星原の彼方 〜Iter Stellarum〜

@White928

星原の彼方 〜Iter Stellarum〜


 「ようこそ、Caffè Stella di Notteへ あなたが求める世界は?」


 “幸せ”人によって感じ方は異なる。だが、私にとってはまだ、よく分からないものでしかない。私がここへ来た頃、ここには何もなかった。私自身も記憶も無く、不思議な格好をしていた。足首まである真っ白なワンピースに、トゥシューズ。頭にはレースで出来たリボンが私の髪を結っていた。立ち上がりあたりを見渡すと、人も建物も何も無くただ一つのオルゴールが永遠と回っているだけだった。そのオルゴールは、私を不思議な世界へと導いてくれた。真っ白な世界、お菓子の世界、花と緑の世界、宝石の世界、星空の世界と小さなカフェ。今夜はどこの世界から話そうか。


 第一章:真っ白な世界

 第二章:お菓子の世界

 第三章:花と緑の世界

 第四章:宝石の世界

 最終章:星空の世界







 ▷真っ白な世界

 まず、真っ白な世界に行った時の話をしよう。

 オルゴールのメロディーに導かれ、すべてが真っ白で埋め尽くされた世界に足を踏み入れた。そこには色彩という概念が存在しないかのように、光も影も溶け合い、境界が曖昧な景色が広がっていた。笑いもなければ、悲しみもない。そこに住む人々は皆、白い洋服を身にまとい、互いに言葉を交わすこともなく、ただ静かに日々を過ごしている。

 雪は絶え間なく降り続けているが、不思議なことにその雪片に触れても冷たさは感じられない。まるで「冷たさ」という概念さえ、この世界では忘れられてしまったかのようだった。雪は肩に積もることもなく、ただ漂うように空間を漂い、やがて溶けるでもなく消えていく。その静けさのなかで、私は自分の鼓動だけを頼りに歩き続けた。足元には、同じ雪でできているはずなのに、石畳のように硬さを持つ白い地面が広がっていた。そこに刻もうとする足跡は、振り返ればすぐに消えている。まるで私が存在した証を拒むかのように。

 やがて、白の街並みが姿を現した。建物もまた雪でできた彫刻のように均一で、窓も扉もすべて白一色に塗りつぶされている。けれど人々はその中を行き来し、淡々と暮らしていた。扉を開けて出てくる者、無言で広場へ歩いていく者、また家に戻る者。誰ひとり笑わず、泣かず、声を発さない。ただ同じ動作を繰り返し、時間だけがそこに凍りついているかのようだった。

 私は不安を覚えた。ここでは声を上げても誰も振り向かないのではないか。心の奥に小さなさざ波が立ったが、それもまた雪に包まれて、すぐにかき消されてしまう。そんなある日、空気の色がわずかに変わった。どこからともなく、オルゴールの旋律が響きはじめたのだ。それまで単調に繰り返されていた音は、ふとした瞬間に三拍子の柔らかなワルツへと姿を変えた。流れるように優しく、それでいてどこか切なく、胸の奥を震わせるような旋律だった。音は空気そのものに溶け込み、降り続く雪も揺らすかのように世界を包みこんでいく。旋律に呼ばれるように、人々が広場の中心に集まりはじめた。誰も言葉は発しない。ただ互いに視線を交わし、無言のまま手を取り合うと、音楽に合わせて足を運び出す。雪が舞うなか、白い人々が白い地面の上で、ゆっくりと、しかし確かに踊り始めた。その光景はまるで、音のない夢の中で繰り広げられる舞踏会のようだった。雪明かりに照らされた彼らの姿は儚く、現実と幻の境界を見失わせる。

 私は息を呑み、その場に立ち尽くした。けれど旋律は私の胸の奥を強く揺らし、足を前へと踏み出させる。気づけば私は人々の輪の中に引き寄せられていた。白い仮面のような顔のひとりが、すっと私に手を差し伸べる。その指先に触れた瞬間、胸の奥で眠っていた何かが目を覚まそうとした。私はその手を取り、流れるようなステップへと導かれる。踊るたびに、私の心に小さな波が立つ。懐かしいような、悲しいような、けれど決して思い出せない何かが、指先や足先を通して心に触れてくる。誰かの笑顔に、失った時間、そして語られなかった言葉......それらが断片となって蘇りそうになるたび、雪がそれを優しく覆い隠す。私は息苦しさと安らぎのあいだで揺れ動きながら、それでも旋律に身を委ねて踊り続けた。

