吸血王子 と 吸血事務員 が 土食・オブ・ザ・デッドの世界を旅するはなし

沼崎ヌマヲ

第1話 うっ血女子と血色わるい王子

「ええェー……ここだったの!?」


 チホは目の前の風景と、はがきに載っている地図を見比べた。


 見覚えのある街だった。


 頭上にそびえている高層ビルは、確か以前の職場が入っていた建物だ。

 ここの二十九階で約9カ月間、時給1680円で事務処理の仕事をしていたのである。


 日本吸血者協会のアウトソーシング事業部から紹介された、社会へ出て初めて働いた会社だったのだが、地図にある協会本部は職場から何と目と鼻の先にあったことになる。


 まったく気がつかなかった。


 職場だったオフィスビルはこのあたりでは一番高い建物だった。

 二十九階からの眺めは素晴らしかったが、仕事は結構きつかった。

 パソコンも今ほどは使えず、慣れない事務処理に四苦八苦していた記憶がある。


 チホはなつかしく思いながらも、そそくさと高層ビルの前を通りすぎた。

 務めていたのは四年前だからまだ中に知り合いがいるに違いない。

 今日は他人には知られたくない用事で来たのだ。


 学校と神社仏閣が多い街だった。

 近くにレンガ塀で囲われた桜とモミジがきれいな庭園もあったが、入園料を取られるので入ったことはない。


 しかし、こんなところに協会の建物なんてあっただろうか。


 いぶかりながら進んでいくと、人々のざわめきが聞こえてきた。


 黒い建物の前で旗やプラカードを持った四、五十人の集団が声を上げている。


 まさか、あれが日本吸血者協会────ではなかった。


 地図では、その黒い建物のちょうど真裏に印がつけられていた。


日本仁術会にほんじんじゅつかいは、SES情報を、隠すなァー!!」

「隠すなァー!!!!」


 五階建てのビルは〈日本仁術会館にほんじんじゅつかいかん〉だった。

 全国の医師、開業医の総本山にしては控え目な高さだが、黒い御影石みかげいしがふんだんに使用されているところを見ると無駄に金がかかっていることは明らかだ。


「日本仁術会は、SES患者を、もっと入院させろォー!!」

「もっと入院させろォー!!!!」


 拡声器で叫ぶリーダーの声につづいて全員が声を合わせ、拳を振り上げている。


 デモ隊にはSES患者も混じっていた。

 数台の車椅子に患者たちが、それぞれベルトで体を固定されている。

 患者たちも怒りで興奮しているのか、椅子が激しく揺れていた。


 デモ隊が掲げるプラカードには「SES」の文字が躍っている。


 Soil eating syndrome

 ソイル・イーティング・シンドローム

 土食症候群


 俗に言う「」だ。


 食文化の一種として土を食べる土食(earth eating)とは異なる、これはれっきとした病である。


「日本仁術会は、SES新薬の、実験を認めろォー!!」

「実験を認めろォー!!!!」


 歩道には抗議団体のテントが張られ、パイプ椅子と長いテーブル、募金箱、お菓子や飲み物も用意されている。

 長期戦の構えである。


 他人事ひとごとではなかった。

 チホの父親もSESをわずらっている。

 去年見舞いに行った時はもうかなり病状が進んでいて会話も無理だった。

 病院を追い出されて、母親が自宅看護している。

 本当なら自分も、ここに混じって声を上げなければならないのかもしれない。


 だが今日はもう一つの家族の件で、千葉から東京までやって来たのだ。


 チホは歩道を占拠してスローガンを唱えているデモ隊のうしろを頭を下げて小走りに通りすぎた。


「日本仁術会は、SES患者を、見て見ぬふりをするなァー!!」

「見て見ぬふりをするなァー!!!!」





 チホはようやく日本仁術会の裏へ回り込んだ。


 チホの背丈の二倍はありそうな高い鉄格子の向こうに樹木が厚く茂っている。

 奥に田舎の中学校のような二階建ての木造建築が見えた。

 コンクリートの打ちっぱなしで窓のない博物館か美術館のような建物も見え隠れしている。


 ひび割れた門の表札には〈国際タイドウォーター協会本部・潮流研究所〉の文字。


 チホはインターフォンのスイッチを押した。


「はい」

 低く柔らかい男の声がした。

「ええと、イトマキの件で参りました」

「合言葉は?」

「ええと、英語ですよね、あ……ライフ・イズ・ロングバケーション、です」

「どうぞお入りください」


 ロックが解除される音がした。


 風雨にさらされ塗装がぼろぼろにがれた鉄の扉を、チホは押し開ける。

 鉄と鉄がこすれ合い背筋にゾクッと来る嫌な音色が響き渡った。





 二時間後────


 本日のデモ活動を終え、残った数名がお茶を飲みながら談笑しているテントのうしろを通ってチホが戻ってきた。


 日本吸血者協会で見聞きした「イトマキ症候群」についての情報を反芻はんすうしながら歩いているうちに、チホの足は駅とは反対方向へ向かっていった。


 はっと気づいて、あたりを見回すと、庭園の赤いレンガ塀沿いの道を歩いていた。


 一辺が300メートルはある四角形の庭園の周りを、チホは気づかないまま半周したことになる。


 不意に視線を感じた。


 道端に地蔵が立っていた。


 よく見ると、地蔵ではなくアンパンマンのブロンズ像だ。


 ブロンズ像のうしろの建物が、どうやらアンパンマンの版元の出版社のようだ。


「おい、あんた」


 子供の声がした。


「あんただよ」


 チホが振り向くと、レンガ塀の中に少年の顔が埋まっていた。


(えぇぇぇ!?)

