第4話 破難五志

第4話 破難五志(1)

 8月。いよいよ、編入試験の日がやって来た。


 広い会場で、アルはひとつ息を吐いた。


 緊張がないわけではなかった。

 見回すと試験会場にはすでに全員が揃っていた。


 アルたちは長い机の左右の端に座り、アルの前の席にはシグマが座っていた。


「編人試験なのに結構人多いんだな」


 少し身をのけ反らせたシグマが、肩越しにそっと声をかけてきた。


 彼の横顔からは落ち着かない目の動きが見てとれた。声は少し震えて聞こえる。


(あれ? 緊張してるのか?)


 日々、強気な発言のシグマらしからぬ様子に、思わず笑いそうになり顔が綻んだ。


 その様子に気づいたシグマの顔が、さらにこわばった。


 プイと前を向き直りながら気遣いを隠すような言葉を告げた。


「気を抜くんじゃないぞ」


 ぶっきらぼうな口ぶりだったが、その一言にはどこか照れくささが混じっていた。


「おう。頑張ろうぜ」


 そう声をかけたものの、アルは肩をすぼめ、思わず小さく笑ってしまった。


 その途端、体の奥からふっと力が抜けていた。


 こんな空気の中で戦えるなら、大丈夫だ。そう感じたとき、


「筆記試験開始5分前です」


 場内アナウンスが流れ、空気がほんの少し張り詰めた。


(やるだけはやったし、これが俺だしな)


 アルはふと視線を窓に向けた。


 広がる空は薄い雲に覆われているが、太陽の光はその隙間からこぼれていた。

 どこか、やさしい陽射しに感じた。


 準備の時間を思い出す。迷いながらも、自分なりに積み上げてきた日々。


 周りには今まで一緒にやって来た仲間が座っていた。


(一人じゃない)


 それだけで勇気を貰えた気がした。


(9月、こいつらとここに座りたいな)


 不意に吸い込んだ空気が、いつもよりもうまく感じられた。


 「試験を始めてください」


 場内放送で合図が出ると、周囲が一斉に鉛筆を走らせはじめた。


 緊張と集中が混じったその音の波に、アルも遅れず飛び込んだ。だが、


(……やっぱ、難しいな……)


 何度読み返しても、解答の糸口がつかめない。


(飛ばすか。正答率だけ稼ごう) 


 焦って全部落とすよりは、できるところを確実に取ろうという作戦だった。


 そうやって目を走らせ、飛ばし飛ばしに進めていった。


 気づけば最後の問題にたどり着いていた。時計を見ると、残り20分。

 意外にも時間はまだあった。


 いったん手を止め、そっと目を閉じて深く息を吸い込んだ。


 その瞬間、胸の中に溜まっていた不安が、少しだけ溶けた気がした。


 目を開けると、視界の中が、少しだけ明るく感じ取れた。


(これからが俺の勝負だ)

 

 再びアルは、飛ばしていた問題に目を戻した。

 先ほどとは違う目線で、落ち着いた気持ちで、問いをひとつひとつ読み始めた。


 静けさの中で、時間は確実に過ぎていった。


 ◇


「はい、そこまでです。筆記用具を置いてください」


 放送が終わると、張りつめていた空気が一気にほどけた。


 アルは背もたれに体全体を預けた。肩の力が抜けていった。


(終わった……)


 ぽつりと心の中で呟き、目の前のシグマを見た。シグマは既に机に突伏していた。


「シグマ、大丈夫か?」


 アルは身を起こし尋ねるが、返事はなかった。

 周りを見回すとタウが放心して、ローは片付けを始めていた。


 シグマの隣に座っていたファイがシグマの方を向き、後ろから見ていたアルと目があった。


「できた?」


 笑いながら話しかけてきたファイに、


「なんとかね」


 と笑い返した。途端、


「……くそッ!」


 掛け声のような声でシグマがムクッと起き上がった。


「まあ、俺もいくつか飛ばしたし。そんなもんだろ」


 励ますつもりで言った言葉だったが、シグマが真に受けて反論してきた。


「そんなんじゃダメって、いつも言ってるだろう?  全部見ろって言ったのに……!」


(だからって全力出して燃え尽きなくても……)


 そうアルは言いたかったが、あえて笑って流した。


「はは。それだけ元気なら問題ないな」


 タウが二人を見て笑った。隣にいたローが声を掛けた。


「次は実技だ。移動しようぜ」


 二人はその声にはっとなり、荷物を鞄に詰め、体育館へと移動した。


 ◇


【実技試験場】


 体育館入り口に1枚の紙が貼ってあるだけの会場に、およそ20人程の生徒が集まっていた。


「全員じゃないんだ」


 タウの声にアルたちも辺りを見回す。


「まあ選択科目だからね」


 一緒にいたローが答えた。


 剣道、空手、柔道、スパーリング、その中で彼らの目を引いたのは障害物競走だった。


 台の上を飛び、身長以上の塀を駆け上がり、一挙に1メートル以上を飛び降りる、曲芸のような速さで駆け抜ける者がいた。


「なに……あれ?」


 驚くシグマに


「パルクールだ。見たことないか?」


 皆の後方からロイが話し掛けてきた。


「あ、ロイ」


 五人が振り返ると、そこに立っていたのは、黒を基調とし左肩には“訓練指導官”を示す赤いアームバンドを施した戦術ユニフォームに身を包んだロイだった。


「お前たちはその格好でいいのか」


 五人は揃って、自分たちの授業用ユニフォームを見下ろした。


 吸汗速乾のTシャツにロングトレーニングパンツ。動きやすいが、ロイの姿と比べると明らかに“訓練着”と“戦う者の服”の違いがあった。


「俺たちはこれでいいけど、ロイも参加するの?」


「一応、教官だしな」


 ロイはわずかに口元を緩めながら答えた。


「まあもう一人参戦する奴がいるけどな」


 そう言って示した先には、くたびれたTシャツに迷彩柄のズボン。

 戦場かと思わせる出で立ちの男の足元は、かろうじてブーツではなくトレーニング用のローカットスニーカーのウォレスだった。


「おい、ロイ! 俺のユニホームはないのか?」


 遠くから呼ぶ声にロイが呆れたように答えた。


「支給されただろう。お前の分は自分で管理してろ」


 答えを聞いたウォレスが「ケッ」と小さく毒ついた。横には明らかに編入生の少年が立っていた。

 その少年を見てアルが呟いた。


「身軽そうだな」


「ウォレス、ヤバくね?」


 シグマもそう言って目を見張る


「セット!」


 掛け声が入った。


「まあ、見てからのお楽しみだな」


 続いて、ホイッスルが鳴った。


 少年は一歩踏み込み、地面を蹴ると高さ1.2メートルの台に身体を引き上げた。バランスを取る間もなく、前方上部から垂れる鉄製のバーに飛びつく。


 瞬間、全体重をバーに預ける。勢いを利用し、スイングジャンプで前方の台へ飛び移った。


(貰った……!)


 少年が内心、確信した時だった。

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