 どれほど踊ったのだろう。時間はとっくに消え去り、ただ音楽と雪とが私を包み続けていた。周囲の人々の顔がぼやけ、境界を失っていく。まるで私自身も「白の存在」に溶け込んでいくようで、恐怖とも陶酔ともつかない感覚に胸を締め付けられた。その時、空から舞い落ちた雪のひとつが、私の肩にふわりと降りかかった。触れた瞬間、ほんのわずかに、かすかな温もりを感じた。私ははっと息をのむ。この世界にも確かに「感情」が残っているのだと、その雪が私に教えてくれたのだ。眠った記憶や失われた気持ちは、音楽に乗って少しずつ、踊りの中で蘇ろうとしている。

 やがて、音楽が遠ざかり始めた。私の視界の端に、光に満ちた狭間が見えてくる。そこからは別の世界への気配が漂っていた。私は自然と歩みを止め、広場を離れた。その時、一人の女の子が私に近づいてきた。彼女もまた白い服をまとっていたが、その瞳だけは雪に覆われていない、かすかな光を宿していた。彼女は雪の結晶でできた小さなブレスレットを差し出し、私の手首にそっと巻きつけた。その瞬間、微かな温もりが広がり、胸の奥で何かが優しく震えた。さらに彼女は、自分の髪を結っていた白いリボンを解き、私の背後にまわってワンピースの後ろへと結び直してくれた。その仕草は、別れの儀式のようでもあり、旅立ちを祝福する祈りのようでもあった。彼女の唇は動かなかったのに、「また遊びに来てね」と確かに耳に届いた。声のない世界で、彼女だけが私に言葉をくれた気がした。私は胸が詰まり、返事をしようとした。けれど声は出なかった。ただ目を閉じ、頷くことで応えた。彼女の小さな手が背中を押す。その温もりに導かれ、私は光りに包まれた狭間を歩み出した。

 真っ白な世界は遠ざかり、変わりにふいに甘い香りが漂ってきた。それはチョコレートのようにあたたかく、私の感覚を優しく満たしていく。やがて視界を開いたとき、そこには色とりどりのお菓子の街並みが広がっていた。




 ▷お菓子の世界

 次に私がやってきたのはお菓子でいっぱいのカラフルな世界だった。この世界の物は全てがお菓子でできており、甘い香りがしていた。チョコフォンデュの噴水やゼリーで出来たトランポリン、そしてたくさんの笑顔で溢れている遊園地。みんなとても楽しそうに暮らしている。しばらく歩いているとウエハースという名の大通りに出た。この大通り沿いにはたくさんのお店が並んでいる。チョコレート専門店や詰め放題、食べ放題の店、更には、お菓子の手作り体験のできるお店まで。あるカップケーキ屋からは、甘い香りが漂い、ソーダ水の店からはシュワシュワという泡の音が響いてきた。手作り体験の工房では子どもサイズのビスケット職人たちが粉砂糖を雪のように振りかけていた。どれもカラフルで美味しそうだ。お店自体もお菓子で出来ていてそれぞれの個性が出ていて素敵だなと思い、見とれているとどこからか小さい音が聞こえてきた。音のする方に近づいてみると大きな劇場の前に出た。中からは楽しそうな音楽が聞こえてきた。恐る恐る扉を開けてみると、中にはたくさんのマシュマロたちが並んでいた。ふわふわの帽子をかぶった彼らは、音楽に合わせて踊っている。舞台の上では、キャラメル色のドレスを着たキャンディの姫が歌を歌っていた。観客席ではグミの動物たちが手をたたきながら笑っている。まるで夢のような光景に、私はしばらく立ち尽くしてしまった。

