユニオンの研究によれば、ダンジョンの魔物が神器によって倒されることで、そのダンジョン周辺に恵みをもたらすという。つまり、神器とは使われて初めて、我々に恩恵をもたらすものだ。だが、その神器は我々には扱えず、唯一扱える存在である使い手は、元よりいないのか、そこから出られぬのか、出てこぬのか……どんな理由であれ、いない。神器が初めて現れてからの百年以上もの間、他国やユニオンが研究を重ねてようやくそれだけの事が知れたものを、今更我々がマスタの協力無しに研究したところで新たに解明できることも無いだろう。ユニオンらの発表を信じるならば、そして、“これ”が本当に神器だというのならば、ダンジョンの中こそが“これ”のあるべき場所だ。しかし、今の我が国のダンジョン攻略進度ではたった三十階層までがせいぜいだ。ならば、未だ誰も到達できぬダンジョン深くまで通じるはずのあの“穴”に落としてしまう方が無駄な犠牲も生まず、効率的であろう?」

「ですが……」

「懸念は解る。数年前に初めて、神器を持たぬマスタのみが召喚されたことがあったというが、これもそのように過去に前例の無い例なのかも知れぬし、そうであれば回収できぬ深層へ投じてしまうことは軽率やも知れぬとな。だが、お前が先ほど言ったではないか。我が国はダンジョンに頼りきらずとも他国に負けぬだけの国力を有するのだと。仮に、その神器が見た目からは想像できないような力を有していて、我々がそこから多大な恩恵を得られるのだとしても、得体の知れないままの力に頼りきることは、いずれ国力の衰退を招きかねん。そして、できる見通しの無いその力の解明に労力を割いて、今、効率的に回っている国の運営を崩すわけにもいかぬ。私とて国を、国民を、富ませたい思いはある。だが、私にはまず今の国民の生活を守る義務があるのだ」

「……おっしゃることは、解ります。しかし……」

「懸念はまだある。『フリーウィル』を名乗る反抗者どもだ。神器が現れる予兆はできる限り隠してきたが、既に噂は広まりつつあるのだろう? 神器が手の届く場所にあるとなれば、ヤツらに要らぬ野心を抱かせかねん。神器が使い物にならぬと知ればそれを大義名分にして、やはり愚かな行動を起こすやも知れん。国を救うはずの神器が国を乱すなど、絶対にあってはならんことなのだ」

「……確かに。私の浅慮でありました」

 このネイサンと呼ばれた男は、王の言葉に完全に納得したわけではない。だが、この神器が目の届く場所にあることが、反乱分子に限らず、王の精神にとっても悪影響しかないのだ、ということを理解して、そう答えた。――と、万友莉にはどうしてかそのように感じられた。なぜ僅かな言葉からそんな彼の心理を感じたのかは解らないが、それが万友莉の勝手な想像ではないという、感触のようなものがあった。

「よい。理解したならば疾く差配せよ、ネイサン」

「ハッ! ……近衛兵たちよ、ここへ!」

 ネイサンの号令に、全体的に白みがかった、何らかの金属製と思われる甲冑に身を包んだ者たちが集まってくる。全部で九人のようだ。その内の中央に立つ一人は鎧や兜に施された意匠が他と少し違って、彼が隊長だろうか、と万友莉は思う。間近で見ると、彼らは皆、大柄と見えたネイサンよりもさらに体格が良く、万友莉はその威圧感が漠然とした恐怖として自分の背中を冷たく這うような感覚を覚えた。

 彼らは簡潔に打ち合わせると、まずは二人でツボを抱え上げようとする。ちょうど万友莉の正面に一人が屈み込み、兜に隠れていた顔つきが見えた。やはり英語を喋るだけあって、その顔立ちは外人的だと万友莉には見えた。

 そんな風に万友莉が凝視するように観察していても、男としっかり目が合うことは無かった。やはり外からはこちらが見えていないようだ、とは思いつつも、そんな不思議な状況を信じられない気持ちもあって、万友莉の身体は不安と恐怖に強ばったままでいた。

「重いな……。四人で抱えよう」

 ツボが、ね! 重いのは! ――正面の男が口にした言葉に、万友莉は心の中で即座に反論する。

 引きこもるようになってしばらくしてから始めた一日おきの筋トレは、半年以上ほぼ休まず続けていた。体重が三キロ以上も増えたのは、筋肉が付いたからであって、太ったわけでは断じてない! ――と万友莉は誰にともなく言い訳をする。もちろん、心の中だけで。

 衝動的に腹を立てたが、そんな下らない怒りでも、わずかながらではあるが恐怖を和らげてくれて、万友莉は少し冷静になれた。

 王が言う『奈落』とは、ダンジョンとやらの深くまで通じる穴らしい。そこへ、このままではこの、彼らが『ツボ』と呼ぶ容れ物ごと落とされてしまう。今からでもここから出て対話を試みるべきだろうか? しかし、大の大人が力尽くで開けることのできなかったものを、内側から開けられるのだろうか。だが、彼らの望みはこの『神器』とやらでダンジョンの化物を倒すことで“恵み”を得ることらしい。だけど、そんなことが自分にできるとは思えない。できないとなれば、彼らがどういう行動に出るのか――。

 万友莉がそこまで考えたところで、“ツボ”を抱え上げた兵士たちが動き出したのに気付き、万友莉は意識を外へ向けた。

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