第2話 夢が織りなす現実のドラマ

マスターが語る「夢」は、僕が想像していたような漠然としたものではなかった。


それは、人々の願望や希望、そして時に後悔が形になった、具体的な「欠片」だった。


マスターは、それぞれの欠片を丁寧に仕分けし、必要としている人々に届けているのだという。


しかし、彼の仕事はただ一方的に夢を届けるだけではなかった。それは、夢の欠片を通じて、人々と現実が複雑に絡み合う、繊細な作業だった。




ある夜、一人の老人が店にやってきた。

彼は、手元に届いたばかりの小説を懐かしむように眺めていた。それは装丁も古く、すでに古書店の棚に並んでいるような代物だった。


「マスター、これ。昔、私が諦めた物語だよ」


老人の言葉に、僕は驚きを隠せない。その小説は、僕が大学生の頃に夢中になって読み漁った、伝説のミステリー作家の処女作だったのだ。


マスターは静かに頷く。


「それは、誰かの『小説家になる夢』の欠片です。その欠片が、完成した物語という形で、今、あなたの元へ返ってきたのですよ」


老人は嬉しそうに涙を流しながら、マスターに感謝を述べた。


「この物語、続きを書いてもいいかな?」


マスターは優しい笑顔で、「もちろん」と答えた。老人の瞳には、諦めていた夢が再び蘇ったかのような、若い頃の輝きが戻っていた。



老人が帰った後、僕はマスターに尋ねた。


「マスターは、なぜそんなことを? 誰かの夢を完成させてしまうなんて、それはマスターの仕事じゃないのでは?」


マスターは静かにコーヒーを淹れながら、僕に語り始めた。


「夢は、ただ見るだけのものではありません。それは、現実を動かす力を持つんです。諦めた夢でも、誰かの役に立てることがある。諦めてしまったからこそ、他の誰かの希望になることもあるのです。逆に、誰かの夢の欠片が、誰かの新しい夢を育てることもある」


彼は一呼吸置くと、続けた。


「たとえば、あの小説家の『小説家になる夢』は、完成という形で彼のもとに戻った。それは、彼がかつて夢を追いかけた熱意を、誰かの心に届け、新しい物語を生み出す原動力となる。夢は、絶えず形を変え、人々の間を巡っている。私は、その循環を少しだけ手伝っているにすぎません」


マスターの言葉は、僕の胸に深く響いた。


僕自身も、かつては「偉大な物語を書きたい」という壮大な夢を抱いていたが、いつしか目の前の締め切りに追われる日々を送っていた。書くことは好きだった。しかし、いつしか文字を紡ぐことは、義務になり、情熱は薄れていった。


僕が書けなくなったのは、いつからだろうか。情熱を失ったのは、いつからだろうか。


マスターは、そんな僕の心を見透かしたように、一つの瓶を僕の前に置いた。


「これは、あなた自身の夢の欠片です」


瓶の中には、まるで星屑のようにキラキラと輝く光が閉じ込められていた。


それは、僕が最初に小説を書いた時に抱いていた、純粋な喜びと探求心そのものだった。


僕が初めて書いた短編小説の結末を思いついた瞬間の、あの胸の高鳴り。世界が自分だけの物語で満たされていくような、あの全能感。その光の粒は、まぎれもなくあの頃の僕自身だった。


「あなたの夢は、今でもここにあります。ただ、少しだけ疲れて、眠っていただけです」


僕はその光の粒をじっと見つめた。


そして、僕はその夜、久しぶりに夢を見た。それは、まだ見ぬ物語の続きを、一心不乱に書いている僕自身の夢だった。


ページをめくるたびに、新しい登場人物が生まれ、物語が動き出す。


僕は、その夢の中で、失われたはずの情熱と再会したのだった。

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