「ようこそ、お菓子シアターへ!」と、近くにいたポップコーンの係員が声をかけてくれた。「今日は“シュガーフェスティバル”の特別公演なんです。あなたもどうぞご覧になってください!」

 私は案内されるままに、キャラメルクッションの椅子に腰を下ろした。舞台では物語が進み、チョコレートの王子がプリンセス・マカロンを助けに行くという冒険が始まった。飴細工で作られた剣を手に、王子がグミドラゴンと戦う場面では、観客たちもハラハラして目を輝かせていた。

 物語がクライマックスに差し掛かるころ、ふと私の隣の席で何かが動いた気がして振り向くと、小さなクッキーの妖精がちょこんと座っていた。妖精はにっこり笑って、そっと私の手を握った。

「この世界の奥には、まだ誰も味わったことのない味が眠っているんだよ。最後まで見届けてね。きっと隠し味が分かるから」と、ひそひそ声で言った。

 その言葉の意味を考える間もなく、劇場の照明が急に落ち、物語の終盤へと突入していく。甘くて楽しいだけだったお菓子の世界に、少しずつ、不思議な影が落ち始めていた。

 劇場の照明が一瞬暗くなったと思ったら、次の瞬間、天井からカラフルな飴の紙吹雪が舞い落ちてきた!ピンク、ミントグリーン、レモンイエロー.......全部、本物のキャンディだった。

「わあっ!」

 観客たちが歓声をあげて手を伸ばす。私の手にも、きらきらと光るハート型のラムネがひとつ落ちてきた。

 舞台では、チョコレート王子とマカロン姫が手を取り合い、グミドラゴンを説得して仲良くなっていた。なんと、グミドラゴンの悩みは「もっとお友達がほしかった」だけだったのだ。王子が差し出したチョコレートを一口かじると、ドラゴンは嬉しそうに笑って、空に飛び上がった。

「これからは、毎日一緒にダンスの練習だね!」とマカロン姫が言うと、舞台の上で花火のようにフルーツキャンディーがはじけて、にぎやかな音楽が流れ出した。観客席のクッキーの妖精がぴょんと飛び上がって言った。

「さあ、あなたも一緒に踊ろう!」

 気づけば私も立ち上がって、劇場中の甘い仲間たちと手を繋いで踊っていた。グミの足元はぷにぷにしていて、劇場が一つのお菓子のパーティー会場になった。音楽が終わると、マカロン姫が私に手を振って言った。

「またいつでも遊びに来てね!次はあなたが主役のお菓子ミュージカルかも!」

 と言われ、マカロン姫がチョコのステッキを私の耳に向かって振った。その瞬間甘い香りとともに舞台から飛び出した飴のピアスが私の耳にそっと留まっていた。私は深くお辞儀をしてから、劇場の扉に手をかけた。甘い風がふわりと頬を撫で、私をそっと次の世界へ誘った。その風には、不思議とほんのり緑の香りが混じっていた。




 ▷花と緑の世界

 次に私がやってきたのは、花と緑に囲まれた世界。ここはその名の通り、見渡す限り草花と木々に包まれ、空も風も香りさえも、全てが自然の息吹に満ちていた。空気はほんのり甘く、深呼吸をするだけで心がふわりとほどけていくようだった。

 足元に広がるのは、もこもことしたクローバーのじゅうたん。小さな花々がその間から顔を出し、私の足音に合わせてやさしく揺れていた。上を見上げると、まるで天井のように咲き広がる藤の花が風に揺れて、光を柔らかく通していた。

 しばらく歩くと、大きなひまわりのアーチが現れた。その向こうには、花で作られた建物が並ぶカラフルな町が広がっていた。チューリップの屋根、バラの壁、すみれのドアにツタで編まれた窓。どれも自然そのものなのに、驚くほど整っていて、まるで植物たちが自分で意思を持って暮らしているかのようだった。

「やっほー、こんにちは!」

 ふいに声がして振り返ると、ミントの葉っぱで出来た帽子をかぶった女の子が、にこにこと笑いながら駆け寄ってきた。その子の周りには、爽やかなミントの香りがふわりと漂っていた。