 目をぱちぱちさせて、もう一度見た。


 よく見ると、レンガ塀に白人の少年が寄りかかっていた。


 臙脂えんじ色の学生服がレンガと溶け合って見えたのだ。


 少年が動き出した。


 学帽を目深に被った少年の肌は、白い貝殻をけずってみがいた装飾品のように輝いていた。


 そのあおい目も、あとからめ込んだ宝石みたいに綺羅綺羅きらきらしている。


 かなり完成度の高いエリート幼年学校生のコスプレである。


 チホは思った。

 この子、知ってる。


 自分はこの彫像ちょうぞうみたいな少年に会ったことがある。


「何だ?」

 少年が言った。

「ガイジンがそんなに珍しいか?」


「プリン君……プリン君だよね?」


 少年が歩みを止めた。


「おれを知っているのか? おまえ、何者だ?」

「チホだよ。チホ。覚えてないか。河口湖だっけ? 山中湖かな? 一緒にスワンボート漕いだじゃない」

「知らない。おまえなど知らない」

「ほらキャンプだよ、サマーキャンプ。行ったじゃん。YMCAの英語教室の」


 チホが小学五年生の時だ。

 夏休み、通っていた英語教室主催のキャンプに行ったのだ。

 参加した生徒は全部で五十人、大学生のボランティアスタッフが二十人。

 富士五湖の一つ、河口湖の湖畔で二泊三日の楽しいキャンプだった。


 参加した生徒の中に一人、金髪の男の子がいた。

 プリン少年。

 プリン君。

 英国人と日本人のハーフだった。


 今、目の前にいる、この少年だ。


「思い出したくもない。ひどいキャンプだった。目がトロンとした三流私立大学のボランティアどもが、おれの髪や手や体中で回しやがって気持ち悪いことこの上なかった」


 ボーイソプラノの声で憤慨ふんがいするプリン少年。


「それって、男のボランティア?」

「男も女もだ。どいつもこいつもおれを珍獣扱いしやがって」


 少年は碧い瞳をチホから外して、忌々いまいましげに「ふん」と鼻を鳴らした。


 チホが覚えているプリン少年は素直で明るい聖歌隊みたいなハーフの男の子だった。

 十二年もたつと人は変わってしまうのか。

 身長も体重もあまり変わっていないように見える。

 人形作家が組み立てたような細い手足も金色のくせっ毛も、当時のままだった。


「ね、ちょっと」

 チホは周囲を見回してから小声で言った。

「プリン君も吸血者なの?」


「今のおれはプリンじゃない。おれの名は、世良彌堂せらみどう。世良・彌堂・ランプリングは人間時代の名前だ」


 彌堂がチホを見上げ、二つの輝くサファイアでにらんできた。


「今度、プリンと呼んだら、おまえをみ殺す」


「咬み殺す?」

 チホは内心苦笑しながら承諾しょうだくした。

「こわ―い。じゃあ、彌堂君で」


「そんなことより、おまえ、さっき日本仁術会の裏から出てきたな」

「出てきたけど」

「あそこで何を聞いてきた? 包み隠さずおれに話すんだ」


 国際タイドウォーター協会と潮流研究所は、地球規模の海流や潮流の変化を研究したり、普段は見過ごされがちな地球環境における海流や潮流の大切さを啓蒙けいもうする活動を行っている。


「わたし、国際タイドウォーター協会の会員なんだ」

「おまえ、不思議な吸血鬼ちゃんか? それで見事誤魔化ごまかせたつもりか? おれを子供扱いして遊んでいるな? どれでも咬み殺す!」

「わかった、わかった。ここじゃなんだから、どこか入ろう。のどが渇いたし」

「喫茶か。おごってもらって悪いが、おれは清水と鮮血しか飲まない。南の国の情熱のアロマだけつき合ってやる」


 二人は駅のほうへ歩き出した。


「そうか。おまえはおれを知っている……」


 世良彌堂からねずみの鳴き声のような舌打ちがれた。


「知ってるけど、それが何か?」

「今おまえの運命が決まったよ。やはりおまえにはいつか死んでもらわねばならない」


「どうだろう。たぶん死なないと思うよ」


 チホは自分の肩の高さから睨んでくる碧い瞳を睨み返した。


「わたしたち不死身ふじみの吸血者じゃん。悪いけど」



(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る