第8話 五響繋情(3)

 サンドラが帰った後、部屋には重い沈黙が残った。


 アルがチラリと横目でシグマの顔を盗み見た。

 彼はまだ、何が起こったのかを掴み切れていないように、呆然としたまま立ち尽くしていた。


 ファイがシグマの肩を軽く押し、ソファまで案内した。

 いつもなら、シグマの横に座るアルが、彼の前に座り話を始めた。


「さて、どこから話せばよいやら」


 そう言ったアルに、タウが付け加えた。


「夜泣きしてたところ?」


 その言葉にシグマが即座に反論した。


「してねぇって言ってんだろ!」


「してたんだよ」


 隣に座ったファイがタウの言葉を肯定した。


 思わず振り返るシグマに、ファイは軽く笑顔で返した。


「ここに来た時、お前まだ12だったろう」


 アルが静かに話し始めた。


「寺が火事で焼けて、施設は壊滅状態。師父の行方もわからないまま、俺たちはここに来た」


 シグマはその話に、寺が火事で燃えた夜の、赤く燃え上がる炎を思い出した。

 背中の熱い痛みは、今も彼の感覚に刻まれていた。


 少し青ざめたシグマの手をファイがそっと握った。


「お前、夜中にうなされてた。泣いてるときもあったよ」


 その様子を見ながら、アルが慎重に言葉を選びながら話しかけた。


「毎日元気に振る舞ってたから、俺たちなんにもいわなかったけど」


 初耳だった。シグマは自覚がなかったため、その話に唖然としていた。


「九月に学園に編入して、そのまま部屋替えだと、皆バラバラの部屋に行くことになるから」


 不意に肩越しにローの声が掛かった。


「お前をひとりにするのが心配だった」


 彼はそう言って、シグマの前に、淹れたばかりの温かいココアを置いた。


 甘い匂いが鼻につき、思わずシグマが振り返った。


 ローが皆にココアを配ってまわっていた。

 それをにこやかに受け取っていたタウが笑いかけた。


「だから俺たち、学園に掛け合ったんだ」


 隣に座るファイが穏やかに話しかけた。


 そして、

 アルは相変わらずの優しい目で、シグマに告げた。


「俺たち五人、一緒にいさせてくださいってね」


 そこまで言うと、タウがココアを一口飲み、話に入ってきた。


「そしたら、生徒会の奴らが散々条件つけて来たんだぜ」


 そう言ってファイとは逆方向のシグマの隣に座った。

 ファイもその様子を見ながら話を続けた。


「期間は上級に上がるまでだとか、上がったら“メンターになれ”とか色々言われたよ」


 ファイの話に頷いたあと、タウが背もたれに身を投げて言った。


「生徒会役員になれともいわれたな。念書まで書かせるし、マジあいつら、最低だぜ」


 このとき、サンドラが言った“紙一枚”はその事だったのだとシグマは悟った。


「じゃあ、アルが生徒会に入ったのも、そのせいなのか?」


 シグマは驚きながら尋ねた。


 アルは学園に来て二年目には生徒会役員に任命されていたのだった。


「それが、期間は聞いてなかったんだ」


 どうなんだろうと言いたげに、アルは目だけを天井に向けた。


「当時の説明では、“生徒会は上級生五、六年で運営してる”ってだけだったから」


 アルは肩を竦めてシグマを見た。


「あのときは、“特別待遇”への、生徒会の嫌がらせだと思ったんだけどね」


 ファイが苦笑いを浮かべながら話した。


 抱え込むようにシグマはココアのカップを手にした。

 静かに覗くと、液体は湯気にかすみながら、静かに揺れていた。


 そこへトレーを戻したローがアルの横に座って話しかけた。


「お前が安心して眠れるようになるまで、一緒にいようって皆でいってたんだ」


 ローはそう言って掌を差し出し、シグマにココアを勧めた。


 話に納得したシグマは、もう反対を唱えることなく、ココアをコクンと飲んだ。


 ココアが雨で冷えた体をゆっくりと温めていった。


 その様子を見て、ファイが話を続けた。


「じゃあ、部屋割りを確認しようか」


 ファイはサンドラの持って来た部屋割り表を机の上に広げた。


 皆はそれを覗き込んだ。


 ◇


「で? おたくの坊っちゃんはそれで納得したわけ?」


 サンドラに言われ、アルが苦笑いで答えた。


「まあ、色々あったけど、部屋割にも納得してくれたよ」


「当たり前でしょ。あんたたちには発言権なんてないんだからね」


 ビシッと告げられた言葉は有無を言わせぬ迫力を持っていた。


「生徒会長として、あんたたち五人をまとめる私の気苦労も考えてよね」


 サンドラはそう言って大きなため息をついた。


 アルは新学期から、最上級生として外渉(学園対応)の担当の席に就くことになっていた。


 昨年四年から加わっていた記録係のローは広報(生徒対応)の役職が与えられていた。


 残り三人にも実働部隊として役がそれぞれに与えられていたのだ。


【粛清班】 実働部隊   シグマ  

【監視網】 モニタリング タウ、ファイ


 こうして五人はそれぞれ、後輩のいる寮の部屋へ移り、九月から新たな一歩を踏み出すことになったのだった。


 ◇


 夜、数日続いた雨はようやく止んだ。

 校舎の石畳には、月明かりが薄く差していた。


 窓際からその様子を眺めるシグマにアルが声をかけた。


「来年になったら、俺もここ(寮)を去るんだな」


「わざわざ念を押さなくても、泣きやしねぇよ」


 シグマが振り返ることなく答えた。


「そうか? 俺は泣いて止めてほしい」


 途端、シグマがキッとアルを見た。


 アルの肩が少し緊張した。──が。


「やめた。ガキくせぇ真似はしねぇよ」


 シグマはため息をひとつつくと、再び窓の外を向いた。


 すると、


「寂しいこというなよ、シグマぁ」


 アルが背中から抱きつくと同時に、タウの声が飛んだ。


「お前ら、遊んでないで片付けろよ」


 ローも、部屋の奥から声だけを発した。


「明後日には移動なんだから、荷物まとめて」


 すると、机を拭いていたファイが皆に話しかけながら言った。


「明日一日かけて掃除しないと。次に使う人が大変だからね」


 五人はその夜、部屋での思い出を、それぞれの胸に静かに留めた。


 ◇


 翌朝、片付けをしながらローが言った。


「俺たち役員だし、どうせ生徒会室で会えるさ」


 教科書をまとめる彼に、タウが鼻で笑って返した。


「……あのサンドラの下でか?」


 シグマは、昨日のサンドラの睨みを思い出して小さくぼやいた。


「それさえなけりゃ、生徒会室も“第二の我が家”になるんだろうけどな」


 その言葉に、アルとファイが慰めるように笑いかけた。




 ──その日の朝も、いつも通りの朝だった。





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