「初めての子だね!私はミント。この町の“花の案内人”なんだよ。よかったら“フラワードーム”まで案内するね!」

 ミントちゃんに手を引かれながら、私は花と緑の町を歩いた。道のわきでは、葉っぱの羽で空を飛ぶ郵便屋さんが手紙を配っていたり、たんぽぽの綿毛に乗った妖精たちがくるくると回っていたり、すべてが優しくてにぎやかで、どこを見てもあきることがなかった。

「フラワードームはね、この町で一番大きなお花。中では、毎日“花ことばダンス”が行われてるの」

 ミントちゃんの言葉どおり、町の中心にそびえ立っていたのは、巨大な花のつぼみのような建物だった。透明な花びらの屋根からは光が差し込み、建物全体がきらきらと輝いている。中へ入ると、そこはまるで夢の中に入り込んだような空間だった。ドームの内側には、天井からつるされた何百もの花がゆっくりと回っていた。光がその花びらを通して反射し、ドームの中には虹のような光が揺れていた。中央には芝生のステージがあり、そこでは自然の楽器を使った音楽隊が演奏していた。

「ねえ、一緒に踊ろう!」

 ミントちゃんが私の手を取って、ステージへと誘った。ステージの芝生はふかふかで、ステップを踏むたびに色とりどりの花びらがふわりと舞い上がる。音楽に合わせて自然と身体が動き、気づけば私はミントちゃんと一緒に、花々に囲まれて踊っていた。

「この世界ではね、誰かの心がふわっと笑うと新しい花が咲くんだよ」

 そう言った瞬間、私の足元に小さな白い花が“ぽん”と咲いた。それは、私の心の中の「うれしい気持ち」が形になった花だった。

 ダンスの終わりに、ドームの天井がゆっくりと開き、上から暖かい風がそっと吹き降りてきた。でも今回はそれだけではなかった。

 吹き降りた風に乗って、キラリ、と何かが舞い降りてきたのだ。花びらのように軽やかに降るそれは、小さな宝石の欠片だった。ルビーのような赤、サファイアのような青、エメラルドのような緑.........。光を受けるたびに、虹の欠片のように輝いて見えた。

「わあ.......!」と息をのむ私に、ミントちゃんはニコっと笑った。

「次の世界があなたを呼んでるみたい。宝石の精たちの世界だよ。きっと、とっても煌めいてるはずだよ。」

 そう言うと、ミントちゃんは小さな花のペンダントを私の首にかけてくれた。

「この花は、君がこの世界で咲かせた証。どこへ行っても、きっと君のことを守ってくれるよ」

 胸の前でそっとペンダントを握ると、不思議と心が少しわくわくしてくる。私は深くお辞儀をして、花々のトンネルを抜けた。その瞬間、景色が変わった。花びらの香りを含んだ温かな空気が、ひんやりと澄んだ風へと切り替わる。足元を彩ってた花弁は、まるでガラスが割れるように透明な結晶へ姿を変え、バラバラと砕け散った。砕けた欠片は地面に落ちず、ふわりと浮かび、光を帯びながら集まり始める。それらはやがて一筋の道を描き、花と宝石が交わる境界線のようにきらめいていた。後ろを振り返れば、花々が風に溶けるように遠ざかっていく。前を見れば、露のしずくがキラリと光り、ひとつひとつが宝石の粒となって大地を覆い尽くしていく。そして私は、その境界を超えるように一歩を踏み出した。視界いっぱいに広がったのは、まばゆい光と、無数の宝石のきらめきだった。




 ▷宝石の世界

 目を開けると、そこは一面のきらめきに包まれた世界だった。足元には透明な水晶の床が広がり、その下には光を受けて虹色に揺れる川が流れている。川の流れは小さな旋律のように音を奏で、歩くたびに床の水晶は星のように瞬いた。光と音が溶け合い、まるでこの世界全体がひとつの生きた楽器のように感じられる。周囲を見渡すと、そびえ立つのは巨大な宝石の結晶だった。アメジストの塔は淡紫の霧が漂い、エメラルドの森は葉のひとつひとつが微かに歌うように揺れている。サファイアの湖は淡い青を湛え、光を受けて揺れる波がまるで天空の鏡のように煌めいていた。空は濃い群青色で、宝石を散りばめた光の帯がゆるやかに流れ、静かなオーロラのように世界を包みこんでいる。

「やっと来たんだね!」

 声に振り向くと、小さな少年が立っていた。彼の肩や髪には無数の宝石の粒が散りばめられ、夜空から抜け出してきたかのようにきらめいている。少年は微笑み、手を差し伸べた。

「僕はベリル。この世界の“宝石の案内人”だよ。さあ、君を“ジュエルキャッスル”まで案内するね!」

 彼の指先からは金色の光の粒がさらさらとこぼれ落ち、まるで砂時計の砂のように空気の中で消えていく。

 手を取られ歩き出すと、足元の水晶の床は道に沿って光を放ち、星空の上を歩くかのような感覚を与えた。道の脇では宝石の花が咲き乱れている。ガーネットの赤い花は小さな炎のように揺れ、アクアマリンの青い花は水面の波紋のように広がった。触れると、まるで小さな鈴の音のように澄んだ音色が響き、歩くたび光と音のハーモニーが生まれていく。さらに進むと、空には無数の光の光の帯が流れていた。宝石の粒が風に乗って漂い、蝶のように舞い、鳥のように空を横切る。虹色に揺れる光は時折形を変え、花や小さな動物のように浮かび上がる。

「この世界では、宝石は生きているんだ。ひとつひとつに小さな心が宿っていて、歌ったり踊ったりするんだよ。」

 ベリルの声は、まるで宝石そのものの輝きが宿っているかのように温かさがあった。丘の向こうに、ついに「ジュエルキャッスル」が姿を現した。まるでひとつの巨大な宝石を城の形にしたかのようだ。塔はサファイアの青に輝き、壁は透明なダイヤモンドで造られている。窓には色とりどりの宝石のステンドグラスがはめ込まれ、光を反射して七色のきらめきが辺り一面に降り注いでいた。扉は黄金のトパーズでできており、温かな太陽の光を閉じ込めたかのように輝く。

「ようこそ、ジュエルキャッスルへ!」

 ベリルが両手を広げると、宝石の扉がひとりでに光を放ち、ゆっくりと開いた。扉をくぐった瞬間、目の前に広がったのは、まるで星空を閉じ込めた広間だった。床は滑らかな黒曜石でできており、その上に散りばめられた無数の小さなダイヤモンドが星々のように瞬く。歩くたびに光がきらめき、まるで夜空の上を歩いているかのようだ。天井から吊るされた巨大なシャンデリアも普通ではなかった、無数の宝石が集まりひとつの光の花を形づくり、ルビーの花びら、サファイアのしべ、エメラルドの葉がゆっくり開いて虹色の光を広間に放つ。壁には巨大な水晶の柱が並び、この中を小さな宝石の精たちが踊るように流れ、幻想的な模様を描いていた。

「ここが“宝石の舞踏の間”だよ」

 ベリルが楽しそうに囁く。広間の中央には円形の舞台があり、その縁には七色の光を放つ宝石が並んでいる。舞台の中央には透きとおる水晶の泉がわき出し、水面には天井の光と自分たちの姿が映る。

「今日は特別な夜だ。君が来たから、みんな喜んで“宝石の儀式”を開くんだよ」

 ベリルの言葉とともに、宝石の精たちが次々に姿を現した。ダイヤモンドの羽を持つ精、アメジスト色の髪を揺らす精、トパーズの瞳で微笑む精……。彼らが舞台を囲むと、泉の水面はきらきらと輝き始めた。

 光がいっそう強くなると、精たちは手を取り合いゆるやかに円を描きながら舞いはしめる。透明な音が広間を満たし、まるで宝石そのものが楽器になったかのように旋律が響き渡る。やがて泉の中央から純白に輝くダイヤモンドの粒子が集まり、形を成していった。現れたのは、美しいティアラだった。ルビーの赤、サファイアの青、エメラルドの緑……あらゆる宝石が織り込まれたそのティアラは、まるで虹を閉じ込めたかのようにきらめいていた。

「このティアラは、この世界に来た証。君が宝石たちに選ばれたしるしなんだ」

 ベリルは微笑みながらそっと私の頭に載せた。触れた瞬間、胸の奥まで温かい光が広がり、心が澄みわたる感覚に包まれる。宝石の精たちの輪の中から、きらきらと輝く道が舞台の中央へと延びてきた。ベリルは手を差し伸べ、優雅に一礼する。

「さあ、僕と踊ろう。宝石のワルツを」

 音楽がふわりと高まり、私たちは一歩を踏み出した。黒曜石の床は星空のように光を返し、ステップを踏むたび七色の輝きが宙へ舞い上がる。ベリルの動きに導かれ、自然と身体も軽やかに流れ、広間全体がきらめくワルツの舞台となった。ティアラの宝石は音楽に合わせて小さく光を放ち、心臓の鼓動とともにやさしいリズムを刻む。精たちは周囲でくるくると舞い、光の花びらを散らし、広間は夜空の銀河のようなきらめきに包まれた。

 そのとき、広間の奥に重々しい響きが生まれた。天井を支える光の柱が震え、やがて星の粒が集まって荘厳な形を成す。漆黒の虚空に浮かび上がったのは、壮麗な神殿の門、黄金と群青の星々が組み上げた、天界の扉だった。門はゆっくりと軋むように開き、奥からは深淵の静けさと、銀河の光を孕んだ風が流れ出す。その風に触れた瞬間、広間を満たしていた宝石の光はぱらぱらと砕け、無数の煌めきとなって宙へ散っていった。ルビーもサファイアもエメラルドも、すべてが夜空に散りばめられた星へと姿を変えていく。煌めく舞踏の間は、いつの間にか果てなき銀河の海へと溶け込み、足元の黒曜石すらも星々を映す夜空の床となった。

 音楽は荘厳な調べへと変わり、私の心を高鳴らせる。ベリルが手を差し伸べ、静かに囁いた。

「さあ、新たな星の世界へ。」





 ▷星空の世界

 音楽とベリルに導かれ、最後に辿り着いたのは、辺り一面、無数の星々で埋め尽くされた世界だった。空と大地の境目はなく、頭上も足元も同じように光が輝いている。まるで自分が星の海に浮かんでいるかのようだった。ひとつひとつの星は淡く揺らめき、近づけば指先に触れられるほどに大きく、また遠ざかれば夜空に散らばる粒子のように小さく見える。私はその光の上に立ち、歩いているのか、それとも漂っているのか分からなくなっていた。耳を澄ませば、かすかな調べが聞こえてくる。誰かが演奏しているわけではないのに、星たちのひとつひとつが声を持ち、囁き、歌っている。高く透明な音、深く包み込む低い響き。それらが重なり合い、静かな合唱となって私を迎えている。不思議と恐怖はなかった。むしろ胸の奥まで満たされるような、安らぎに似た感覚だけが広がっていく。

“どこか懐かしい”そう感じた。記憶の奥底で忘れていたものが、今、光に触れるたびにじんわりと溶け出していく。遠い昔に見た夢の断片を、思い出そうとしているみたいに。私は立ち止まり、両手をそっと広げてみた。星の欠片が羽のように舞い降り、手のひらに触れると、冷たさではなく柔らかな温もりが伝わってきた。まるで「おかえり」と囁かれているようで、胸がふっと軽くなるようなそんな感じがした。 この世界は他の世界とは違っていた。お菓子の世界のような甘やかなさも、宝石の世界のような華やぎもない。けれど、そのどれとも比べられないほど落ち着いて、優しく私を包みこんでくれる。私は静かに息を吐いた。ここは、きっと私が帰ってくるべき場所。長い旅の果てに待っていた。安らぎの地なのだ。星々の歌声は、やがてひとつの旋律へと形を成し始めた。高く澄んだ音と、低く響く音が重なり合い、静かな波となって世界全体を包み込む。その旋律に耳を傾けているうちに、私は自然と身体を揺らしていた。足元の光がリズムに呼応するように瞬き、星々がまるで舞踏会の灯りのようにきらめく。私は片足を前へと踏み出し、もう片方を滑らせる。音楽に導かれるまま、見知らぬ舞台でワルツを踊り始めていた。ふと、傍らに光の影が寄り添った。人の形をしているわけではない。ただ光が形をとり、私のパートナーとなる。その存在は言葉を持たないけれど、不思議なほど呼吸が合い、導かれるままにステップを踏むと、星の粒子が舞い上がって夜空に溶けていった。旋律に身を委ねると、身体は羽のように軽くなり、星の一粒と同じ重さで宙に漂った。スカートの裾が光をすくい、宙に散らすたび、世界はひときわ明るさを増す。私は気づかぬうちに微笑んでいた。心の奥から、あふれるように。ここでは、誰に見られることもない。ただ星々と、音楽と、私だけがある。

「懐かしい........」

 踊りながら、私は呟いていた。どこで覚えたのか分からないのに、このワルツも旋律も、ステップのひとつひとつも、ずっと昔から知っていたような気がする。忘れていた記憶が、音楽に溶けて胸の奥から滲み出していく。私はその感覚に身を委ね、星の世界とひとつに溶け合っていった。

 やがて音楽は静かに幕を閉じた。最後の一歩を踏み出すと、星の影のパートナーはすっと消え、再び光の粒に戻って夜空へ散っていった。私は胸の奥に柔らかな余韻を抱えながら、深く一礼した。すると、頭上から、無数の星々が降り注ぐ。雪でも雨でもなく、羽毛のように柔らかい煌めきだった。降り注ぐ星の粒は私の肩や髪に触れると、ひとひらずつ溶け込むように消えていく。そして次の瞬間、身にまとっている衣服が、星の織り込んだように淡く輝き始めた。まるでこの世界そのものが、私を抱きしめているかのように。私は胸に手を当て、小さく息をついた。ああ、私はこの星々に受け入れられたのだ。その瞬間、足元の光が集まり、小さな小道を書き出す。私は星の衣をまとったまま。その道の先に目を向けた。星のドレスに包まれた私は。ふわりと宙を漂うように立っていた。裾を揺らす光の波はまるで夜空が息をしているかのように穏やかに揺れ、胸の奥で静かで満たされた気持ちが広がる。“ここに、ずっといたかった。帰るべき場所は、この星々の世界だ”と直感でわかった。


 星のドレスに包まれた私は、光に導かれるように小道を歩いていた。足元の光は柔らかく揺れ、歩くたびに小さな星の粒が舞い上がる。その一粒一粒が夜空に溶け込み、再び光の波となって私を包み込む。胸の奥に小さな高揚が生まれ、かすかなワルツの旋律が蘇る。透明な水晶の床、虹色に揺れる川、花びらの上を滑るように回ったステップ。あの旅立ちの世界で踊った記憶が、星の光に導かれる今の私と重なる。

 やがて、小道の終わりに揺れる看板が見えた。

「カフェ・ステラ・ディ・ノッテ?」

 看板らしきものにそう書かれていた。あまり聞かないし、不思議な名前だな。星空の光に包まれたその文字は、どこか私を誘うように輝いている。ゆっくりと扉を押すと柔らかな風が迎え、温かな光と甘い香りが胸に流れ込んだ。壁には本が並び、本で満ちた静かな空間は、星の光を吸い込んだ図書館のようであった。ランプの灯りは小さく、けれど確かな温もりを放っている。

「早く入って扉を閉めてくださいな。星たちの光や歌声が消えてしまうでしょうに。」

 フクロウの声が響き、私はそっと扉を閉めた。

「おや?あまり見ない顔だね。さあ、こっちにおいで、踊り疲れただろう。」

 優しい顔をしたおじいさんが淹れたてのコーヒーとお菓子を差し出す。私はソファに腰を下ろし、胸に星空の余韻を抱いたまま、カップの香りを吸い込んだ。

「お嬢さんは踊りが上手なんだね。踊ることは好きかい?」

「ええ、とても好き。でも音楽はもっと好き。でもどうして踊りが好きって分かったの?」

「ずっと君を見守っていたからさ。真っ白な世界、お菓子の世界、花と緑の世界、宝石の世界そして星空の世界。どの世界が一番楽しかったかい?」

「どの世界も楽しかったけど、一番を決めるのは難しい。でもやっぱりお菓子の世界かな。他の世界も魅力的だったんだけどお菓子の世界はいろんな体験ができて面白かったし、何より初めて舞台に立ってものすごくワクワクした。」

「そういえばまだ君の名前を聞いていなかったね。なんというのかい?」

「名前.......?思い出せないの」

「ならば、私が授けよう。」

 おじいさんは目を細め灯りの奥に沈む星々を映しながら呟いた。

「君は光をまとう者だ。なら、オーロラと呼ぶのがふさわしい。」

「オーロラ?」

「夜明けの光のことだよ。暗闇を照らす、美しい光の帯の名さ。君にぴったりだと思うんだ。」

 私は小さく「ふぅん」とつぶやき、カップを口にした。ほろ苦さの奥に柔らかい甘みが広がり、胸の奥まで温かくなる。その時おじいさんが小さな箱を差し出した。

「オーロラ、これを受け取ってくれ。」

 おじいさんは静かに小箱をを差し出した。蓋を開ければ、夜の海を閉じ込めたようなターコイズブルーのヒールが眠っていた。それは、ただの靴ではなかった。まだ見ぬ未来を歩むための灯火のように、青い光が微かに放っていた。足を通した瞬間、光は水面の波紋のように広がり、次に進む道を書き出していった。ひやりとした冷たさではなく、かすかな温もりが伝わる。胸が震える。ゆっくりと靴を足元に心地よい軽さが広がる。星の光が足先に沿って流れ、まるで自分の道を照らす光が形になったかのようだった。

「ありがとう、おじいさん。一生大切にします。」

 小さな声でお礼を言うと、おじいさんはにっこり微笑んだ。それから私はおじいさんとたくさん話をした。世界であったことなどたくさん話した。そしておじいさんからコーヒーの入れ方も教わった。私が楽しそうに世界の話をしているときにおじいさんの方を見るとおじいさんは静かに聞き入れ、時折小さく頷いていた。言葉にしきれない思い出のひとつひとつが胸の中で光を帯びて揺れる。

「どの世界も、私の一部になったんだね」

 私は本を閉じ、微笑んだ。光の物が髪に、裾に、ひらりと舞い降り、ワルツの旋律がそっと耳に触れる。それは、次の物語を開く合図のように思えた。胸の奥に星の余韻を抱いたまま、完成した本を見つめた。香りも光も、すべてが私を包み込む。ほろ苦く甘いコーヒーの香りは旅の記憶と重なり、心の奥まで暖かく染み渡る。光は星空からカフェへ、そして私の隣の中に流れ込む。ひらひらと舞う光の粒が、まるで私の歩んだ世界のおいでを祝福しているかのようだ。私はカフェのカウンターに行き、おじいさんが教えてくれた通りにコーヒーを淹れテーブルに置いた。そして一つの本を開き、読み始めた。

 その瞬間、店内に漂う光と香りは、読んだ者の胸の中で星空の余韻とワルツの記憶を呼び起こす。ここが、私の旅の終着点。そして、これから誰か求める世界を見つけるための小さな扉でもあるのだ。胸の奥で星の余韻がそっと揺れ、ワルツの旋律が柔らかく流れ続ける。私はこのカフェで、そしてこの物語で、語り手として静かに立ち続ける。旅の終着点に立ちながらも、次の光を迎える準備をして。

 もしかすると、あなたの目の前に広がる世界も、今はまだ夜空の片隅で小さく揺れているだけかもしれない。でも、ほんの少し目を閉じて耳を澄ませば、星たちの囁きが、遠くのワルツが、あなたの胸に届く。そんな気がするの。だから、もしあなたがこの場所に立ち寄ることがあれば、そっと本棚を開いてみて。そこにはきっと、あなたの物語が眠っている。

 ページを閉じると、静かな空気に混じって小さな音が響いた。

「カランカラン」ドアのベルが鳴り扉が開いた。今日もまた誰かやって来たみたい。




































「ようこそ、Caffè Stella di Notteへ。あなたが求める世界は?」


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